52、蹂躙
大斧の男はイーリスとエルネスティーネを交互に見る。
「お前はどっちがいい?」
「俺はそっちの学生服の方だな」
「いいぜ」
槍の男がエルネスティーネに近づく。その顔には隠すことのない凶暴さが現れていた。これからどうこの娘を蹂躙するかで頭は一杯だろう。
エルネスティーネは男から距離を取るように後ろに下がるが、壁に背中が当たってしまった。瞳には恐怖。
大斧の男はベッドに座したまま動かないイーリスを乱暴に押し倒した。
それでも彼女は僅かに表情を歪ませただけだった。
「お前は肝が座ってんな。普通なら泣き叫んでるところだぜ」
「そうですか?」
「変わった奴だな。でもまぁ、直ぐにいい声聞かせてくれるだろうよ」
男は背部の大斧を外しベッドに立てかけ、イーリスに馬乗りになった。
強くなった男の匂いにイーリスは顔を顰めた。
「変な匂いがします」
「何だそりゃ、この状況で挑発してんのか」
「いえ、思ったことを言っただけです」
男は大きな手でイーリスの襟元を掴み、自分の顔に引き寄せた。彼女の頭と背は簡単に浮いた。
「俺は女子供も容赦なく殺してきた。お前だって例外じゃねぇぞ」
低い怒気をはらんだ声。放たれる殺気がイーリスの肌を刺す。しかし、彼女はまた顔を顰めただけだった。
「やっぱり変な匂いがします。気を悪くしないでくださいね。臭いと言ってるんじゃないですよ。不快な匂いではありますけど」
イーリスの弁明になっていない弁明に、男の額に青筋が走る。男は掴んでいた襟を離した。自由落下で彼女の上半身がベッドに着地する。同時に男が片手でイーリスの白い首を押さえつけた。一瞬だけイーリスの息が詰まった。
「舐めた口聞けんのも今の内だぞ」
男は空いた片手でイーリスのローブの留め具と服を引き裂いた。服のボタンが跳ねて床に転がる。胸元深くまで裂かれた服の間から薄い下着が見えている。男に悪鬼の笑みが宿る。
一方でエルネスティーネは迫る男から逃げ、部屋の隅まで来ていた。耳に入るイーリスの声を信じられない思いで聞いていた。目が見えないので状況を理解していないのかもしれないが、平然と挑発するその精神の強さに閉口する。
こちらは何も言えずに逃げているだけなのに。明確に向けられる悪意に、いつもの高慢な言葉は出てこない。
ゆっくりと追い詰めるように歩いてきた男は、エルネスティーネの逃げ道を塞ぐ。男はこの状況を楽しんでいた。
槍を横に放ると彼女の腕を掴み、床に引き倒した。圧倒的な力になす術なく、彼女は床に体を打ちつけた。短い悲鳴が漏れる。
「エルネスティーネさん?」
声に反応したのはイーリスだった。無惨に下着を裂かれ腹部まで露出しているのに、彼女の関心はここになかった。
「彼女に何をしているんですか」
「お前と同じ事に決まってんだろ。この後に及んで他人の心配かよ」
イーリスに跨る男は、一切の怯えを見せない彼女の態度に一抹の気味悪さを感じた。今まで様々な女を襲ってきたが、ここまで自分がされている事に無頓着な女は初めてだ。目の前の男を見ているようで見ていない夜明けの瞳から感情は読めない。
男は首を掴む手に力を入れた。イーリスは体を強張らせる。しかし表情は変わらない。
気に入らない、と細首に入れる力を強くする。イーリスは喘ぐように口を開けた。呼吸はできるが、かなり息苦しい。彼女の見せた苦悶の表情に、男の嗜虐心に満ちた顔が歪む。
その時、イーリスの両手が自身の首を掴む男の手首を握った。小さな抵抗に男は無意味だと笑う。
だが、次の瞬間、壮絶な音と共に男は野太い悲鳴を上げていた。
「どうした!?」
エルネスティーネに覆い被さっていた男が顔を上げる。ベッドから男が転がり落ちてきた。男は左腕を右手で掴み、耐え難い痛みと放つ患部を呻きながら見ていた。
掴んだ左腕の上、手首部分が大きくひしゃげていた。肉が裂け、腱や破砕された白い骨も見えている。手首から上は力なく垂れ下がっていた。血が溢れ出し床を赤く染める。
槍の男はエルネスティーネから手を放し、痛みに震える男の元へ行った。
「何があった!?」
歯を食いしばる男は問いに答えられない。歯の隙間から漏れる慟哭のような呻き声が部屋に響く。
槍の男が視線を上げると服を裂かれた少女がベッドに座っていた。膝の上に広げられた五指には血液が付着している。その白い顔や胸にも赤い斑点が付いていた。彼女は血痕など意も介さず、無邪気に微笑んでいた。
「お前がやったのか!」
槍の男は床に放っていた槍を拾い上げ、イーリスの喉元に突きつけた。
イーリスは微笑みを崩さない。
「初めてにしては上出来でしょうか」
彼女のズレた返答に男は怪訝な顔をする。イーリスは広げた両の五指を顔の高さに上げた。動いたせいで槍の穂先が喉の皮膚を薄く傷つける。しかし表情は変わらない。
「反動は避けられないみたいですね」
イーリスの両手は細かく震えていた。腕を上げていられず、両手を膝に戻す。
その一連の動作を、男は信じられない物を見る目で見ていた。喉元に刃を突きつけられても動じず微笑んでいる。それはまるで返り血を浴びて妖艶に微笑む妖女のようだった。
槍を握る男の手に汗が滲む。無意識の内に男は緊張していた。
「ご、殺せ…」
痛みと恥辱に塗れた男の目が槍の男を見上げる。
ほんの少し腕を動かすだけで少女の命を断つ事が可能だ。
男の手に力が入る。
「やめて!」
服の襟元を押さえたエルネスティーネの叫び声が響く。
だが、男の行動は止まらない。
槍の穂先が動く。
その時、鈍い音を立てて扉が蹴り開けられた。
男は反射的に槍を扉の方へ向けた。
「めんどくせぇ事してんじゃねぇよ」
外套で体を覆った大柄な男が不機嫌そうに入ってきた。鳶色の髪は鬣のようで堂々たる体躯は獅子の風格があった。
その後ろ、廊下にはさっきの侍従の姿もある。
「てめぇらみたいなアホはどうして定期的に湧くんだろうな」
大男の威圧感に槍の男は後ずさる。彼はこの大男を知っていた。雇い主であるラルスの用心棒筆頭であるシャズだ。いつもつまらなさそうにラルスの後ろに付き従っているのを見ている。図体だけだと思っていたが、相対すると異様な威圧感に気圧されてしまった。
「商品に手を出した奴は殺していいって言われてんだけどよ」
シャズはイーリスとエルネスティーネを一瞥し、男二人を睥睨した。それだけで槍の男は萎縮してしまった。彼に本能的な恐怖を感じたのだ。
「まだギリ未遂みてぇだな」
シャズは一瞬迷うように目を斜め上に向けた。
「なら、半殺しにしとくか」
正面に戻った灰色の瞳が槍の男を見据える。男は恐怖で固まっている。
シャズが動いたと思った時には槍の男は壁に激突していた。血反吐を吐き、凹んだ壁からずり落ちる。鎧の胸部分が大きく陥没していた。力を無くした手から槍が転がる。
シャズは外套から水平に出ていた脚を戻す。必死に呼吸を繰り返している男に近づくと槍を拾った。
外套から出た鳶色の体毛に包まれた逞しい腕と、鋭利な爪を持つ大きな五指に男の目は釘付けになった。目には特大の恐怖。
大きな獣の手は小枝でも折るように簡単に槍を真っ二つにする。
折った槍を其々両手に持つと、迷う事なく目の前の男の両大腿に突き刺した。
男の大きく開かれた口からは絞り出すような叫びが上がる。変形した鎧に胸郭を圧迫されている為、大きな叫びにはならなかった。
穂先と柄の断面が刺さった大腿から流れ出した出血が床に広がる。
「おい、逃げんなよ」
シャズは背後に声を投げかける。部屋から逃げようと腰を浮かしていた男がびくりと体を震わせた。
シャズが振り返ると、負傷した腕を掴んだままの男が息を飲んだ。灰色の瞳が次はお前だと語っていた。 大男が鍛えられた足を踏み出す。
「ってか、何でてめぇは負傷してんだ。この部屋に獣でも居たか」
男は嘲弄されても怒りなど微塵も湧いてこなかった。心は恐怖に塗り潰されている。
「痛そうな傷だな。俺はとっても優しいから痛みの元を取ってやるよ」
男は言葉の意味が分からず固まる。
そこへシャズの外套がはためき、何かが男の目の前を通過した。
一瞬だったので何が通過したのかは分からない。
すると、床に落下音。男が視線を下げると手首が大きく破損した自分の腕が落ちていた。元の半分程の長さになった前腕。その断面は鋭利な刃物に斬られたようになっていた。遅れて血液が噴出する。
事態を理解した男の口から絶叫。
「ほら、どうだ。痛みはマシになっただろ」
シャズの口角が僅かに上がる。だが、その言葉は絶叫している男に届いているかは分からない。
痛みの元凶を断つ為に負傷部位ごと斬り落とすという、優しさからは程遠い行為。男の反応からするに、痛みがマシになっていることはないだろう。
傍観者となっているエルネスティーネはシャズの行動が理解できなかった。自分たちを襲った男たちとは違う凶暴さを感じる。シャズの乱入によってエルネスティーネたちは危機から脱したのだが、緊張状態は続く。この大男の凶暴さに畏怖しているのだ。
シャズは外套から腕を出すと鋭利な爪に付いた血を払った。そして無造作に脚を振る。つま先が叫ぶ男の腹部に埋まり、廊下まで吹き飛ばした。男は気を失い倒れた。一時的か永久かは分からないが、これで彼は痛みから解放された。
「やっぱ、つまんねぇな。おい、片付けろ」
シャズの声に呼応して廊下から数人の侍従たちが入ってきた。彼らは手際よく虫の息の男を運び出す。廊下に倒れている男も回収されて行く。最後に大斧が引きずられながら運び出されると扉が閉められた。
部屋には大量の血痕と切断された腕が残された。シャズは腕を部屋の隅に蹴りやった。
「悪いな、後で掃除させるからよ」
声はエルネスティーネに向けられていた。彼女は青ざめた顔でただ頷くしかできなかった。
シャズはベッドに座っているイーリスへ近づいた。彼女の手や顔の血痕を見て興味の色が浮かぶ。
「お前があの男の手首をやったんだろ」
「さあ、どうでしょう」
「しらばっくれるつもりか」
「別に、答えるつもりがないだけです」
イーリスの声には僅かな棘が含まれる。彼は眠る前に居た男だ。自分を騙した者に対する静かな敵対心が燃えていた。
だが、シャズには小さな幼子の反抗のように見えていた。
「それは結構。まぁいい、お前はこれからか顔合わせの準備がある。ついて来い」
シャズは扉の方へ顎を上げ指し示すが、イーリスは動こうとしない。それを彼は彼女なりの反抗の続きだと思ったが、ある事を思い出す。
「見えないんだったな。忘れてたぜ」
シャズはイーリスに動くなと念を押すと両腕に抱え上げた。イーリスは抵抗する事なく腕に収まっている。予想外に従順な態度にシャズは拍子抜けした。だが、彼はイーリスに対する警戒は緩めていない。
男の手首を破壊するような術を持っている娘だ。恐らく魔術の類いだろうが、生憎と彼は魔術関連には疎かった。この娘の力についてはラルスに報告し指示を仰ぐ事にする。
「先に言っとくが、俺はさっきの男のようにはいかないからな」
忠告するシャズにイーリスは微笑みを浮かべる。
「私が恐いんですか?」
白い肌に血痕を散らせ、氷の微笑でシャズを見上げる彼女は冷酷な拷問吏に見えた。目が見えない筈だが、まるでこちら見えているようだ。
腕に抱く者へ不吉さを感じたシャズは目を逸らした。眠る前の彼女と雰囲気が違い過ぎる。得体の知れないものと置き換わってしまったと言われても信じてしまいそうだ。
「そうさ、恐いぜ。なんせ娘の皮を被った化け物かもしれねぇからよ」
シャズは内心を悟られないよう軽口を叩きながら部屋を出た。
扉が閉まると施錠された音がした。
一人残されたエルネスティーネは呆然と座っていた。深呼吸し心を落ち着かせる。恐怖で震えていた手を握り合わせていると、徐々に治ってきた。もう、今ここには自分を害する者はいない。
しばらくすると部屋を見渡す余裕が出てきた。
すると、血臭が充満する部屋の片隅で光る物を見つけた。
それは小さな希望になりうる物だった。




