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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第四章 混迷の街ベルダン
44/72

44、混迷の街ベルダン

ガルドラント カラギス氏族領 北西の辺境


 砂礫が広がる不毛な大地を二頭の黒馬が砂煙を巻き上げながら走っていた。騎乗している人物の外套が靡いている。雲一つない空を独占している太陽は西に傾き始めていた。

 先行する馬に騎乗している人物が右手を上げ前方を指す。後ろを走る馬に騎乗している人物が頷いた。二人とも布で口元を頭を覆っているので人相はわからない。

 指の指し示す方向にはまばらに生える木があった。距離が縮まると水場が見えてきた。手綱を引き水場に誘導する。水場には誰もいない。風が水面を撫でていた。

 二人の人物は馬を降りると服に付いた砂を払う。顔に巻いている布を外し、皮袋に入れた水を飲む。

 馬に騎乗していたのは流浪の旅人に扮したセスとトールだった。


「このペースで行けば今夜中にはあの森近くまで行けるな」

「ルーザに入ったら念の為もっと北上しますからこのペースは無理ですよ」

「ちぇ」

「今、領境には“梟”が居るという情報がありましたからね」

「あいつらかー。関わると面倒だしな」


 “梟“とはルーザの特殊部隊であり、カラギスでいう”狐“と同じようなものである。ルーザ氏族領とは長年争っている為、”梟“とは犬猿の仲であった。


 昨日、獣憑きが生存している可能性がある事を隊長であるゼイウスに伝えたところ、直ぐに領主のアルバロに話を通してくれた。

 執務室にはアルバロの弟であるイサークもいた。部屋のテーブルには領全体の地図が広げられており、複数の駒が転がっていた。

 トールの生存説を聞きイサークは苦い顔をする。案の定、彼は捜索に反対だった。しかし、アルバロは酒盃を傾けた僅かな時間考えただけで、捜索の許可を出した。その時のイサークは凄い顔をしていた。セスもまさかこんなに簡単に許可するとは思っていなかったので驚きを隠せなかった。

 そして、トールだけでは捜索に不安がある為、その場にいたセスも巻き込まれた。


 こうして早朝からあの森に向かっていた。

 セスは空になった皮袋に水を汲む。


「何で私がこんな目にあうんでしょう」

「前線に行くよりいいだろ」

「どうでしょうね」


 トールは水を飲む馬の首を撫でる。彼の腰にはいつもと違う双剣が収まっていた。


「今回は魔術に対抗できる武器を持ってきてるんだからあの魔術師にだって負けねぇよ」

「あなたは単純でいいですね。魔術師相手に過信は命取りですよ」


 セスの腰には青い魔石の嵌った長刀があった。彼はこの慣れない重みが不快だった。小さなため息をつく。

 元はと言えばセスは獣憑きと関わりたくなかった。あれは人間ではない。逃げ出してくれた時は素直に嬉しかった。だが、直ぐに追跡の命を受けてしまう。追跡に長けた自分が選ばれるのは仕方ない。連れ帰りたくない者を捕縛し連れ帰らなければならないとは。

 だから、獣憑きが死んだ時は内心安堵していた。もうこれで関わることはないと。それなのに今また捜索に出ている。

 呑気なトールを見ていると引っ叩きたくなる。奴と再戦したいなどという彼の想いには微塵も共感できない。

 何もかも不快だ。


 それでも主の命ならば従うしかない。それが自分の果たすべき役割なのだから。全てはこの国の統一の為に。


 乾いた風が群青の髪を揺らす。セスは顔に布を巻く。水場に頭を突っ込んでいるトールの尻を足で小突くと馬の手綱を引いた。

 まだ道のりは長い。



*****




 日がすっかり沈み街灯の光が灯る頃に、イーリスとソルはベルダンに着いていた。この街は王都と近い事もあり夜でも人で賑わっていた。セレスタやメルンに比べ街の規模が大きい。

 通りには煌々と街灯が灯り、飲食店のテラス席では食事と会話を楽しむ人々がいた。家路に着く家族連れや酒場に向かう仕事終わりの男たちなど、様々な人が往来している。杖を持った魔術師も見かけた。

 イーリスはそっとソルに近づくと彼の腕を握った。


「ここは大きい街だな。人が多いと辛いか?」

「セレスタの時に比べたらいいですが、少し疲れますね」

「俺が誘導するから探知は最小限にしとくといい」


 頷いたイーリスはソルの腕に自分の腕を絡めた。

通りを歩き始めるとソルは何処からか視線を感じた

。それとなく見渡すがこちらを見ている者はいない。身を寄せる男女への好奇の視線だったのか。気のせいだといいが。


 二人はこの街に住む杖職人のところへ向かった。ジルの証言によれば、おばあちゃんはベルダンの杖職人に杖の作成を依頼に行くと言っていたそうだ。

 門番の騎士団員に杖職人の居場所を聞くと、ここには二人の職人が居ることがわかった。順に聞きに回るしかない。


 通りから脇道に入り進んで行く。途中、通行人に道が合っているか確認しながら進む。徐々に道は狭くなり街灯がまばらになってくる。それと共に人の往来も減った。

 どこからともなく野良犬がやってきて、ソルの匂いを嗅ぎ尻尾を振った。餌が欲しいのか。そう思い犬の目を見た。だが、そこには空腹の気配はなく喜びの色があった。懐かれたか、と考えていると犬は通りに去って行った。動物に懐かれることはよくあったが、これは何か違う気がした。


「大人しい犬ですね。角狼(ホーンウルフ)とは大違いです」

「あれと比べるのはおかしいぞ」


 狼に似た魔物と犬は体躯は近いが性質は全く違う。イーリスは首を傾げている。その様子を見るに彼女にとってはどちらも大差ないようだ。


 更に進むと清潔だった道にゴミや吐瀉物が散乱し始めた。そして道端には蹲って動かない薄汚れた人々がいた。据えた臭いと青臭い臭いが混ざった不快な空気が漂っている。小さな呟き声や笑い声が何処からともなく聞こえてくる。ここは表の美しい街並みが嘘のようで、自ら快楽を求め溺れ死に行く者の溜まり場になっていた。


 ソルはこのような場所をよく知っていた。故郷でも同じような場所はいくつもあった。魔術で発展し豊かな国であるエリシスも抱える闇は変わらないようだ。


 イーリスは臭いに顔を顰めている。


「ここは治安が悪そうだ。引き返して明日明るくなってから出直すか」


 ソルの提案にイーリスは首を横に振る。


「ここまで来たんですから行きましょう」


 彼女は夜の闇が人の凶暴な欲望を助長させる事を知らない。年頃の娘は夜にこの場所を見たら逃げ出すだろう。いや、娘でなくともまともな一般人なら足を踏み入れる事はない。

 既に二人には周囲の建物や脇道から多くの視線が注がれていた。明らかに悪意ある視線にソルは片手を剣の柄に載せた。

 反対にイーリスはいつもの調子で歩を進めている。 このまま行けばあと少しで職人の居住地に着く。


 その時、前方の脇道から三人の男が出てきて道を塞いだ。チンピラ風情だが、それぞれしっかり獲物は持っている。やはりこうなるか。

 イーリスは隣で首を捻って杖を触っている。杖で石畳を何回か小突いてまた首を捻る。そしてようやく前方の男たちの存在に気付いた。


「あ、すいません、急いでいるので退いてくれませんか?」

「そうはいかねぇな。分かるだろ?杖と荷物、金目のもの全部置いていきな」


 中央の男が剣を抜き放つ。手入れなどされていないナマクラだがそれなりの殺傷力はありそうだ。

 ソルはゆっくりとイーリスの腕を外し双剣に手をかける。


「痛い目に会いたくないならさっさと失せろ。これは忠告だ」

「おっと、怖い盾だ。でも、ここは俺らのテリトリーだ。痛い目を見るのはどっちかな」


 魔術師と盾相手に余裕のある男たちの態度に、ソルは何かあると考えた。本来魔術師相手にやり合うなら気づかれる前に先制するのが鉄則だ。魔術を行使されては唯のチンピラに勝ち目はない。

 それなのに態々姿を見せてからの恐喝とは。何か仕込んであるに違いない。


「大人しく荷物を置いて帰りな。そうすれば命まではとらねぇ」


 ニヤニヤと笑う男たち。十中八九嘘だ。この品性のかけらもない男たちは他者を弄ぶ事が趣味だろう。ギラついた目には、これから始まる残忍なオタノシミを期待する狂気の色が浮かんでいる。そんな男たちが目の前の獲物を逃すはずはない。


「イーリスは自分を守れ。こういう手合いは俺の得意分野だ」


 前に出ようとするソルをイーリスが掴む。彼女の顔には困惑の色。


「ソルさん、魔術が上手く使えません」

「どういうことだ?」

「さっきから探知が思うようにできなくて変だなと思っていたんです。多分、魔術を妨害する魔道具か魔法陣があるのかと」


 ソルは男たちの余裕な態度の理由が分かった。魔術を封じられれば魔術師など恐るるに足りない。盾も非力な魔術師を護りながら闘うのは困難だと考えているのだろう。何と愚かな事か。


「イーリス、荷物を持っていてくれ。そこを動くなよ」


 ソルは背嚢をイーリスに渡す。彼女は背嚢を抱えると重そうに座り込んだ。

 双剣を抜刀し一歩前へ出る。


「忠告はしたからな。死んでも恨むなよ」

「やり合おうってか。いいぜ。伊勢のいいアホの泣き声は好きだ。女の鳴き声はもっと好きだがな」


 男たちの下卑た視線がイーリスに注がれた。ソルの眉間に皺が寄る。


「この前もあんたらと同じようなアホがいたな。男は豚の餌、女には大分楽しませてもらった」

「ゲスが」


 不愉快さを隠すこともなく言い放ったソルはゆらりと前に動いた。

 男たちが剣を構えようと腰を落としたが、既にソルは中央の男の懐に入り込んでいた。あまりの速さに反応できず男たちは一瞬動きを止めた。彼らにはソルが消えたように見えただろう。

 ソルが右腕を真上に振り上げると、男の肘から先が宙に舞った。男が剣を握っていた腕を切断された事に気づく前に、ソルは右側の男に向かって足を踏み込む。石畳を割らんばかりの勢いで男に接近し、脇腹に肘を叩き込む。革鎧など意味をなさない強烈な一撃に、男は大きく吹き飛ばされ壁に激突する。


 ここで宙を舞っていた腕が剣と共に石畳に落ちて大きな音を立てる。すると後方の物陰から二人の男が飛び出して来た。こいつらの仲間だろう。想定済みだ。

 男たちは近くに座っているイーリスに襲いかかる。ソルは体を捻ると、迷う事なく後方へ双剣を投擲した。双剣は其々男たちの首と胸に深々と突き刺さる。二人はその場に膝をつき倒れた。


 腕を切断された男の叫び声が路地に響き渡る。

 投擲後のソルに、左側の男が剣を振りかぶりながら突進した。剣の切先が届く寸前に、半歩横に身体をずらし回避する。空振った男はタタラを踏んて体勢を崩す。すかさずソルは手刀で首を狙う。煉瓦をも叩き割る威力の手刀が男の首をいとも簡単に潰した。気道も潰された男は、喉を押さえながら大きく喘ぎ倒れる。


 これで終わりではない。上方から殺気を感じたソルは痛みに喚き続けている男の首に腕を回すと、その影に隠れた。直後に矢が男の肩に刺さった。

 ソルは男を離すと落ちている剣を拾い、家屋の二階に向かって投擲した。剣は窓から覗いていたクロスボウを破壊し狙撃手の胸に刺さる。短い悲鳴が聞こえ窓から人影が消えた。


 もう周囲に殺気は感じられず、倒れた男たちも動く様子はない。


「あとはお前だけだな」


 ソルの冷たい視線が、跪き痛みに呻いている男に突き刺さる。男は切断された断面を手で押さえていたが出血は止まるはずもなく石畳を濡らしていた。肩に刺さった矢はそのままだ。

 男が涙や涎でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、薄暗い闇の中で緑に光る一対の目と目が合った。口から引き攣った悲鳴が漏れる。


「た、頼む!殺さないでくれ!」

「散々人を殺しといて自分は殺されないと思っているのか?」


 ソルは落ちている腕が握っていた剣をもぎ取り、切先を男に突きつける。


「な、何でもやるから!金か!?魔道具か!?」


 ソルは男の悲鳴のような懇願には一切興味がない。金も魔道具も略奪した物だろう。惹かれない。しかし、彼女は違った。


「魔道具欲しいです!」


 背嚢を抱えたイーリスがよたよたと近づいてきた。彼女の目にはいつもの好奇心が宿っている。


「魔道具ください」

「おいおい、こんな奴の言う事を間に受けるな。どうせ逃げる隙が欲しいだけだ」


 ソルは男から視線を逸らさずにイーリスを諭す。


「え、嘘なんですか?」


 好奇心が失望へと変わる。自分の命は今、この魔術師の言動に左右されると察した男は必死の形相で声を上げた。


「うう、嘘じゃない!そこの家に置いてある!魔術を妨害するやつだ!」

「やっぱりあるんですね」


 イーリスはソルの袖を引っ張ると魔道具、魔道具と連呼した。まるで菓子をねだる子供のようだ。

 ソルはため息をつくと剣を下げた。


「立て、変な動きをしたら斬るからな」


 男は何度も頷くとよろよろと立ち上がった。出血量が多い。ソルが手を下さずとも、適切な処置をしなければ失血死するだろう。

 ソルは男の背に剣を突きつけ後ろを歩く。男が扉を開けると何もない部屋が広がっていた。


「本当にあるのか?」

「…奥にある」


 男に続いて室内に入る。三歩進んだところで男が急に消えた。視線を巡らすと床に穴が開いていた。逃げられた。穴は存外深く、湾曲している為男の姿は見えない。


「手の込んだ逃走経路だな」


 ソルは落胆するでもなく剣を床に転がした。踵を返して外に出る。既に逃走した男の事などどうでもよかった。深追いはしない。


「やっぱり逃げたぞ」

「えぇー。魔道具欲しかったです」


 イーリスは大いに落胆していた。しかし、魔術の妨害効果がなくなったようで直ぐに表情が明るくなった。

 ソルは双剣を回収すると血を払い鞘に仕舞った。すると背中に僅かな視線を感じた。振り返り気配を探るが誰もいない。

 ここに長居はよくない。

 イーリスから背嚢を受け取ると職人の家へ急いだ。


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