53、女衒と獣
魔道具の灯りが灯る通路をラルスが歩いていた。彼の背後には、大きな鞄を持った一人の侍従が付き従っている。
長い廊下の両脇には等間隔で扉が並んでいた。古い石造りの通路には重苦しい雰囲気が漂っている。歩く二人の男の足音の他に、微かな女の笑い声と啜り泣く声、そして何かを呟く声が廊下に渦巻いていた。
ラルスは八と小さく書かれた扉の前で止まった。
軽く扉を叩くと部屋に入る。部屋はベッドと鏡台があるだけの狭い空間だった。鏡台には今流行りの細長い煙管が無造作に置かれている。
濃い煙の匂いに後ろの侍従が顔を顰めた。ラルスは表情を変えず、ベッドに横たわる少女の傍らに立った。
少女は虚な目と弛緩した表情をしていたが、その青い瞳にラルスが映ると空虚な顔に光が灯った。薄い夜着を着た体を起こし、頬を紅潮させる。
「ラルス様、会いたかったです!」
「私もだよ。今週は一番働いてくれたね。おかげで皆助かっているよ」
ラルスが優しく微笑み少女の頭を撫でる。少女は弾けんばかりの笑顔を見せた。
「今日はご褒美を持ってきたよ」
背後の侍従が鞄から美しいドレスを出し、ラルスに渡した。彼はドレスを広げ少女に見せた。
「君に似合うと思って用意したんだ。気に入ってくれるといいんだが」
ドレスを受け取った少女は感極まった様子だった。ドレスを抱きしめ、潤んだ瞳で秀麗な女衒を見上げる。
「嬉しい!こんなにも私のことを思ってくれていたんですね!」
「そうだよ。いつも君の事を思っている」
ラルスの爽やかな笑みに少女は心酔の眼差しを送る。彼は上着のポケットから乾燥した植物片が入った小袋を出し彼女に握らせた。
「これはいつものだよ。吸い過ぎにには注意しなさい」
少女はラルスの顔を見つめたまま頷いたが、急に目を伏せて恥ずかしそうに呟いた。
「あの、この前の白い粉の薬がまた欲しい、です…」
「おやおや、アレがすっかり気に入ってしまったようだね」
彼の声は困り気味であったが、表情は変わらなかった。
「アレは最近出回り始めたばかりで、簡単に入手できないんだ。でも君の為なら手に入れてみせるよ」
ラルスは少女の手を取り、青白い甲に口づけをした。少女の顔が更に紅潮する。
熱に浮かされたような少女に別れを告げ、女衒は部屋を出る。
通路を歩き始めた彼の顔から微笑みは消えていた。通路を進み、階段を昇ると頑丈な鋼鉄製の扉があった。侍従が重い扉を開けると、美しい調度品で飾られた部屋に出た。部屋には武装した見張りの男が一人立っている。
ラルスは侍従に向き直る事なく口を開いた。
「一番はもう限界ですね。明日にでも北の娼館に送りなさい。あそこでならまだ使えるでしょう」
侍従は静かに彼の指示を帳面に書き込んでいく。
「三番は薬がダメな方に効いてしまったようです。客に危害を加える可能性があるので売ります。アンダナンの奴隷商に引き取りの要請を」
ラルスは次々と商品に対する指示を出していく。その顔に感情はない。少女たちをものとして扱い、損得で切り捨てる非情な女衒の顔だった。
「八番にはアレを用意してください。ただし、渡す量は最小にすること。上客のお気に入りですから、まだ壊れてしまっては困ります」
ラルスは指示を出し終えると、侍従を残して部屋を後にした。
磨き上げられた大理石の廊下を進んでいると、後方から別の侍従がやってきた。
「ラルス様、団長殿と連絡がつきました。今夜おいでになるそうです」
「分かりました。では準備を」
「あと、あの貴族の娘ですが、アーゲイン様が所望されております。今夜にでも王都へ送れとのことです」
「あの方はまだ派閥争いを続けておられるのですね」
ラルスは遠い王都に居る主の姿を思い起こす。裏社会に堕ちていた自分に道を与えてくれた主は、常に争いの中にいた。
「貴族の肩書きがある商品をなくすのは惜しいですが、主の希望なら喜んで従いましょう。船の準備は任せます」
黒服は頭を下げると来た道を戻って行った。
新しく入ってきた少女二人の処遇は決まった。貴族の少女は外部から持ち込まれたものだ。何でも薬関係を仕切っている一派の尻拭いらしいが、詳細は聞いていない。
攫った理由など興味もないので敢えて聞こうとも思わないが。こちらは保管場所を提供しているだけ。あわよくば商品にとは考えていたが、それは叶わなかった。貴族の魔術師は使い道が多い。あの娘は主の良き道具となるだろう。
もう一人は当初から好きにして良いと指示を受けていた。こちらも魔術師であるが肩書きのない一般の魔術師は今は必要ないようだ。ラルスとしてはありがたい事だった。質の良い商品は大きな利益を生む。
ラルスの口元に僅かな笑み。全て順調に進んでいる。今までも、そしてこれからも。
薄靄が立ち込める庭園を横目に歩を進めて行く。窓硝子に映る横顔には余裕と自信があった。憐れな少女たちの心体を犠牲にして、富と地位を築く女衒の歩みは止まらない。
重い長靴が木材の床を軋ませる。曇った硝子の向こうには、厚い雲の覆われた空と薄靄に包まれた街が見える。
シャズはイーリスを抱えて埃が舞う廊下を進む。
ここは屋敷の裏にある別棟だった。豪奢な屋敷と比較すると古く、見劣りするが造りはしっかりした頑丈な建物であった。一階は用心棒らの滞在場所となっていたが、二階は長らく使用されていなかった。おかげでシャズの外套の裾は埃に塗れていた。
腕の中のイーリスは動かずにじっとしていたが、急に何かに気づいたようにソワソワし始めた。シャズは歩みは止めず彼女の動きを注視する。
イーリスは手を握ったり開いたりしたかと思えば、指を合わせたり交差させたりと忙しない。手遊びをしているように見えなくもない。
顔を覗き込むと夜明けの瞳には隠しきれない好奇心の光。先程の不吉な表情とは一変していた。
「どうした。変だぞ」
変と言われてもイーリスの表情は変わらなかった。シャズの言葉にしばらく黙していたが、小さく口を開いた。
「…随分手触りの良さそうな服を着ていますね」
「あ?」
シャズはイーリスの言葉の意図が分からなかった。だが、彼の腕を触りたそうに指を泳がせている様子を見て何となく察した。
「触りたきゃ触れよ。俺は気にしねぇ」
イーリスは目を輝かせると、自分を包んでいる逞しい腕に触れた。きめ細かく滑らかな手触り。猫の毛に似ているが猫より硬く短かった。指の腹を滑らせその感触を堪能している。
シャズは彼女のあまりにも緊張感のない行動に呆れていた。これから売られるというのに、何も感じていないのだろうか。
無邪気な顔になったイーリスを見下ろすと、触られ続ける腕がこそばゆくなった。こんなに他人から毛皮を撫で繰り回されるのは初めてだ。
「おい、その辺にしといてくれ。手元が狂ってお前を落っことすかもしれねぇ」
イーリスは渋々手を引っ込めた。
「いい手触りでした。ありがとうございます」
礼を言われてシャズは気恥ずかしくなった。それと同時に、仮にも敵側である人物に素直に礼を言うイーリスを理解できないでいた。しかし、自分の体の一部を褒められるのは存外悪くない。
だからか、言わなくていい事まで言ってしまう。
「それな、服じゃねぇ。俺の毛皮だ」
彼女の反応が見たかったというものある。恐れか、驚愕か、盲目の少女はどんな表情を見せるのか。
「そうなんですか。毛皮を持つ人も居るのですね」
見当違いな返答をされ、シャズは肩透かしを食らった。
「そんな人間いるかよ。俺は獣憑きだ」
獣憑き、そう言ってもイーリスは恐怖や恐れる様子はない。寧ろ嬉しそうにしている。
「それならソルさんと一緒です。だから似た匂いがしたんですね」
一人納得した表情のイーリス。
シャズの灰色の瞳には好戦的な炎が広がった。
「そいつはお前の盾か」
「そうです。きっと今頃私を探しているはずです」
「残念だが、そいつは奴隷商に売られているだろうよ」
言葉とは裏腹に彼の炎は翳りを見せない。
この娘、経緯は知らないが獣憑きを盾にしている。闇世界の住人でもない一般の魔術師が、忌み嫌われている獣憑きを盾に採用するとは。無知故か、それとも豪胆な性格のせいか。
イーリスの緩んだ口元が引き締まる。
「いえ、ソルさんは私を迎えに来ます。もうあなたたちの言うことは信じません」
彼女の確固とした口調に、シャズは唸るような笑い声を上げた。犬歯を剥き出しにした獰猛な笑みだった。
「おもしれぇ。そりゃあ是非来てもらいたい」
「それは、ソルさんとお友達になりたいという事ですか」
「そうだな。楽しい殺し合いをしてぇもんだ。同族ならさぞ良い死合になるだろうよ」
イーリスは彼の意図が分からず首を傾げている。
灰色の瞳はもうイーリスを見ていなかった。闘いの予感が凶暴な衝動を掻き立てる。闘いに飢えた獅子の興味はまだ見ぬ同族へと向けられた。




