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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第四章 混迷の街ベルダン
48/71

48、思惑

 陰鬱とした雨の中を馬車が進んで行く。周囲には広い豪邸が並んでいる。道に人影はなく、街路樹と街灯だけが等間隔に立っていた。

 しばらくすると馬車が速度を落とした。一軒の屋敷の前で止まる。門番の男が門扉を開くと、馬車は屋敷の敷地に入った。庭園を通り、屋敷の正面入り口で止まる。

 馬車から身なりのいい男が紺色のローブを羽織った少女の手を引いて出てきた。男はイーリスに声をかけながら誘導し、屋敷内に入った。


 玄関ホールには高価な調度品が並び、美しい色とりどりの花が生けられていた。

 どう見ても騎士団の療養所ではなく、一般の屋敷なのだが、今のイーリスには知る術がない。

 イーリスの手を引く男は、金髪に瑠璃色の目で見目麗しい容貌をしていた。掃除をしていた侍女が手を止めて見惚れている。


「ここから先は部外者は入れません。上の者に許可を頂きますので、こちらの部屋でお待ちください」


 男はホールの右手にある部屋に誘導した。テーブルと椅子しかない簡素な部屋だが、どちらも希少な木材で作られており非常に高価なものだった。窓には豪奢なカーテンがかけられ外の様子は見えない。

 男はイーリスを椅子に座らせると部屋を出た。


 部屋にはイーリスしかいない。窓を打つ雨の音が耳に入る以外はシンと静かだった。

 イーリスの頭の中では、ソルに会える喜びと怪我に対する不安が堂々巡りしていた。この所、ソルには助けてもらいっぱなしだ。杖がないとお荷物になってしまう自分に不甲斐なさを感じる。

 ソルは護るのが役目だからと言ってくれたが、自分のせいで彼が傷つくのは嫌だった。そう、嫌なのだ。

 彼は強い。きっと、自分では想像もつかない程戦い続けていたのだろう。そんな彼は、例え自分のせいで傷ついたとしても責めるような事は言わない。

 今回も結果的に怪我を負わせている。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 まるで駄々を捏ねている幼児のように、言葉の羅列が頭を支配する。

 どうしてこんなに胸が詰まるのだろうか。


 イーリスが思考の渦に飲み込まれていると、誰かが部屋に入ってきた。さっきの男かと思ったが足音が違った。


「失礼します。お待ちの間にどうぞこちらをお召し上がりください」


 落ち着いた女の声と、食器同士が当たる音がする。

 侍女がお茶と焼き菓子を持って来ていた。ティーカップには湯気を上げる琥珀色の液体、白磁の皿にはクッキー生地にスライスしたナッツをまぶし、飴で薄くコーディングされた菓子が載っていた。芳醇な茶葉の香りと甘い香りがイーリスの鼻腔をくすぐる。

 侍女はテーブルに丁寧に並べると退室した。


 思考が中断されたイーリスは微動だにしない。

 空腹感はあるが、まだ食欲が湧かない。イーリスの手が動かないでいると、フードからアビィが顔を出した。鼻をひくつかせると彼女の肩によじ登った。一瞬で焼き菓子を捕捉すると、肩から飛び降りた。

 皿に突撃し焼き菓子を両手で握り、一心不乱に食べ始めた。

 サクサク、カリカリと小気味よい音が続いていく。

 その音を聞いていると菓子の味が気になった。イーリスは探りながら手を伸ばすと、菓子を一つ掴んだ。一口齧ってみると甘味が口の中で弾けた。目を見開き次の一口、次の一口と食べていく。飴の濃い甘みとナッツの香ばしさ、クッキーの食感が合わさったイーリス好みの菓子だった。

 気づくと菓子のほとんどを平らげていた。


 水分が欲しくなりお茶にも手を伸ばす。白磁に金の装飾が施されたティーカップに指先が触れた。

 こぼさないよう慎重に持つとゆっくり口にあてる。豊かな茶の香りの中に、柑橘類の爽やかな香りも含まれていた。苦味、渋味の少ないさっぱりとした味わいが菓子に合う。

 飲み進めていくと、茶葉の香りの奥底に覚えのある香りが隠れていた。覚えはあるが、何の香りだったかは具体的に思い出せない。それ程微かな香りだった。


 飲み干したカップを置く。温かい飲み物を飲んだ事で、身体が芯から温まった。頭が少しふわふわと浮いている感覚になる。

 アビィは食べこぼした菓子の欠片を探して、綺麗になったテーブルから白亜の床へ飛び降りた。鼻を動かしてテーブルの下に潜る。


 再び誰かが部屋に入ってきた。今度は二人分の足音があった。一つはさっきの男と同じ足音。もう一つは重い長靴の音。


「お待たせしてすいません」


 イーリスの横に二人の男が並んだ。先程の男と首から下を外套で隠した大柄な男だった。外套の男は鬣のような鳶色の髪をしていた。

 空になったカップを見た金髪の男は、満足そうに微笑んだ。異性でなくとも見惚れる笑みだった。


「お口に合ったようですね」

「はい、ありがとうございました。それで、面会には行けますか?」

「ええ、許可を頂きましたので。行きましょうか」


 金髪の男がイーリスの手を取り椅子から立たせる。

 その時、イーリスの鼻が嗅ぎ慣れた匂いを察知した。匂いの元の方へ顔を向ける。


「ソルさん…?」


 イーリスが向いた方には大柄な男が立っていた。男の灰色の目には興味の色が浮かんだ。


「悪いが、人違いだぜ」


 声を聞いたイーリスは勘違いしていたことに気づく。さっきから頭が上手く働かず浮遊感が増している。


「すいません。匂いが…似ていたので…」

「へぇ、面白い事を言うな」


 男は目を細め、粗野に笑う。その声に偽りなく、不愉快さは含まれていなかった、


 イーリスは浮遊感のある頭を振った。身体が揺れている気がする。左右上下の感覚が分からない。


「大丈夫ですか?」


 優しい声が聞こえる。だが、イーリスは返事ができなかった。猛烈な眠気が襲ってきたのだ。彼女は状況が理解できないまま体から力を失った。

 崩れ落ちるイーリスの体を金髪の男が支える。男の顔には変わらぬ笑み。長い指がイーリスの頬をなぞる。


「良い夢を」


 これが彼女の意識が暗転する前に聞いた、最後の言葉となった。




*****




 雨足は弱まる事なく石畳を打ち続けている。街の中央部も人通りが少なくなっていた。ガラガラの通りをソルは走っていた。その足の向かう先は西の端。


 先刻、杖を取り返したソルは急いでイーリスの待つ飲食店へ行った。しかし、そこには誰もいなかった。店員に聞いても分からないと言われてしまった。雨が降り始める前までは確かにそこに居たらしいが、気づいたらいなくなっていたとのこと。

 ソルは焦った。盲目の彼女が一人でどこかへ行くはずがない。拉致もしくは誘拐された可能性が高い。まさか騎士団が巡回する地区で、白昼堂々連れ去られるとは。窃盗とは訳が違う。

 杖を奪取するのに想定より時間がかかってしまったせいだ。一人にする時間が長過ぎたのだ。

 杖を握る手に力が入り手が白くなった。

 不甲斐ないと己を責めるのは後だ。今は一刻も早く彼女の所在を突き止めなければならない。


 ソルは店の外に出ると、何か手がかりがないかテラス席へ行った。椅子とテーブルには浅く水が溜まっている。当然ながら手がかりなど無く、彼女が居た痕跡すら見当たらない。

 もっと追跡や捜索の訓練を受けておけば良かった。追跡に長けた同僚の冷たい目が思い出される。今更後悔しても遅い。


 そこへ雨具を着た老人が近づいて来た。雨具の下の顔は青白く病人のような容貌をしていた。ソルは警戒まではしなくとも、老人の動きを注視する。老人は枯れ木のような腕を伸ばして椅子を指す。


「あんたはそこに居た少女の知り合いかい?」

「そうだ。あんたは誰だ。何か知っているのか?」

「儂はそこの屋敷で庭師をしとる。そこにいた子からあんたに伝言を頼まれたんじゃ」


 老人の思わぬ言葉にソルは怪訝な顔をした。だが、伝言を残したと言うことは、誘拐などではなかったようだ。それと同時に疑問が湧き上がる。


「彼女は何処へ?」

「魔術師の協会とやらに呼ばれたんだと。お偉いさんのところに至急行かないといけなくなったそうな。協会の奴らが迎えに来とった」


 協会に所属していないイーリスが呼ばれることがあるのだろうか。もしかするとメルンでの件が関わっているかもしれない。クラウスがイーリスの事を報告すると言っていた。


「馬車に乗って中央街の方へ行ったぞ」


 老人は、協会の職員とおぼしき人物から聞いた場所をソルに説明した。中央街を西に行ったところだった。

 急な展開にいくつか引っかかる部分はあるが、老人の言うイーリスの伝言に従うしかない。

 ソルは雨具から出た老人の細い指先を一瞥した。


「雨の中、俺を待っているのは大変だったろう。伝言しかと承った。感謝する」


 軽く頭を下げて老人に感謝の意を示す。

 老人は唇を歪ませた。どうやら笑みを作っているようだ。

 ソルは中央街の方へ駆け出した。


 老人はその後ろ姿を視線を送ると、屋敷ではなく反対の路地に歩いて行った。その先には黒い外套を纏った男が、壁に寄りかかりひっそりと佇んでいた。

 老人は男の前で立ち止まる。だが顔は正面を向いたままだった。


「言われたとうりにやったぞ。借用証をくれ」


 男が外套の下から一枚の書類を差し出すと、老人は引ったくるように取っていった。書類の内容を確認すると満足し破り捨てた。乾燥し割れた口唇が大きく歪む。


「これで借金はなくなった」


 老人は一言呟くと、最初から最後まで男を見ることなく去って行った。


 男は壁に預けていた背を浮かせた。計画通りに事は進んでいる。無表情の男は、次の一手に出る為に静かに姿を消した。

 路地にはもう誰もいなかった。



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