45、暗雲
商人や旅人で賑わう食堂には、食欲を唆る匂いが立ち込めていた。各テーブルにはこの地方の郷土料理を始め様々な料理が並んでいる。給仕が忙しなくテーブル間を移動し注文を取る。人々の話し声や笑い声、たまに怒声が飛び交い騒がしい。
ソルとイーリスはその一角で遅めの夕食を摂っていた。彼らのテーブルには茹でた腸詰めやグリルした根菜、鶏肝と豆を香味野菜で煮たものなどが並んでいた。
イーリスはフォークで刺した腸詰めを美味しそうに頬張っている。ソルはライ麦の割合い多めのパンに鶏肝と野菜を載せて食べる。鶏肝は下処理がいいのか臭みがない。鼻に抜ける香味野菜の香りが食を進ませる。
「残念でしたね」
「職人のことか」
イーリスは頷きながら二本目の腸詰めにフォークを刺した。
「不在なら仕方ない」
ソルも腸詰めにフォークを刺す。
タチの悪い強盗を倒した後、職人の家を訪ねたが応答がなかった。重厚な扉は固く閉ざされ人の気配はない。鉄格子の嵌った窓からは分厚いカーテンと、窓辺に置いてある花瓶が見えるのみ。
空振りに終わってしまった。
「明日もう一人の職人のところへ行ってみよう」
「そうですね」
イーリスは更にもう一本の腸詰めにも手を伸ばす。かなり気に入っているようだ。
ソルも腸詰めを齧る。肉汁の旨味と弾力ある肉が口腔内で弾ける。香草とスパイスが効いており美味い。
「あの魔道具の人たちはみんな逃げたんですかね」
「あぁ、あれは逃げたんじゃなく回収されたんだろうな」
職人の家からの帰り道、倒れていた男たちは忽然と消えていた。石畳には黒い血痕だけが残っていた。地下に逃げた男以外はほぼ致命傷だったので、自力で動くことは不可能。他の仲間か掃除屋が回収したのだろう。騎士団に調べれられては不味い事でもあるのだろうか。裏社会ではよくある事だ。
「ソルさん、あっという間に倒してましたよね。私も鍛錬を積んだら出来るようになりますかね」
「イーリスは魔術があるから態々鍛えなくていいんじゃないか?」
「だって、魔術が使えなければ私、何も出来ないじゃないですか」
イーリスはテーブルに指を這わせ、指先に当たったコップを掴む。
「杖がなかったり、魔術を妨害されたら唯の足手纏いです」
コップの水を飲み干すと静かにテーブルに置く。彼女の声には一抹の不安感が含まれていた。メルンでの一件とさっきの出来事で思うところがあるのだろう。
「そんな時の為の盾だろ。頼ってくれ」
ソルは努めて明るく答える。イーリスは何かを思案していたが僅かに微笑んだ。
「そうですね。その時は思いっきり頼ります。でも、今度効果的なパンチの仕方を教えてください」
本当に肉弾戦をするつもりなのか。ソルはイーリスの細腕から繰り出されるパンチを想像し苦笑した。それでも彼女の意気込みを壊すつもりはない。
「わかった。今度な」
そう返答すると残りの料理に手を伸ばした。
*****
ベルダンは城塞都市にしては珍しく南北に長い形をしている。それは二本の川に挟まれた丘陵地帯という特殊な地形にあった。二本の川は下流で繋がり一本の大河になっている。大河は王都近くを流れ、遥か遠くの海まで続いていた。
丘陵地帯には葡萄の段々畑が広がり、葡萄酒の名産地となっている。
そんなベルダンは北と南で地区が分かれている。主に北は労働階級など庶民が暮らしており、南は富裕層や貴族が住んでいた。
今、その北地区の一部地域では治安の悪化が問題視されていた。ここ数年で薬物中毒者が増え、誘拐や略奪が横行している。一度騎士団が治安悪化区域の掃討を行なったが、効果は限定的で数ヶ月後には元に戻っていた。
犯罪者の温床である最悪の地域の裏路地に二つの人影があった。建物に遮られて月明かりさえ届かない暗闇の中で人影は言葉を交わす。
「例の人物を捕捉した。犬も反応したので間違いない」
闇夜に溶け込むような外套を羽織った人物が話す。目深に被ったフードで人相はわからない。口元はマスクで覆われている為くぐもった声になっている。
「でかした。これで首が繋がりそうだ」
もう一人が自分の首をさすった。こちらも黒い外套を着ているが、隙間から仕立てのいい服が見えている。フードは被っておらず、髭を蓄え丸く弛緩した壮年の男の顔が確認できる。男の目に冷酷な光が宿った。
「さっさと殺して奪って来い」
「…相手は相当の手練だ。昼間の連中とは訳が違う。奴は俺の視線に気づいた。少し時間をくれ」
壮年の男は眉を顰めると、太い指に嵌っている指輪を触った。これは何かを考える時の男の癖だった。
「いいだろう。私は先に王都へ戻る。終わったら直ぐに屋敷へ来い」
フードの人物は頭を下げると闇に沈むかのように消えた。音もなく去った人物に驚く様子もなく男は欠伸をした。
残された男は背後の扉を開け中に入る。
人の命が軽いこの地域ではよくある略奪の算段の光景。しかし、これが己の運命を変える事になるとは欠片も思っていないだろう。
誰もいない裏路地には、怨嗟と狂乱の声が遠くから響いていた。
*****
曇天の空の下、ソルとイーリスは荷物を宿に置いて通りを歩いていた。商人や住人、学生など多くの人が行き交っている。荷を引いた馬車が中央をゆっくり走っていた。御者台の男が眠そうに頬杖をついている。 通り沿いの小売店は店を開ける準備をしていた。
腕を組むイーリスから、今日既に何度目かの欠伸の声が聞こえてきた。
昨夜、彼女は宿の部屋に入ってからずっと魔術の構成を思案していた。それはソルが横になっても終わらず、遅くまで集中していたらしい。ソルが朝起きると、彼女は着替えもせず杖を持ったままベッドに横たわっていた。集中した状態のまま寝落ちしたようだ。
朝食の時も半分寝ていた。アビィにあげるパンを間違えてコップに与えようとしたり、燻製肉を刺そうとしたフォークが何回もテーブルを刺していたりと頭が動いていなかった。
「まだ頭は冴えないか?」
「うーん。あと少し」
半眼のイーリスはソルに寄りかかっている。まだ意識はここにあらずと言った状態だった。
ソルはイーリスを支えながら街を南下して行く。もう一人の職人の居住地は南の端にあった。中心部のここからはやや距離がある。
メインの通りから路地に入り進んで行くと建物の造りがどんどん上等なものになっていった。昨夜行った地区とは大違いだ。道にはゴミ一つ落ちておらず清掃が行き届いている。柵の向こうに見えるのは美しい庭と大きな屋敷ばかり。道行く人々の身なりもいい。
街路樹には薄桃色の花が咲いており風が吹くと小さな花弁を散らしていた。
「何か、街の感じ変わりましたね」
ようやく頭がはっきりしてきたイーリスが口を開いた。
「ここは富裕層が集まっている地区だな」
「昨日みたいなことにはならなそうですね」
「あぁ。その心配はないだろう」
二人は街路樹に沿って進む。途中で細い脇道に入りしばらく歩くとこぢんまりした工房が見えてきた。小さな看板には杖と剣が描かれている。
重厚な扉を開けて中に入ると誰もいなかった。何もないカウンターだけの狭い空間には、木材と鉄の匂いが充満していた。
ソルが声をかけるよりも先に、奥から年若い青年が出てきた。防火エプロンをつけた青年は二人を見ると困った表情をした。
「すいません、今店主は留守にしておりまして。オーダーの依頼は受け付け停止させて頂いております」
「俺たちはオーダーに来たのではないんだ。人探しをしていてな。少し聞きたい事があるんだ」
「そうでしたか。僕が知っている事でしたらお答えしますよ」
青年はほっとした様子でカウンターに立った。
イーリスはおばあちゃんの事を話し、ここに来ていないか尋ねる。
「そのような方はいらっしゃっていませんね。それにうちは店主が怪我をしましたのでここ二ヶ月は新規依頼を断っているんです」
「そうですか」
イーリスは見るからに落胆していた。見かねた青年がおずおずと声をかける。
「あの、カルラさんのところには行きましたか?」
「もう一人の杖職人のことですか。昨夜行きましたが不在でした」
「夜にあんなところにいったんですか!?よく無事でしたね」
青年は信じられないと言った顔だ。地元民すら避ける場所らしい。
「行くなら日の高いうちだけですよ。で、カルラさんなんですけど、もしかしたら地下の工房に篭っているのかもしれません。一度篭ったらしばらく出て来ない人なので」
「どうしたら出てくる?」
「裏口近くに工房への入り口があります。その上を飛び跳ねていれば怒って出てきますよ。やる時は防御結界張ってくださいね。鈍器が飛んでくる事があるので」
青年の口から語られた方法は人を呼び出す方法としては最悪だが、他に方法が無いならやらねばならないだろう。
青年に礼を言い工房を後にする。
「もう一度行くか」
二人は再びカルラの居住地へ足を向けた。空の雲が黒くなってきた。雨が降りそうだ。急いだ方がいい。
足早に歩いていると背後から叫び声が聞こえてきた。振り返ると疾走する黒猫を追いかけている女がいた。
「その猫を捕まえて!」
猫は真っ直ぐこちらへ走って来ている。猫は口に何かを咥えていた。ソルが走る猫を待ち受けるが、猫は走る軌道を変え横に逃げた。しかし、それを予想していたソルが恐るべき跳躍力で飛びかかる。猫を掴み胸に抱えると勢いのまま地面を転がった。
猫が逃げないようにしっかりと抱える。猫は煌びやかな宝石をあしらった首飾りを咥えていた。
女が小走りにやって来る。
「ありがとうございます!」
女は首飾りを受け取ると何度も頭を下げ去って行った。
ソルの腕の中には縮こまっている猫が残された。
「それが猫ですか。猫は初めてですね」
猫を触りたくでウズウズしているイーリスが近づいて来た。猫は耳を伏せて目を閉じている。イーリスの手が猫の背を優しく撫でた。何回か撫でると伏せていた耳がピンと立ち金色の目が開かれた。
「馬とは全然違う手触りです。ふわふわですね」
上機嫌なイーリスと喉をゴロゴロ言わせている猫。
「何で貴金属なんて盗ったんだ。お前には無用の長物だぞ」
猫はソルの顔を見上げるとにゃあと鳴いた。どうやらあれが必要だったらしい。不思議な事もあるものだ。
その時、イーリスの手が止まった。
「大変です。杖が…」
そう言った彼女の手にはある筈の杖が無かった。盗られた。急いで周囲を見渡すと、杖を持った小柄な人影が路地に入って行くのが見えた。
「ここで待っていてくれ。杖を取り返して来る」
側にあった飲食店のテラス席にイーリスを座らせると、店員に事情を話し駆け出した。
「お願いします」
イーリスの不安混じりの声が遠くに聞こえる。
治安が良い地域だからと油断していた。杖は彼女の生命線だ。一刻も早く取り戻さねば。
路地に入ったがさっきの人影はもういなかった。片腕に抱いた猫と目が合う。よく似た緑と金の瞳がぶつかった。猫は腕を蹴って地面に降りた。少し進むと振り返り一声鳴く。まるでついてこいと言わんばかりの態度だ。
「頼むぞ」
猫は耳を動かすと走り出した。ソルはその後を追う。通行人が少ない事もあり、ほぼ全速力で進んで行く。猫は路地を走っていたが、途中で石造りの塀を飛び越え屋敷の敷地に侵入した。ソルは逡巡する間もなく塀を蹴って飛び越える。庭を横切る猫を追って芝生を突っ切り、また塀を飛び越えた。
その後も塀やら柵を飛び越え、木を登り屋根を走る。ソルの身体能力がなかったらとっくに猫を見失っていただろう。
気づくと街の中心部に戻っていた。かなりの近道だったようだ。大通りに出ると猫は小走りに人々の隙間を縫っていく。人通りが多いので猫から目を離さず追う。
すると猫が歩調を落とした。すかさず周囲に目を凝らすと前方に小柄な人物が見えた。イーリスの杖を抱えている。気配を気取られないよう慎重に近づく。距離を縮めるとその人物は子供だとわかった。
子供が脇道に逸れるとソルも続く。こちらに気づいている素振りはない。徐々に近づき肩を掴んだ。
「杖を返してもらおうか。」
子供はびくりと体を震わせると恐る恐る振り返った。十歳程だろうか。あどけない顔に驚愕の表情があった。完全に撒いたと思っていたのだろう。
「お兄さん早過ぎ。この杖何か仕込んでんの」
汚れた顔の子供は冷や汗をかきながら口を動かす。
「優秀な案内役がいたんだ」
ソルは杖を離そうとしない子供の腕の中から強引に取り返そうといた。すると、子供が耳をつんざく叫び声を上げる。
「誰かー!助けてー!怖い人に襲われるー!」
周囲の人々の視線が集中した。方や子供、方や武装したフード頭の男。視線を送る人々がどちらの味方につくかは明白だった。子供を襲うなんて、騎士団を呼ぼう、俺が助けてやる、野盗みたい、剣を持っているぞ、危険だ、とソルに分の悪い言葉ばかりが聞こえて来る。
ソルは慌てて弁明する。
「ち、違う!こいつは盗人だ!」
しかし観衆の様子は変わらない。子供はソルの意識が自分から逸れた事を敏感に感じ取った。次の瞬間には力が緩んだソルの手から逃げたしていた。
「あ!杖を返せ!」
子供は観衆の隙間を素早くすり抜け、路地の奥へ走り去る。子供にしてはかなり脚が速い。ソルも直様追いかける。
だが、観衆の一部が行かせまいと道を塞いできた。完全に悪者扱いである。関係のない一般人に手荒な真似をする訳にはいかない。
ソルは止まる事なく加速し高く跳躍した。踏み切った石畳は衝撃で割れている。観衆の頭上を軽々と飛び越えると着地し、流れるように走る。後方からは遅れて観衆のどよめきが上がった。
子供との距離はまだそれほど開いていない。
ソルの脳裏には一人残されたイーリスの顔が蘇った。捕える。絶対に。
ソルの走る速度が上がる。
分厚い雲から一粒の雨が落ちて、路地に小さなシミを作った。




