50、商品
二人の男女がこちらを見下ろしていた。男の忌々しいものを見るような視線が突き刺さる。女の静かな啜り泣きが耳に痛い。
どうして男はそんな目で見ているのか、どうして女は泣いているのか。そんな事、分かりきっている。
これは夢だ。幼い頃の記憶をなぞっているだけの夢。思い出したくない。忘れてしまえばいいと何度思ったことか。意思に反して頭は記憶を保持し続けている。こればかりはどうしようもない。
夢の中で振り向くと、三人の子供が怯えた目でこちらを見ていた。その中の一人は頬に痣を作り、鼻血を拭いていた。服にも赤い斑点が付いている。他の二人が怪我している子供を守るように、一歩前に出ていた。
自分の小さな拳にも赤い斑点が付いている。あの子供の血だ。
拳に小さな痛みが走る。薄い皮膚が剥けているのだ。痛みの記憶まで蘇らせる頭に嫌気がさす。自分の頭は悪趣味らしい。
顔を戻すと男女は消えていた。その代わり横から低い声が聞こえてきた。記憶の場面が変わったようだ。 声の方を見ると、小太りの男がさっき正面にいた男に金を渡していた。男は金を懐に入れると足早に立ち去った。
夢の中の自分は何かを叫んで男の後を追っていた。高くなった視線の先で、男は声に反応する事なく去って行く。
必死に追うも、急に息が詰まり、強い力で後ろに引き倒された。首を触ると金属の太い首輪が巻き付いている。首輪には鎖が繋がっていた。仰向けの視界には抜けるような青い空。それに、自分を見下ろす男たちの侮蔑や怒りに満ちた顔。
その時の自分はどんな顔をしていたのだろうか。そんな事、鏡など無ければ分かるはずもないし、解らなくともよい。
だが、その時の感情は鮮烈に覚えている。絶望、孤独、不安、そして悲嘆。それらが混ぜ合わさり、心を塗り潰していた。
男たちの拳や足が体を打つ。強く目を瞑った。容赦ない攻撃は痩せた身体を痛めつける。体を丸めて耐え、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
頭に衝撃が走った。
まどろむ意識の中で、ソルは頭に衝撃を感じた。重い瞼を開ける。半分しか開いていない目に映ったのは、薄暗い闇だった。闇は動いているように見える。目を動かそうとするも動かない。
頭に霧がかかったように思考がぼやけて、何も考えられない。
「おい、お前も手伝えよ。こいつやたら重いんだぜ」
「バーカ。俺は監視役だ。起きないか見張ってんだよ」
「あんだけガス吸わせといて起きる訳ねーだろ」
二人の男の声が聞こえる。声には膜がかかって聞き取りづらい。それでも、声のおかげか頭の霧が薄れてきた。同時に何かを引きずる音も聞こえる。
「そうだけどよ、今日は持病の腰痛が」
「嘘ならもっとマシな嘘つけよ」
目も徐々に周囲の状況を認識し始めていた。闇の中に見えるのは木製の天井。その天井はゆっくり動いていた。
目を少し動かす事ができた。下に視線を動かすと自分の脚を両脇に抱えた男が見えた。横にはもう一人が立っていた。腰をさする仕草をしている。その手にはイーリスの杖が握られていた。
ソルはようやく自分の置かれた状況を理解した。ガスで意識を失わされ、何処かへ運ばれている最中だ。 仰向けで引き摺られている。時折、浮いた床板や段差に後頭部が当たっていた。
思考が鮮明になるにつれ、音が纏っていた膜が取れてきた。床を踏む足音、金属が擦れる音、そして自分が引き摺られる音。全て耳に流れ込んで来る。
「昨日の男は起きたと思うか」
「流石に起きてんじゃねえの」
「でも部屋から物音しないんだよな」
「追加で吸わせたガスが多かったかもな」
こいつらはこの手口の常習犯らしい。
両手は胸の上で、ご丁寧に縄で括って拘束されている。腰の双剣もない。
ソルは体が動くか確かめる為に指先に力を入れる。感覚は鈍いが動かなくはない。身体が元に戻るにはもう少し時間がかかりそうだ。
それまでは男たちの言動を観察する。
ソルの脚を抱えている男はどこにでもいる街のゴロツキと言った風貌だ。大して鍛えられていない体躯に短剣を二本装備していた。隣の男も同じようだった。違うのは装備が長剣だという事。
「明日だよな、アンダナンの奴隷商が来んの。あいつら気味悪いから嫌いなんだよな」
「あんなん好きな奴なんていねぇって。今回はこいつを入れて二人だけだから、さっさと取引終わらせようや」
「これ以上、品が増えねぇならいいけどな」
その後も男たちは喋り続ける。話を聞いている限り、ソルはこれから奴隷商に売られるようだ。平和そうに見えるこの国でも人身売買が横行してるのか。さて、自分はいくらになるのだろうか、と他人事のように考える。
ソルは動いていく天井を見つめた。
(これで二度目、か)
心中で自嘲する。不愉快な夢の残滓が頭を掠めた。
そして気になるのはイーリスの行方だった。ソルが奴隷商に売られようとしている事から、彼女も人身売買狙いの犯罪組織に捕まっている可能性がある。ぐずぐずしていると取り返しのつかない事態になる。
残りの眠気が一気に吹き飛んだ。
男たちは開け放たれた部屋にソルを引き入れた。廊下より暗いその部屋には、鉄格子の檻がいくつか置いてあった。檻の中には金属製の拘束具が落ちている。
杖を持っている男が檻の扉を開けた。
ソルは薄目を開けて檻を確認する。かなり頑丈な造りになっており、中からの脱出には時間がかかるだろう。
まだ 完全回復していないが、動くなら今しかない。
ソルは渾身の力を込めて両脚を床に振り下ろした。両腕からソルの脚が消えた勢いで、抱えていた男が訳もわからずバランスを崩す。ソルは自由になった両脚で男の脚を払う。バランスを崩していた男は簡単に倒れた。
檻の扉を開けていた男が一拍遅れて事態に気づく。顔には驚愕。その時にはソルは腹筋と背筋を使い跳ね起きていた。
男は杖を投げ捨てると剣を抜いて斬りかかる。あまりにも稚拙な剣筋。ソルは剣の軌道に合わせて両手を差し出し、縄の拘束を断ち切らせる。
そのまま解放された右手で男の顔面に拳を叩き込んだ。男は部屋の隅まで飛んで行き、檻にぶつかり動かなくなった。
背後から倒された男が短剣を振り翳した。ソルは振り返る事なく、身体をずらして短剣を避ける。空振った男の腕を掴んで背後に捻り上げる。痛みで男は短剣を床に落とした。もう一本の短剣を男が取るよりも先にソルが抜き取った。男の手は何もない腰を弄るだけになった。
男の膝裏を蹴って跪かせると、腕を回して短剣を首に突き付けた。男の動きが止まり、目には特大の恐怖が浮かぶ。
「ななな、何で…あれだけ吸って起きられるはずが…」
「俺の身体は特別なんだ」
今まで訓練で薬物類の耐性をつける為に、何回も様々な毒物や薬物を投与されたが、ソルは異様に回復が早かった。これも獣憑き故の体質だろう。
「魔術師の少女はどこだ」
「し、知らねぇ…」
男の掠れた声に対してソルは地の底から響くような低い声。
「知らないならお前に用はない」
ソルは短剣を首に押し当てる。
「ひゃ、ひゃめて!」
冷たい刃の感覚と鋭い痛みに、男の口から絶叫に近い悲鳴が漏れた。
「ら、ら、ラルスさんのところだと思い、ます!」
「それは本当か」
「ほ、本当です!」
短剣に水滴が落ちる。男の目から涙が溢れていた。よく見ると鼻水も流れている。
「そいつの居場所は」
「南区の…」
男が喋った場所を覚えると、首に押し当てていた短剣を少し離した。男はまだ泣いている。
「お前の言う場所が嘘だったら真っ先に戻って殺してやる」
耳元で囁くと、男は嘘じゃないと何度も繰り返した。あまりにも喚くので、短剣の柄で側頭部を殴って気絶させる。少し脅かし過ぎたか。
男の様子から嘘を言っている可能性は少ない。装備を回収して向かわねば。
装備の場所を聞いてから気絶させればよかったと、今更ながらにソルは思った。
この部屋を見回してみるもそれらしきものはない。他の部屋を探そうと一歩踏み出した時、小さな呻き声が聞こえた。声の方に顔を向けると、檻の一つに甲冑姿の男が横たわっていた。
男たちが言っていたもう一人の商品のようだ。この男も理不尽に閉じ込められているのだろう。このまま見捨てるのは気が引けるので檻に近づいた。
甲冑の男はこちらに背を向けていた。僅かに腕が動いている。ソルは鉄格子の隙間に手を入れると、男の肩を掴み仰向けにした。
短い黒髪で額に傷のある男だった。その顔にソルは見覚えがある。
「カイ…?」
セレスタで会った大型犬のような男。高慢な魔術師エルネスティーネの盾をしていたカイだった。色々と疑問が湧き上がるが、時間がない。カイの肩を揺さぶり起こす。
呻き声と共に震える瞼が開かれた。茶色の瞳が周囲を探り、ソルの姿を捉えた。
「…あ、れ?…セレスタでの…」
ぼんやりとした瞳でソルを見上げる。まだ意識がはっきりしていないようだ。
「今出してやる」
ソルは檻の錠前を確認する。鍵の仕組みは簡単だが強度が高かった。強引に開けるのは無理そうだ。ソルは倒れた二人の男の持ち物を探った。すると、顔面を凹ませている男の上着から鍵が見つかった。
檻の鍵を開けるとカイを引っ張り出す。
「な、何でこんなところに…?…僕、は何をしてい…た…?」
ガスのせいで記憶が混乱しているのか、カイは状況が飲み込めていなかった。彼の身体はまだ指先以外動かない。
「装備を探して来る。待ってろ」
ソルはカイの返答を待たずに部屋を出た。手近な部屋を片っ端から開けて探して行く。何もない空き部屋が多かった。
一番奥の部屋に入ると酒の臭気が鼻を突いた。テーブルには空の酒瓶が転がり、隣の革張りの長椅子には中年女がいびきをかいて寝ていた。あれだけ騒いでも来る様子がなかったのはこの為か。
部屋の隅に大きな木箱があった。中には大量の剣や杖が無造作に積まれていた。恐らく、今まで昏睡させて売り払った人々の装備なのだろう。
ソルの双剣は一番上にあった。その下には見覚えのある片手剣と盾がある。これはカイの装備だ。二人分の装備を回収すると静かに部屋を出た。
カイの元へ戻ると彼は床に座って肩を回していた。
「あ、ソル、さんでしたよね。助けてくれてありがとうございます」
ソルは軽く頷いた。剣と盾をカイに渡す。
「動けるか」
「はい、感覚は鈍いですが何とか」
カイは立ち上がり、剣と盾を装備した。そして、息を呑み、急に大きな声を上げた。
「エルネスティーネ様!」
その顔は青ざめ狼狽している。
「僕たち、何者かに襲われたんです!エルネスティーネ様も何処かに囚われているかもしれない!」
記憶がはっきりとしたカイは、主人を失った飼い犬のようにその場を右往左往していた。
「落ち着け、と言っても無理か。俺もイーリスと離れ離れになっている」
ソルの言葉にカイの足が止まった。
「状況からすると、お前の主人もイーリスと同じ場所に囚われている可能性がある」
「そんな…」
「俺は奪還に向かう。お前は騎士団に説明して応援を要請しろ」
ソルが踵を返すと、背後からカイが呼び止めた。
「僕も一緒に行きます!騎士団は信用なりません」
振り返るソル。カイは悲痛な顔をしていた。
「僕たちは馬車から降りた時に襲われたんです。その時、門近くの騎士団がこちらを見ていました。でも何もしてくれなかった…」
「この街は騎士団もグルなのか」
治安を維持する者が犯罪者に加担しているとは、この街の腐敗は根が深い。
「邪魔にならないようにするので僕も行かせてください!」
カイの腕前からすると足手纏いでしかないが、彼の必死な形相に頷くしなかった。カイの気持ちはよく分かる。今の自分と同じだ。
ソルはイーリスの杖を拾い、落ちていた細い鎖で括ると背中に担いだ。
「急ぐぞ。ついて来い」
二人の盾は靄が霧へと変化した街を駆け抜ける。護るべき存在を取り返す為に。




