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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第四章 混迷の街ベルダン
55/71

55、信号

 一人になったエルネスティーネの部屋に侍従たちがやってきた。侍従は手際良く血溜まりを掃除していく。部屋の隅にあった腕もバケツに放り込まれて回収された。

 その様子をエルネスティーネはベッドの端で膝を抱えながら見ていた。彼女は動かず手を握りしめている。

 床の血痕は綺麗に消えたが血臭はまだ残っている。 侍従の一人が籠をベッドに置いた。籠には服が入っていた。


「これに着替えておけ」


 侍従はそれだけ言うと立ち去った。

 再びエルネスティーネは一人になる。彼女は握った手を開いた。そこには金色の指輪があった。小さな台座の上には橙色の石が嵌っていた。

 これはシャズが斬り落とした手に嵌めてあったものだ。魔道具の可能性を感じた彼女が、嫌々ながらも落ちた手から抜き取ったのだ。

 そしてこれは案の定魔道具だった。品質は悪く、指輪に込められた魔力は枯渇していた。自身の魔力を込めると結界を発生させる魔道具だと判明した。

 だが、結界としては三流以下で非常に脆かった。恐らくただの剣の一撃しか防げないだろう。


 エルネスティーネは魔道具には期待していなかった。彼女が欲しかったのは魔石の部分だ。


「あとは触媒があれば」


 エルネスティーネは指輪を握り込む。

 彼女は杖の代用品を作成しようとしていた。

 杖は魔石と軸となる触媒を組み合わせる事で出来ている。触媒は魔力を通す鉱物や木、動物の骨が使用される事が多い。魔石と触媒には相性があり、相性が悪いと魔術の発動が困難となる。また、魔石や触媒は魔術師との相性があり、魔術の出来を大きく左右する。

 この指輪自体の材質はエルネスティーネと相性が悪かった。逆に相性が良ければ、魔道具でも無理矢理魔術を行使する事ができる。この魔石のサイズだと光を灯す程度しかできないが。


 魔術師は杖がないと魔術を使えないと言われているが、厳密には魔石と触媒があれば使えてしまう。魔術師にとっては既知の事実だが、一般の者にはあまり知られていない。

 しかし、魔術を使えると言っても攻撃や結界等の高度な魔術は発現は無理だ。魔力を具現化させるにはやはり杖が必須である。


 今のエルネスティーネには光を発現させるだけでも必要であった。魔石と自分に合った触媒さえあれば、そう考えながら置かれた籠に目を向ける。

 籠には丁寧に折り畳まれたシャツが入っていた。何気なくシャツを手に取る。その下には作業着のような長ズボンあった。どう見ても男物の服だ。労働者として売られるのだろうか。

 着替えたくない。エルネスティーネはシャツを籠に放った。

 すると、籠から物音がした。エルネスティーネは体をびくりと震わせた。小さな物音は止む事なく続いている。よく見ると、籠の服が動いていた。

 何かがこの籠の中に居るようだ。

 エルネスティーネは恐々と服を退かしていくと、ズボンの下に奇妙な生き物がいた。

 手のひら程の大きさの鼠のような生き物で、尖った鼻につぶらな目をしていた。背部には長い針に似た体毛が生えている。


「かわいい…」


 エルネスティーネの強張った表情が緩んだ。害のある生物ではなさそうだ。

 鼠は鼻をひくつかせながら籠の中を歩き回ると、籠の縁に小さな手をかけて脱出した。ころりとベッドに転がる。鼻を動かし周囲を探ると、迷いなき足取りで歩き始めた。

 鼠の向かう先には、ベッドに残されたイーリスの紺色のローブがあった。ローブに辿り着くと鼻を押し当てる。そして、ローブの上をぐるぐると回り始めた。奇妙な行動だったが、エルネスティーネには思い当たる事があった。


「あんた、もしかしてアビィ?」


 アビィと呼ばれた鼠は、回るのを止めてエルネスティーネを見た。


「自分の名前が解るのね。賢いやつ」


 エルネスティーネの顔には優しい微笑みがあった。だが、直ぐに曇る。


「あんたのご主人様はもうここには居ないわ。連れてかれちゃった」


 アビィがキュイ、と寂しげに鳴いた。エルネスティーネが手を差し伸べると、アビィは躊躇う事なく手に乗った。

 指輪を傍らに置いて背を撫でるとアビィは満足そうな目をしていた。背部の毛は見た目通り固かった。

 撫で終わるとアビィはローブの方を見て小さな背中を丸めた。


「ご主人様に会いたいのね」


 エルネスティーネはアビィをベッドに置くと、ローブを羽織った。留め具を留めアビィを手に抱いた。


「今はあたしで我慢しなさい。」


 エルネスティーネは再び優しくアビィを撫でた。小さく丸まるアビィはされるがままになっている。


 彼女はアビィを撫でつつ触媒の事を考えた。この部屋には触媒になりそうな物はない。持ち込まれた籠は木の素材だが、魔力を通す物ではない。手持ちは何もない。

 やはり、魔石に合う触媒を何もない部屋から探し出すのは無理があるか。

 そう思った時、ふと手の中のアビィを見た。


「動物…骨じゃなくても代用できるかも…」


 一条の希望がそこにあった。


「蛇の鱗が使われてる杖もあるし、この針っぽいのでいけるんじゃ…」


 撫でる手が止まり、アビィはエルネスティーネの顔を見上げた。

 彼女はアビィをベッドに置くと、指輪を掴んで窓辺に行った。そして鉄格子に指輪を叩きつけた。甲高い音が響く。音に反応した見張りが来ないか心配したが、誰も来なかった。

 何回か叩きつけると魔石を固定している台座が緩んだ。爪で魔石を浮かせると台座から外れた。


 小さな魔石を握りしめ、今度はベッドに居るアビィに顔を近づけた。


「お願い、あんたの背中の針をあたしに少しだけ頂戴。助けを呼びたいの」


 エルネスティーネの真剣な声がアビィに届いたかは分からないが、キュイと力強く鳴いた。

 それを肯定と受け取った彼女はアビィの背中の針を一本引っ張った。アビィは抵抗せずじっとしている。

針は力を入れるとするりと抜けた。アビィが痛がる様子はない。エルネスティーネはあと二本だけ抜いた。

三本の針を撚り合わせて纏めると、中心部に橙色の魔石を入れ込んだ。

 超簡易的な杖の代用品の完成だ。


 エルネスティーネはそれを両手で包み込むと魔術が使用できるか試してみた。

 何度目かの集中で橙色の小さな光を具現化させる事に成功した。


「やった…!」


 エルネスティーネは瞳を輝かせた。

 窓に向かい、鉄格子の隙間から窓を開けた。外は曇天の下、濃い霧が晴れつつあった。窓から見える範囲に人影はない。

 エルネスティーネは両手を胸の前で握り合わせると、目を閉じて手の中の針と魔石に神経を集中させた。

 彼女の両手の上から淡く光る橙色の帯が出現し、窓の外へ伸びていった。

 不安定な帯は消えそうになりながらも屋敷の上空まで到達した。そして空中で大きな円を描くように動く。歪な円を作った帯はそのまま空中を停滞する。その状態で十秒維持し、帯を消した。橙色の燐光が灰色の空に散る。

 エルネスティーネは再び同じように空中に光の帯を作った。そして十秒経過したら消す。これを何度も繰り返す。


 これは魔術師の出す救難信号だった。魔術学校に入った新入生は必ず習う初歩的なものだ。エルネスティーネも新入生の時に習っている。救難信号は習ったきりで、実際に使うのは初めてだった。

 この街には協会の支部もある。街に居る魔術師の総数は少なくないはずだ。どこかで救難信号に気づいてくれる者が現れる事を祈って光の帯を出し続ける。


 エルネスティーネの額には汗が滲んでいた。簡易的な代用品では光の帯を出現させるのも一苦労だった。 魔力の消費は微々たるものだが、杖に比べて魔術の維持が困難で集中力が保たない。疲労感が頭にのしかかる。

 手の中の魔石も許容量を超えた使用で表面に亀裂が生じていた。あと何回魔術を行使できるか。

 それでも彼女は信号を出し続ける。誰かが気づいてくれる事を信じて。



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