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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第四章 混迷の街ベルダン
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51、囚われの身

 老朽化した白い家屋の庭で、幼い子供たちが遊んでいた。地面に絵を描いている子、追いかけっこをしている子、ぼろぼろの塀の隙間に小石を詰め込んでいる子。皆、様々な遊びに夢中になっている。

 そんな庭の片隅の小さな菜園でじっとしゃがんでいる子供がいた。歳の頃はニ、三歳程。肩まで伸びた黒髪に白い肌、黒曜石の瞳が一点をじっと見つめている。

 幼子の視線の先には、黒い羽根に青い模様が入った蝶がいた。蝶は黄色い花の蜜を吸っている。


 子はここが好きだった。菜園に咲く雑草や野菜の花によく蝶が集まって来るからだ。美しい羽根を持つ蝶は絵本で見た妖精のようだった。いつか自分にもあんな羽が生えるのではと期待していた。幼子の夢だ。

 優しい暖かな風が吹くと、蝶は何処かへ舞って行った。子は蝶が見えなくなるまで目で追っていた。見えなくなると、子が残念そうに口を膨らませた。


「おやおや、また口を膨らませて。カエルになっちまうよ」


 子の隣に白髪で痩せた老婆がやって来た。


「だって、ちょうちょしゃんいっちゃった。」

「蝶々も忙しいんだよ。いい子にしてたらまた来るよ」


 子の大きな瞳が老婆を見上げる。老婆は深い皺が刻まれた顔に温かな笑みを作った。

 遠くで澄んだ鐘の音が鳴る。遊んでいた子供たちが家に入って行く。


「ほら、お昼の時間だよ。中にお入り」

「おひるはなにたべる?」

「いつもの特性芋スープと特性パンさ」

「えー、またおにくたべたい」


 子はまた口を膨らませた。


「あれは特別な時しか食べられないよ」


 老婆は変わらず笑みを作っているが、声には僅かに悲しみが含まれていた。それに子が気づくはずもない。


「えー」


 子は不満を漏らしながら立ち上がると、老婆の白い前掛けを握った。


「しぇんしぇい、みーなちゃんとあそびたい」


 子の目には無邪気な期待の光があった。先生と呼ばれた老婆は言葉に詰まる。顔から笑みが消える。


「ねーえ」


 返答が返ってこないので、子は前掛けを引っ張った。老婆は弾かれたように笑みを作ると、子の頭を撫でた。


「ミーナちゃんはね、新しい家族のところへ行ったからもう会えないよ」

「えー、あえないの。あたらしいかぞくってどこ?いいところ?」


 子にはまだよく分からない話だった。老婆は前掛けを握る小さな手を取り握った。


「ここよりいいところさ。今頃ミーナちゃんはふかふかのパンを食べてるかもしれないね」

「いーなー。ふかふかぱんたべたい」


 老婆と子は手を繋いだまま歩き始めた。子はふかふかパンを想像しているようだった。いつも食べる固いパンからは連想できないだろう。

 二人が家に入ると庭には静寂が訪れた。


 それは何でもない日常の風景。世界に光と色が満ちていた頃の記憶の断片。

 でもそれは意識すると引き波のように去って行く。掴みたい記憶は、握りしめても指の隙間から溢れて消える。

(もっと思い出したい)

 そんな思いも虚しく、白い家屋とささやかな庭の風景が薄れて行く。

 意識の中に甲高い声が混じる。何をそんなに喚いているのやら。頼むから静かにして欲しい。そう願っても声はどんどん近くなっていった。






「ちょっと!起きなさいよ!」


 甲高い声が耳に響く。身体が揺さぶられている。まどろむ意識の中で、イーリスは自分が寝ていた事に気づく。どうして寝てしまったのか思い出せない。


「起きなさいって!」


 頬に強い痛み。イーリスは反射的に開眼した。目の前にぼんやり影を感じる。


「起きた!ちょっと、大丈夫なの!?」

「誰、ですか?」

「え、あたしよ。覚えてないの!?」


 甲高い声の主は衝撃を受けたようだった。イーリスはまだ動きの鈍い頭で声の主を思い出す。ふんわりと香る甘い果実のような匂いもする。


「エルネスティーネさん?」

「なんだ、覚えてるじゃない」


 声の主は安堵した。珊瑚色の髪に学生服の少女は、セレスタで決闘をしてプライドをへし折ったエルネスティーネだった。

 イーリスはゆっくりを体を起こした。両腕には重く冷たい金属の感覚。動くと鎖が擦れる音がする。頑丈な枷が両手を繋いでいた。同じ枷がエルネスティーネの両手首にもある。

 二人はベッドと床頭台があるだけの簡素な部屋にいた。窓には鉄格子が嵌っている。


「ここはどこですか?」

「南区の何処かの屋敷。私も気づいたらここに居たから詳しくは分からないの。まさか、こんなところで再会するとは思わなかったわ」


 エルネスティーネはベッドに腰を下ろした。イーリスは痛みが残る頬を触る。


「あ、それはあんたがあまりにも起きないから、強めにつねっちゃった」

「そうですか」


 イーリスはぼんやりとした頭で、寝てしまう前の記憶を手繰り寄せる。

 エルネスティーネは頬に手を当てたまま動かないイーリスの顔を覗き込んだ。


「で、あんたはどうして捕まったわけ?あんな強い盾がいるのに」

「盾…ソルさん…」


 イーリスの頭に最後に別れた時のソルの声が蘇った。同時に寝る前の記憶が洪水のように溢れてくる。


「ここは騎士団の療養所ですよね?ソルさんが怪我をしてここに居ると聞いたのです」


 イーリスは頬の手を膝に置いた。エルネスティーネは眉根を寄せる。


「あんた騙されてるわよ。ずっと窓の外を見てたけど、騎士団なんて出入りしてないわ」

「…私は騙されたのですか」


 イーリスは悲嘆するかと思いきや薄く微笑んだ。エルネスティーネは理解不能といった表情になる。


「じゃあ、ソルさんは怪我していないんですね。よかった…」


 彼女は囚われたと分かっても尚、ソルの安否を気にしていたのだ。


「全然良くないわよ!あんた自分の置かれた状況理解してんの!?」


 微笑むイーリスへエルネスティーネは猛然と言い放つ。


「ここの主は多分、人身売買している奴らよ。少しだけ会話を聞いたもの。あたしたち、このままじゃ売られちゃうのよ!」

「それは困りますね」


 笑みを消したイーリスだが、声に緊張感はない。エルネスティーネは大きくため息をついた。


「やっぱ、あんたと話すと調子狂うわ」


 エルネスティーネはベッドから腰を上げると、床頭台に載っている水差しから小さなコップに水を注いだ。それをイーリスに差し出す。

 しかし、イーリスは一向に気づく様子がない。


「ちょっと、水よ。薬か何か飲まされたんでしょ。飲んどきなさいよ」


 エルネスティーネの言葉に反応したイーリスがゆっくりと手を伸ばすが、何もない空間を掴んでいた。そして探るように手を動かす。

 彼女の行動を不審に思っていたエルネスティーネだったが、ここでイーリスの目に気づいた。


「あんた、目が見えないの?」

「はい」


 エルネスティーネは何も言えずイーリスの手にコップを握らせた。少しづつ水を飲む彼女を見ながらセレスタでの決闘を思い出していた。圧倒的な敗北と、間近に感じた死の恐怖。無意識に体に力が入り、手のひらに汗が滲む。

 あの時の精神的なダメージは大きく、この部屋にイーリスが運び込まれてきた時は息が止まりそうだった。それでも、監禁されているという異常事態下だったので声をかける事ができた。いつも通りに振る舞えている。これが平時での再会であれば、何も言えず萎縮してしまっていたかもしれない。


 そして、今回新たな事実を知った。あれ程の魔術を魔力探知のみで操作していた事に驚きを隠せない。探知の精密さが桁違いだ。才覚の差を痛感する。

 折られた自尊心が時間の経過と共に回復しつつあったが、再び折られそうだった。

 エルネスティーネは頭を振ると、自分の頬を両手で軽く叩いた。悲壮な顔から一転していつもの高慢な顔に戻る。


「ここから出る方法を考えなくちゃね。情報をまとめましょ」


 空になったコップをイーリスの手から取ると水差しの隣に置いた。

 それから二人はここに囚われるまでの経緯を話し合った。

 エルネスティーネはこの街の魔術師協会支部に行く為に来ていたが、馬屋近くで馬車を降りた時に何者かに襲われ意識を失ったとのことだった。その場にはカイも居たが全く役に立たなかったそうだ。


「もう一人、ヨルクさんは居なかったんですか?」

「ヨルクは屋敷の警備が足りないから先に戻ってもらってたの」


 エルネスティーネはベッドの足元に仰向けに寝転がった。珊瑚色の髪が白いシーツに広がる。


「あーあ、帰すんじゃなかった。あんたの方はまんまと盾と引き離されたって感じね。なんか、あらかじめ計画されてたみたい」

「そこまでしますかね」

「そこまでしてでも捕えたかったんじゃない?」


 エルネスティーネは顔だけイーリスの方へ向けた。


「もしかしたら最近頻発してる魔術師の失踪事件に関係してるかもしれない。ほら、あたしたち魔術師だし」

「魔術師って高く売れるんですか?」

「知らないわよ。この国は人身売買は法で禁止されてるの。闇社会での魔術師の相場なんて知りたくもないわ」


 イーリスはエルネスティーネの声に耳を傾けながら、ローブのフードに手を入れた。そこには何もない。ローブの内ポケットも押さえて確認するが、やはり何もない。


「何か探してんの?」

「アビィとも逸れてしまったみたいで」

「アビィ?」

「私の家族です。このくらいの生き物なんですが、凄く食いしん坊なんですよ。」


 イーリスは片手でアビィの大きさを示す。


「小さいのね。ここで逸れたの?」

「はい。私が眠るまでは傍にいました」

「それなら屋敷のどこかにいるわね」


 エルネスティーネはうつ伏せになり、両肘をついて顎を両手に載せた。


「でも、どうやったらここから出れるのー。杖があればどかーんってやれるのに」

「杖の代わりになる物はないですか?」

「そんな物この部屋にはないわよ」


 枷をつけた非力な少女二人では、施錠された扉をこじ開ける事すら叶わない。武器になりそうなのは水差しくらいか。

 妙案が浮かぶ事もなく時間だけが過ぎて行く。


 扉の方から声が聞こえた。二人は静かに耳を澄ます。何やら言い合っているようだ。

 数秒後鍵が開けられ、扉から男が二人入ってきた。

エルネスティーネは即座にベッドから立ち警戒する。 イーリスは微動だにしない。

 部屋に入ってきたのは、一人は重装で大斧を装備した男。もう一人は軽量の鎧で槍を片手に持った男だった。その男たちの後ろには困り顔の侍従が立っていた。


「困りますよ!この娘たちはラルスさんの大事な商品です!勝手に手を出したら」

「うるせぇよ」


 侍従の叫びを大斧の男の低い声が一蹴した。侍従はびくりと肩を振るわせる。


「俺たちはこの屋敷を守ってんだよ。毎日毎日な。たまには褒美があってもいいだろ。なぁ」

「娼館の居住区の女には手を出すなと言われている。だが、ここは居住区ではない。問題ないだろう」


 武装した男二人は薄ら笑いを浮かべ、イーリスとエルネスティーネを品定めをするように眺める。

 エルネスティーネの顔には隠しきれない嫌悪感が滲み出ている。イーリスの表情は変わらない。


「邪魔したら痛い目を見るぞ」


 槍の男が後ろ手に扉を閉めた。侍従の慌ただしい足音が遠ざかって行く。

 本能を剥き出しにした男たちと、必死に睨みつけるエルネスティーネの視線が交錯する。


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