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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第四章 混迷の街ベルダン
54/72

54、侵入

 濃い霧に包まれた街を走る二つの人影があった。軽装備で白いフードを被る男と甲冑に身を包んだ男だった。

 ソルとカイは(はやて)の如く街を進んでいる。 正確には先行するソルにカイが付いて行けず離され、ソルが速度を落とす、を繰り返していた。この濃い霧の中では離れ過ぎると簡単に(はぐ)れてしまう。装備の重いカイには長距離の移動はきついだろうが、今はゆっくり走っている暇はない。たまに速度を合わせてやるのがせめてもの気遣いだった。

 カイは弱音も吐かずひたすらに脚を動かしている。 主を助けると言う強い意思だけで必死に追従していた。


 二人は南区の奥にある一軒の屋敷に辿り着いた。ここが男の言っていたラルスとやらの居場所だった。

 霧がやや薄れたが、屋敷の全容は確認できない。かなり広い敷地にあるようだった。全方面を高い塀で囲ってあり、唯一の出入り口である門は二人の武装した門番に守られていた。

 ソルとカイは塀の角に身を隠し周囲を探った。ソルは塀の高さを目視で測り、塀の造りを触って確かめる。塀は切り出した灰色の石を積み合わせてできていた。かなり強度が高そうだ。

 カイはソルの背後で大汗をかいて荒い呼吸を何とか整えていた。


「俺ならこの程度の塀なら登って越えられるが、お前は無理そうだな」

「はぁ、はぁ、あの、塀、の上に、はぁ、…魔道具、があり、ます…」


 呼吸を落ち着かせながらカイが塀の上を指差す。そこには何か突起のような物があった。


「あれ、はエルネ、スティーネ様、のお屋敷、にも、はぁ、あります」

「結界か何かか?」

「そう、です。塀の上からの、侵入者を探知する、ものです」

「厄介だな」


 塀を越える侵入経路は不可となった。この広い屋敷の中で攫われた二人を探すとなると、相当な時間がかかる。侵入した事が察知されてしまえばイーリスたちの身に危険が及ぶ可能性がある。早る気持ちを抑え、気取られずに侵入する方法を探す。

 塀に沿って敷地の周りを歩いて行く。通りに人影はなく、ソルとカイの行動を阻むものはない。


「どうせ後ろ暗い事をしている連中の住処だろう。こういう奴らは必ず正門以外に逃げ道を造っているものだ。そこを見つけられれば…」

「なるほど」


 カイは塀や周辺の石畳を調べ始めた。ソルは街路樹に登り高い位置から屋敷内を見渡す。

 今、二人は屋敷の側面にいた。屋敷内の広い庭園と巡回する武装した警備の者が見える。屋敷は白を基調としたよくある富裕層の居住地だ。窓から内部が確認できるが、使用人のような人物が通るだけだ。霧で遠くまでは見渡せない。塀の上には結界の魔道具が等間隔で並んでいる。

 塀を目で追っていくと、裏側の角に不自然に塀が厚くなっている部分があった。そこだけ通常の壁の五倍の厚みがある。

 ソルは木から飛び降りると、カイに手で合図し裏の角へ行った。


「ここだけ造りがおかしい。何かあるかもしれない」


 二人は塀を調べる。側面から裏に周るとソルが霧の動きに変化を感じた。無風で停滞している霧が僅かに動いている部分がある。それは壁の一部に沿って外に向かって動いていた。壁に手を這わすと風の流れを感じる。


「ここに隠し扉があるな」


 扉は巧妙に擬態されており、一見して分からないようになっていた。扉周辺の石畳の擦り減り具合を見るに、この扉はあまり使用されていないようだ。

 しゃがんで扉を調べていたカイが隠された鍵穴を発見した。


「僕、解錠は全然分からないんで、ソルさん頼みます」


 カイはソルの後ろに控え、周囲の警戒役になった。

 ソルも訓練で解錠は一通り行っているが、お世辞にも得意とは言えない腕前だった。

 石畳に膝をつき鍵穴を調べると、これまただいぶ古いものだと分かった。小さな鍵穴は錆だらけで、正規の鍵でも開けられるか微妙なところだ。手持ちに解錠に使えそうな物はない。それならば、やる事は一つ。


 ソルは右の剣を抜くと、刃先を鍵穴横の扉の隙間に差し込んだ。僅かな隙間に刃先だけが何とか入った。上下に刃先を動かし、鍵の位置を確認する。複雑な鍵ではなさそうだ。

 鍵があるであろう位置に刃先を当てると力を込めて押し込んだ。鈍い金属音が発生。刃先を抜くと茶色の錆の破片がこぼれ落ちてきた。刃こぼれがないか確認し納刀する。

 かなり強引なやり方だが、古く劣化した鍵には有効で手っ取り早い。


「これで開いた、はずだ」

「流石です」


 カイが駆け寄り尊敬の眼差しを送っている。ソルはそれに気づく事なく扉の取手を探した。鍵穴の上の石の接着面がそこだけ色が違った。爪を差し込むと隙間があった。爪を引っ掛け石を引っ張ると、薄い石が取手のように出てきた。


 取手を引くと扉がゆっくりと開いた。中から薬独特の煙の匂いとカビや埃の匂いが広がる。古い石造りの階段が地下に続いていた。埃が積もっており、ここが永らく使われていなかった事が分かる。

 しかし、階段の先には微かな灯りが見える。下では人の出入りがあるようだ。


 ソルを先頭に二人は地下への階段に足を踏み入れる。隠し扉の裏は通常の扉の造りになっていた。カイが静かに扉を閉める。

 ソルは足音を殺し階段を下って行く。カイは闇に目が慣れず壁伝いに慎重に下る。

 灯りが近づくにつれ、小さな人の声が耳に入るようになった。それは若い女の声に聞こえる。


 階段を下りきると鉄格子の扉が行く手を阻んでいた。鉄格子の向こうには同じ石造りの通路が続いている。魔道具の光が暗い通路を照らしていた。

 ここまで来ると、女の声は幾人もの囁きや笑い声、泣き声だと判別できた。薬物の匂いが強くなる。


「何だか不気味ですね」


 遅れて下ってきたカイが呟く。ソルの頭に嫌な予感がよぎる。

 鉄格子は南京錠と鎖で施錠されていた。この南京錠と鎖もだいぶ古いものだった。ソルは極力音を出さないよう注意しつつ、剣で鎖を断ち切った。

 錆びた鉄格子の扉を開ける。慎重に動かしたが、耳障りな金属の擦れる音が通路に響く。人が来ないか警戒したが、その様子はなかった。


 通路を少し進むと、両側に番号の書かれた扉が並んでいた。女の声はこの扉の向こうから聞こえてくる。扉には細い覗き窓があった。

 カイが恐る恐る覗き窓から中を確認した。そこには寝台に横になっている少女がいた。薄い夜着から出る手足はピクリとも動かない。よく見ると口が小さく動き、呟きとも怨嗟の声ともとれる言葉が延々と紡がれている。虚な目は何も見ていない。

 覗き窓からは濃い煙の匂いがした。


 カイは背筋が寒くなった。血の気が引いて行くのを感じる。青白い顔をしたカイは、反対の部屋を確認していたソルの服の裾を引いた。


「あの、ここってまさか…」

「あぁ、タチの悪いところに攫われたようだな。」


 ソルの拳が痛いほどに握られる。顔には後悔と怒り。どんな理由であれ彼女を一人にてしまった事への自責の念が心を襲う。

 行き場のない感情が心を乱す。ソルは大きく息を吸い、溢れそうな感情を無理矢理押し込める。握った拳で己の胸を叩くと息を吐いた。


「二人がいるかもしれない。全部確認するぞ」


 ソルの押し殺した声に、カイは彼の感情が理解できた。カイも同じだったからだ。状況は違えど、護るべき者を奪われてしまった。己の無力さに腹が立つ。

 起きてしまった事柄を変える術はない。今は一刻も早く主を探し出す事に尽力するしかないのだ。


 ソルが左、カイが右側の部屋を確認していく。どの部屋の少女も薬物にどっぷり浸かっており痛々しい。

 奥に向かって進んでいくと、ソルの目の前の扉が開いた。扉には三と書かれている。くすんだ金髪を肩で切り揃えた背の低い少女が出てきた。イーリスよりも年若い少女の顔は無表情だが、碧玉の瞳が爛々とぎらついていた。

 ソルとカイは動きを止めた。

 少女が乾燥した口唇を開ける。


「ねぇ、ラルス様に頼んでもっとクスリをちょうだいよ。わたし、いっぱい客を取ってるのよ。ご褒美もらってもいいでしょ?」


 詰め寄るようにソルに近づく少女。

 どうやらソルとカイはこの屋敷の者だと思われているようだ。警戒され、叫ばれると考えていたが杞憂に終わった。また、同時にこの屋敷にラルスが居る事が確定した。


「ねぇ、聞いているの?早くちょうだいよ。それともわたしの体が欲しい?クスリくれるならラルス様には黙っててあげるよ」


 少女がソルに身を寄せる。年端も行かない少女に迫られて困惑するソル。反射的に一歩後ろに下がり躱した。

 思った反応が得られなかった事で少女の目に剣呑な光が宿った。


「何よ。いいからクスリをちょうだいよ」


 両腕が幽鬼のように伸ばされる。少女が足を踏み出すが、ふらついて前に倒れる。ソルが片手で少女の体を支えた。哀れな薬物中毒の少女の体は驚く程軽かった。


「分かった。薬をもらえるよう手配する。だから部屋に戻るんだ」


 ソルが落ち着いた声音で諭す。しかし、一瞬にして少女の顔に憎悪が満ちた。悪鬼と見紛う程の表情でソルを睨みつける。


「テメェらはわたしの言う事聞いてればいいんだよ!指図するな!」


 金切り声と共に少女が自身を支えるソルの腕に噛み付いた。見た目に反する顎の力で歯が上着越しに激しく食い込む。

 急な蛮行に声を出したのはカイだった。


「ちょ、ちょっと落ち着いてください!」


  獣のように噛み付く少女を前に右往左往している。

ソルは痛みに顔を(しか)める程度だった。この状態で無理に引き剥がすと、少女が怪我をしてしまう可能性があるので動かない。気絶させるにも、簡単に手折れてしまいそうな脆い体に打撃を与えるのは躊躇われた。

 上着に赤い染みが滲む。


 少女の背後、遠くから重い扉が開く音と男たちの声が響いてきた。誰かが来る。

 右往左往していたカイがもっと右往左往する。

 ソルは少女が出てきた部屋を指すと、噛んだままの少女を抱えて部屋に入った。カイもそれに続く。


 扉を閉めたタイミングで二人の男がやってきた。侍従の男と武装した男だった。


「誰か騒いでいたようだが」

「また三番だろう」


 侍従が三番の扉の覗き窓を確認する。すると、覗き窓一杯にくすんだ金髪が見えた。


「何しているんだ」


 返答はない。黒服はため息をつくと覗き窓から顔を離した。


「こいつには何人か怪我させられたからな。関わるのはよそう」


 武装した男が辟易した顔で言った。侍従は軽く頷くと奥へ進んだ。


 扉の前から男たちが去ると部屋の中でカイが安堵の息をつく。ソルは無表情に戻った少女の力ない口から腕を外した。

 少女は部屋に入った時から徐々に表情が消え、脱力状態になっていた。扉を背にして彼女の後頭部で覗き窓を覆っていたが、もう大丈夫だろう。扉を開けられなくてよかった。

 瞳から光が消え虚になった少女をベッドに横たえる。少女は半眼になった目を閉じた。寝息が聞こえる。長い睫毛が影を作っていた。中毒になる前は可憐な少女だったのだろう。


「どうだ」


 ソルは扉に耳を当てているカイに声をかけた。


「声はだいぶ離れました。少なくとも一人は武装しているようです」


 ソルも扉に近づく。右手の方から男たちの話し声が聞こえる。


「気付かれずに出るには今しかないな」


 静かに扉を開け、男たちの方を確認する。丁度部屋に入っているようで二つの扉が開いていた。カイに手で合図すると物音を立てぬように通路に出る。

 男たちの声を後方に捉えながら進む。階段を昇ると重厚な扉があった。杖屋にあるような頑丈な扉だ。

 扉を僅かに押し、隙間から外部を見渡す。そこは豪奢な調度品が並ぶ屋敷の部屋の一角だった。見える範囲では誰もいない。

 素早く部屋に入ると重い扉を静かに閉める。正面には別の扉、右手には長椅子とテーブル、左手には調度品としての槍や剣が壁に飾られていた。


「やった、屋敷の内部に入れましたね」


 カイの顔には喜びと緊張が混在していた。


「これからが本番だぞ。気を抜くな」


 ソルの言葉は己にも向けられていた。

 部屋に身を隠す場所はない。地下の男たちが帰って来る前にここを出なければ。

 二人が進むと正面の扉の取手が動いた。


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