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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第四章 混迷の街ベルダン
49/73

49、眠り

 ソルが老人に聞いた場所に着いた時には、雨足が弱まっていた。代わりに薄靄が立ち込めてきている。

 ずっと濡れっぱなしの身体は走っていても末端から冷えてくる。

 目の前には杖を描いた看板と重厚な扉があった。杖屋のように見える。周囲には誰もいない。メインの通りから外れたこの場所は静寂に包まれていた。

 ここは魔術師協会には見えないが、杖屋なので関係は深いのだろう。


 重い扉を開けて中に入ると誰もいなかった。空の商品棚には薄く埃が積もっている。僅かにカビ臭い。薄暗い店内には一本の蝋燭が火を灯していた。

 こんな所に人の出入りがあるのだろうか。

 そう思っていると奥から中年の女が出てきた。女はソルの持つ杖を見ると、素っ気ない態度で口を開いた。


「悪いけど杖屋は廃業してるんだよ」

「杖屋に用はない。俺の護衛する魔術師が協会の職員とここに来たと聞いたんだが」


 ソルの言葉に女は面倒臭さそうな表情になった。


「あー、あいつらね。ちょっと待ってな」


 女は怠そうに踵を返すと、奥の部屋に入って行った。

 女の言葉からするとここにイーリスが居るようだが、引っかかる。老人から話を聞いている時もそうだったが、作為的な何かを感じる。それにあの老人は少なくとも一つは嘘をついていた。

 老人の風貌から、庭師というのは嘘だろう。庭師なら日に焼けている筈だが、老人にはその痕跡がなかった。それに両手の爪が伸びて垢が溜まっていた。とても労働をしている者の手には見えない。

 素性を隠して接触してきたのは怪し過ぎる。しかし、手がかりのない状況では、言われた場所に行ってみるより他はない。

 誘拐ではないと一瞬は安堵したが、事態は不味い事になっているのではないか。罠である可能性も考慮し警戒は怠らない。


 ソルは暗い考えに沈みながら、服の裾を絞った。全身ずぶ濡れで体が重い。指先が冷えて血の気が引いている。寒さが苦手なソルは蝋燭の火に手を翳して温めた。小さな火でもじんわりと温かい。


 ふと下を見ると足元に白い靄がかかっていた。靄は徐々に足元から上へ昇って行く。

ハッとしたソルが見渡すと部屋の四隅から靄が噴き出ていた。いや、これは靄ではない、煙だ。

 罠に嵌められたのだ。ソルは歯噛みした。

 煙は直ぐに部屋を覆い尽くす。特に刺激臭はしないが、この展開なら有害なものに違いない。入り口の扉を開けようとするがびくともしない。奥の扉も同じく開かない。窓のないこの部屋からの退路は全て塞がれていた。


 煙で視界も狭まる。ソルはフードの襟元を伸ばして鼻と口を覆う。しかし、抗いようのない倦怠感と眠気が襲って来た。足元がふらつき、側のカウンターに手をついた。このままでは意識が持つのは数秒だろう。

 ソルは故郷での訓練を思い出し、眠気に抗う事をやめた。重い音を立てながら身体が床に倒れ伏す。意識が混濁し闇の中に落ちて行った。



*****



 豪奢な天蓋がついたベッドに、紺色のローブを来た少女が眠っていた。寝苦しいのが時折眉根が寄っている。

 側の机では金髪の男が分厚い台帳を開いていた。台帳には客の名とその好みが書かれている。男は丁寧に台帳を捲りながら目で追っていく。


「ありましたね。これはこれは団長殿ではないですか」


 男の美しい口唇が弧を描く。台帳から顔を上げて、寝ている少女に視線を向ける。

 この男、ラルスは女衒だった。唯の女衒ではない。富裕層のみを相手にした高級娼館を営んでいた。客の好みに合わせた女を用意する事で有名で、一部の層に強い人気があった。ラルスは客の好みとあればどんな女でも用意してきた。例えそれが未成年や素人であっても。

 この国では未成年、つまり十八歳未満の売春は認めていない。違法である。それでも希望する客は多いのだ。特に生娘である事を希望する客は後を絶えない。 ラルスは自分の美しい容姿に惹かれる年若い娘たちを言葉巧みに誘い、商品として客に提供していた。薬と甘い言葉で縛れば逃げ出す娘も少ない。


 ラルスは貧しい貧民街の娼婦の元に生まれ、暴力と嘘で塗り固められた半生を送っていた。母は美しかったが性格が破綻していた。機嫌が悪い時はよく殴られ、罵倒された。父の顔は知らない。

 十二歳の時に母が病死した時は正々したが、この容姿に生んでくれた事だけには感謝している。


 美しい女衒は静かに椅子から立ち上がった。少女は微動だにせず深い眠りに落ちてる。

 この少女もまた客の希望通りの容姿をしていた。頬に傷があるが、化粧をすれば誤魔化せるだろう。

 太客の要望を叶えることができれば、今後も大きな後ろ盾となるはずだ。特に騎士団関係者は、法に違反しているラルスからするとありがたい客だった。


 ラルスはベッドに腰掛けると、少女の顔を覗き込んだ。黒曜石の髪に同色の長い睫毛。一房白髪の部分があるが問題ない。薄い瞼の下には珍しい夜明けの瞳。白い肌に華奢な身体。思っていたより胸の肉付きがよい。これは気にいられるだろう。


 少女の手を取ると、滑らかな手の甲に口づけをした。

 上から、この魔術師を連れ去れと指示された時は面倒事になりそうで正直嫌だった。しかし、蓋を開けてみれば杖も持たない盲目の少女だった。いとも簡単に騙され、今ここに居る。

 盲目故、自分の容姿に惹かれる事がないのが難点だが、杖が無ければ一人で逃げるのは不可能だ。管理は難しくない。

 連れの盾の処分も今頃終わっているだろう。


 ラルスは思わぬ商品が手に入り上機嫌だった。

 少女の手をベッドに下ろした時、袖から出た腕に青黒い斑が見えた。彼の秀麗な眉がぴくりと動く。

 袖をたくし上げると同じような痣が数ヶ所あった。反対の腕も同じだった。

 ラルスは苦々しい顔になる。


「これでは商品にならない」


 一ヶ所ならともかく、これだけの痣があると価値が半減してしまう。

 彼は立ち上がると大きく二回手を叩いた。すると部屋の扉が開いて、大柄な男が入ってきた。首から下は外套で隠れている。


「シャズ、この娘を地下の居住区に連れて行きなさい」

「今日品出しするんじゃねぇのか」

「怪我をしていました。治るまでは出せない。今日は顔合わせのみとします」

「居住区は空きがもうねぇよ。昨日の貴族の娘のところでもいいか?」

「構いません。念の為、枷をしておいてください」


 ラルスはシャズと入れ替わり部屋を出て行った。

 シャズと呼ばれた男は静かに寝ている少女を見下ろした。彼の目には探るような色があった。


「似た匂い…か」


 彼は先刻、少女から似た匂いの男を示唆された事が気になっていた。薬で寝ている彼女は、しばらくは起きないだろう。

 シャズは薄く笑うと少女を抱えるべく両手を伸ばした。外套から二本の巨大な手が現れた。獣のような体毛に包まれた手には鋭利な五本の爪。一本一本がナイフのように大きい。腕も鳶色の体毛に包まれていた。 体毛越しでも発達した筋肉がはっきりと分かる。

 獣の腕を持つ男は、少女を傷つけないよう器用に腕を差し込むと軽々と抱え上げた。少女は身じろぎ一つしない。

 シャズは部屋を出ると足で扉を閉めた。




 広い屋敷の中を、小さい鼠のような生き物が這い回っていた。尖った鼻に背中の長い毛が特徴的だった。長い毛は針にも見える。

 鼠は大理石の床の上を滑りながら歩いていた。鼻を動かしながら、居なくなってしまった主人を探していた。鼠は優しい主人のことが好きだった。いつも甘やかし、食物を与えてくれる。そんな主人が、菓子の欠片に夢中になっている間に、急に居なくなった。

 まだまだたくさん甘やかして欲しいと、鼠は主人の匂いを追っていた。


 鼠にとってこの屋敷は広大だった。進んでも進んでも廊下が終わらない。たまに美味しそうな匂いに釣られて人間の後を追うと、たちまち居場所が分からなくなる。

 いつもは主人の鞄やフードの中で悠々と過ごしているので、こんなに動くのは久しぶりだった。さっき菓子を食べたのにまた腹が減ってくる。


 正面から侍女が乾かした洗濯物の山を持って来ている。鼠は咄嗟に壺を載せている台の下に隠れようとした。しかし、小さな四本足が滑って、廊下中央へ転がってしまった。

 そこへ侍女がやって来る。その時、山のような洗濯物が揺らぎ、前へ崩壊した。洗濯物は廊下に転がっていた鼠を覆い尽くす。


「やっちゃった…」


 年若い侍女は意気消沈し、洗濯物をかき集めると籠に入れた。再び山盛りになった籠を抱えると廊下を進んで行く。

 侍女が立ち去った後、鼠の姿は見えなくなっていた。



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