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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第四章 混迷の街ベルダン
47/75

47、師弟

 白いシーツに白いカーテン、それに白い病衣。

 クラウスは痛む頭を抱えながら、事件の報告書を纏めていた。床頭台には書類や本が乱雑に置かれている。

 自作の回復薬の副作用がようやく治ってきたので、後処理に励んでいた。報告が遅れると面倒なことになるので急ぐ。

 大体の事件のあらましは騎士団に頼んで、協会に連絡してもらっている。だが、不可解な点が多いこの事件は今後詳しく調べる必要がある。詳細な報告を求められるだろう。


 クラウスは重い手に握られたペンを動かす。

 カーテンの向こうからは時折唸り声が聞こえる。声の主は、正面のベッドで寝込んでいるカリーナのものだった。彼女は昨夜から発熱しずっと寝込んでいる。内臓損傷からの熱のようで、医者は安静にしておくしかないと言っていた。彼女は体力があるので大丈夫だと思いたい。

 クラウスの怪我は彼女程ではないが、全身痣だらけだ。身体を動かすとギシギシと痛む。

 床頭台の本を退かすと、医者から貰った痛み止めの薬を引っ張り出した。薄茶色の粉末を口に入れ水で流し込む。口の中が苦い。


 消灯時以外は開いている病室の入り口から、誰かが入ってきた。カツカツと靴音が響く。聞き覚えのある音。今のこの部屋の患者はクラウスとカリーナしかいない。

 クラウスはもう一口水を飲むと、カーテンに映る人影を見た。


「失礼する」


 凛とした声と共にカーテンが開けられた。

 そこには長身の女性が立っていた。青白磁の髪をきっちり結い上げ、男が着るような背広に身を包んでいる。切れ長の双眸には銀朱の瞳。高潔で近寄りがたい美貌の女であった。彼女の右手には、大きな金剛石のような魔石が嵌った杖が握られていた。頂点に魔石を戴き、その下に天秤の意匠を施された珍しい杖だった。


「オリーヴィア殿が態々来られるなんて、天変地異の前触れですかな」

「師に対して随分なもの言いだな」


 クラウスの棘のある声に対して、オリーヴィアの声には何の感情もなかった。


「お忙しい審問官殿がこんな辺境に何しに来られたんですか?今この街には魔術師は僕一人。法なんて侵していませんよ」

「可愛い弟子が負傷したんだ。心配でいても立ってもいられなくなってな」


 無表情のオリーヴィアの言葉にクラウスを心配する成分はない。

 クラウスは師であるオリーヴィアの事を好ましく思っていなかった。

 オリーヴィアは犯罪を犯した魔術師や、禁忌魔術を行使した者を厳しく取り締まる審問官だった。その冷徹無比な性格で数々の魔術師を裁いている。例えそれが親族や弟子であっても一切の慈悲はない。


「戯言ですね」

「そう毛嫌いしなくともよいだろう。まだディーターの件を根に持っているのか」


 クラウスの眉根に皺が寄る。怪我の痛みとは違う痛みが胸を刺す。これは寂寥と後悔の痛みだった。

 正面に立っているオリーヴィアから目を逸らす。


「そう思っているなら僕のことは放っておいてくれませんか」

「そうもいかんのだ。此度の事件で気になる事がある。お前の協力者だ。詳細を聞きたい」

「…それは協会と審問官、どちらの立場で聞いているんですか」

「どちらも、だ」


 オリーヴィアは審問官であるが協会の副会長でもあった。長い協会の歴史の中でも異例のことである。

 クラウスは逸らした目を再び正面にむけた。


「先に言っときますが、彼女は禁忌魔術なんて使ってませんからね」

「ほう、協力者は禁忌魔術を使わずにアレを完全に成長させる魔力を持っていると」


 オリーヴィアの無機質な声が放たれる。彼女にその気はなくとも、尋問されているように感じた。


「そうとしか言えません。彼女は種を成長させる時に杖を持っていませんでした。魔術の行使自体が不可能な状態です。当然、禁忌魔術など使える筈もありません」

「何らかの禁具を使用した可能性は?」

「ありえません。代償を払った形跡がない」

「代償の支払い猶予が長いものもある」


 渋面のクラウスは大きくため息をついた。放つ言葉には僅かに怒気が含まれる。


「どうしても彼女を犯罪者にしたいのか」

「そう言うつもりはない。ただ、信じられないのだ。一個人が持つ魔力の限度を超えている」


 敬語を止めたクラウスを気にする様子もなく、オリーヴィアは窓の外に目を向けた。彼女の目に映るのは、青い空を貫く鉱山の中腹に咲く巨大な花だった。重なり合う白い花弁は、美しい容貌を保ち続けている。


「信じられなくてもこれが事実なんだ」

「そうか」


花を眺めるオリーヴィアの目に、一瞬感情の揺らぎが見えたような気がした。


「美しいな」


そう言って戻した顔はいつもの無表情だった。銀朱の瞳は鋼のように揺るぎない。


「それはそうと、お前たち、随分やられたようだな」

「いろいろ想定外でしたので」

「生物の巨大化か」


 クラウスの脳裏には巨大化した石虫(ストーンワーム)偽木生(フェイクツリー)が蘇る。石虫はともかく、偽木生は厄介な相手であった。あれはもう魔物と言っても差し支えない生物だ。


「魔術師の失踪に、指名手配中の犯罪者の目撃情報、シャハール教の不穏な動き、それに今回の事件。最近は物騒な話題に事欠かないな」


 オリーヴィアの不穏な言葉にクラウスは気が重くなる。確かにここ最近は魔術に絡む事件が多い。彼女が挙げた事柄以外にも数々の不可解な事件が起きていた。審問官の彼女はさぞ忙しいことだろう。

 そう考えていると身体の痛みが引いてきた。オリーヴィアの杖の魔石が淡く光っている。怪訝な顔をしているクラウスに、彼女は変わらぬ口調で告げる。


「初歩的な回復魔術だが多少は効くだろう」

「そのような優しさも持ち合わせていたんですね。てっきりどこかに忘れているのだと思っていました」


 クラウスの皮肉にもオリーヴィアの表情は変わらない。回復魔術も途絶える事なく彼の痛みを緩和していく。

 人体に作用する回復魔術は非常に扱いが難しく、行使できる魔術師は少ない。高度の回復魔術を使える者となると、片手で数えられる程度しか存在しない。

 初歩的とはいえ、回復魔術を使えるオリーヴィアは審問官、協会にとっても無くてはならない人物であった。


「僕よりカリーナに使ってください。彼女の方が重傷です」

「案ずるな。同時並行して治療している」


 クラウスが上体を斜めにしてカリーナの方を見ると、さっきまでの荒い呼吸が落ち着き安らかな寝顔となっていた。

 魔石の淡い光が消えると、オリーヴィアは首を動かしカリーナを一瞥した。


「私に出来るのはここまでだ。多少は楽になっただろう」

「…ありがとうございます」


 回復魔術は通常の魔術に比べて集中力と魔力を消費する。クラウスは素直に礼を述べた。

 鉄仮面の女は軽く頷いただけだった。


「この街に調査員を派遣している。明日にでも着くだろう。それまでに報告書を仕上げておくんだな」

「言われなくとも」


 クラウスは軽くなった手でペンを握る。その様子を見たオリーヴィアは、廊下の方へ身体を向け高価な革靴に包まれた足を踏み出した。規則的な音が静かな病室に響いたが、直ぐに止まった。


「協力者は今何処へ?」

「…ベルダンへ行くと言っていました」


 彼女に嘘は通用しない。正直に答えるが、協会支部へ立ち寄るであろうことは伏せておく。この冷徹な審問官を恩人に関わらせたくなかった。

 オリーヴィアは正面を向いたままだ。


「ベルダンか。あの街はこれから荒れるぞ」


 クラウスの顔が曇る。


「お飾りだった騎士団が本腰を入れるらしい」

「あそこは二区ですよね。汚職が酷い二区の騎士団が本気で動くとは思えないですが」


 騎士団はこの国の言わば治安維持部隊であるが、近年は汚職に塗れていると聞く。士気も低く、凶悪犯や大規模な盗賊団の討伐等、危険度の高い仕事は大抵協会に振られる。その理由は魔術師が行った方が効率的だから、だと。確かに、相手によるが騎士団三十人使って制圧するところを、魔術師だと一人か二人で十分なのだ。

 騎士団の仕事は見回りと小悪党の捕縛だけ。一部からは、散歩するだけで給料が出る、と人気の職になってしまっている。


「いや、動くのは二区の騎士団ではない」


 彼女の言葉にクラウスは疑問の顔。

 騎士団はこの国を九つの区域に分けている。九つの区に九人の団長、そしてその上に全体を纏める王宮守護の団長が存在する。基本的に担当区域外の事柄には関わらない。

 二区にあるベルダンで二区外の騎士団が動くとはどういう事か。


「最近精力的に動いている奴がいるだろう」

「まさか…」

「奴は本気で騎士団内の世直しをするつもりらしい」


 クラウスの目に驚きが広がる。思い当たる人物は一人。オリーヴィアの情報が確かなら、数年前の貧民街の一掃とは比べ物にならない程街が荒れるだろう。しかし、まだ疑念が残る。


「あの変化を嫌う王が許可したのですか」

「今の王は、自分の地位を守る為に功績を残そうと必死なのだ」


 クラウスは合点がいった。王家もまた問題を抱えているのだ。内情は知らないが、王家の不和は遅かれ早かれ国に影を落とす。不審な事件が多発している今、これ以上不穏の種を蒔かないで欲しい。

 オリーヴィアは歩みを再開した。


「私は王都へ戻る。お前もたまには顔を出しに来い」

「善処します」


 ピンとのびた背中にクラウスは気のない返事をした。


「ではな」


 規律正しい女傑は振り返ることなく病室を後にした。

 クラウスは遠ざかって行く靴音を聞きなながら、息をついた。


「結局何しにきたんだ、あの人」


 禁忌魔術を使用した可能性がある程度で、超多忙である彼女がここまで足を運ぶだろうか。禁忌魔術云々は建前で本当に弟子を心配して来たのか。


「いや、それはないな」


 クラウスは自嘲気味に笑うと紙にペンを走らせた。何を考えているのか解らない人物の考えを推察するのは時間の無駄だ。それよりも彼にはやる事がある。

 頭の痛みが消え思考を整理し易くなった。ペンを動かす速度も上がる。


 ふと手が止まった。夜明けの瞳を持つ盲目の少女と素顔を隠した男が頭に浮かぶ。

 騎士団による粛正ならば、彼女らに危害が及ぶ事はないだろうが、混乱する街での人探しは難航するかもしれない。

 クラウスは心中で彼女らの行動が実を結ぶ事を願った。



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