43、別れ
薬品の匂いがする廊下をソルとイーリスは歩いていた。開け放たれた部屋からは話し声や呻き声が聞こえてくる。
二人は街の診療所に来ていた。ソルは受付で聞いた部屋を探す。街を出る前にクラウスとカリーナの見舞いに来たのだ。
イーリスは洗い立ての服を着てご機嫌な状態が続いていた。何を使ってあるのかは解らないが洗濯前よりも肌触りがよくふんわりとしている。流石、高級宿。
廊下へ進んでいると目当ての部屋を見つけた。中には六つのベッドが並んでいた。その奥、窓側のベッドにパンを食べているカリーナがいた。包帯だらけだ。向かいにはぴくりとも動かないクラウスが横になっている。
カリーナは部屋に入ってきた二人に気づくと手を上げた。
「昨日はありがとう。あんたらのおかげで助かったよ」
「いえ、カリーナさんは大丈夫なんですか?」
「肋骨が何本か折れて肺を傷つけてるみたいだ。あと、内臓損傷が少し。思ったより軽傷でよかったよ」
「それって軽傷なんですか?」
首を傾げたイーリスを見たカリーナは豪快に笑う。だが、直ぐ痛みに顔をしかめ側胸部を押さえた。
「こんなのは全然マシな方さ。五体満足だしね」
「内臓は甘くみるな。無理は禁物だぞ」
「わかってるよ。あんたまで医者みたいなこと言わないでおくれ」
カリーナは苦笑する。
どんなに鍛錬を積んでも内臓までは鍛えられない。小さな損傷でも命に関わる時がある。油断は禁物だ。ソル自身、それで死にかけた事がある。
「それで、あんたらはもう行くのかい?」
「はい。これからベルダンへ行きます」
ベルダン、これがジルに聞いたおばあちゃんの行き先だった。ここから南西へ馬で一日程の距離にある街だ。
「ベルダンかい。あそこでは魔術師の失踪事件が続いているから気をつけるんだよ」
「物騒ですね。気をつけます」
カリーナはソルをじっと見た。鋭い眼光が彼に突き刺さる。
「あんたがしっかりイーリスを護るんだよ」
「言われなくともわかっている」
魔術師の失踪に関しては、以前アレクシスからも忠告されている。その時は話半分だったが、事件が起こっている街に行くとなれば気を引き締めなければならないだろう。事前にこの情報を耳に入れる事ができたのは暁光だった。
「うぅ…」
背後から呻き声が聞こえた。振り向くとクラウスが上体を起こしていた。顔は蒼白で目には生気がない。
「起きて大丈夫なのか?」
「大丈夫ではないけど、君たちにはお礼を言いたいからね」
「痛むんじゃないですか?」
「痛むよ。でも痛みの本番はもう少ししてからかな…」
昨日の回復薬の副作用はまだまだこれかららしい。合掌。
クラウスは頭を下げた。
「ありがとう。君たちが居なかったら依頼をこなせなかった。だから、報奨金の半分は受け取ってくれ」
「いいんですか?」
「もちろんだとも」
高級宿代を出してもらっただけでも十分なのに報奨金までいただけるとは。懐事情がまた温かくなる。
「報奨金を分割してもらうよう協会に申請するんだけれども、それにはイーリスくんのことも伝えなくてはならないんだ。森から来たことは伏せておくから君のことを報告してもいいかな?」
「はい。問題ないかと」
「よかった。報奨金は協会の支部に行けば支払われる。ベルダンに行くんだろう?そこにも支部があるから寄るといいよ」
さっきの会話を聞いていたようだ。
クラウスは窓の方へ顔を向けた。
「それにしてもあんなに大きく咲かせるとはね。あの時はイーリスくんがカラカラのミイラになってしまうんじゃないかと心配していたんだけど…」
窓の外には鉱山に咲く巨大な白い花が見えていた。花は萎む様子もなく美しい花弁を広げている。改めて見ると異様な光景だ。
「あの植物が偽木生を外に出してくれたので倒せたんですよ」
「そうか。君は本当に凄いね」
クラウスは視線をイーリスに向けた。この小柄な少女にはいったいどれ程の魔力が眠っているのだろうか。巨大な花を咲かせる為に、種から膨大な魔力を吸われても尚平然としていた。途方もない魔力にクラウスは寒気すら覚える。
「強過ぎる魔力は人を惹きつける。良い人も悪い人もね」
「悪い人はお断りします」
きっぱりと言い放つイーリスにクラウスは僅かに微笑んだ。
「…おばあ様が早く見つかる事を祈っているよ」
「はい。ありがとうございます」
イーリスも微笑む。二人はカリーナとクラウスに別れを告げると診療所を後にした。
通りに出ると人々の往来が増えていた。商人や鉱山夫が談笑しながら歩いている。閉まっていた店も開いており、来た当初の閑散とした街とは大違いだ。これから本来の賑やかな鉱山の街へと戻って行くのだろう。
馬屋へ向かっていると門でジルが待っていた。だが、ソルは一瞬誰だかわからなかった。
「おう、もうベルダンへ行くんだろ」
声でジルだと気づく。それもその筈。今までの無精髭にくたびれた様子と違い、小綺麗にして皺のない作業着を着た精悍な男の顔があったからだ。印象が違い過ぎる。
「はい。おばあちゃんの情報ありがとうございました」
「俺は礼を言われるような事はしてねぇよ」
ジルはバツが悪そうに頭を掻いた。一呼吸置いて口を開く。
「あのよ。ばあちゃんダシにして無茶なこと頼んで悪かったな。あんたたちが重傷を負う可能性だってあったのによ。人探しに来ただけなのに関係ない事に巻き込んじまった。すまねぇ」
態々謝罪に来るとは律儀な男である。
頭を下げたジルにイーリスは一歩近づいた。
「確かに時間は惜しかったです。でも、今までにない経験ができたので気にしてません」
ジルの硬かった表情が和らいだ。しかし、次の言葉に固まる。
「酒場で会った時、依頼を受けずにジルさんを締め上げておばあちゃんの行き先を聞き出す事もできたんです。でも鉱山の魔物が気になってしまって。締め上げずに依頼を受けると決めたのは私ですから」
さらっと言うイーリスにジルは内心冷や汗をかいていた。魔物が気にならなかったら締め上げられていた可能性があったとは。可憐な見た目に反して中身はゴリゴリの武闘派である。
ソルもまさか締め上げて口を割るという方法が彼女の中の選択肢にあったとは思わなかった。苗床草の一件もそうだが、イーリスは目的の為なら手段を選ばない傾向かある。時として見せる非常な一面にぞくりとする瞬間があった。
「そっちも切羽詰まってたんだろ?結果的には行き先がわかったからいいさ」
ソルは複雑そうな顔をしているジルに声をかける。
当初は巻き込んだジルに対して恨みがましい気持ちが多少はあったが、謝罪して貰ったことで水に流す事がができていた。
ジルは苦笑して、また頭を掻く。
「そうか…鉱石や魔石が必要になったらいつでも来てくれ。あんたらになら言い値で売ってやるよ」
にっと男臭く笑い腰に手を当てた。イーリスは嬉しそうに頷く。
ソルとイーリスは手を振るジルに見送られながら門を出た。馬屋に行き二人は馬に乗る。
来た道を下って行く。街道ではメルンへ向かう人々とすれ違った。どこからか視線を感じる。周囲を見回すが、皆山を指さして何やら話しているだけであった。気のせいか、視線は直ぐに感じなくなった。
ソルは人々が指す後方を振り返った。街の城壁の向こうに見える鉱山には美しい大輪の花が顔を覗かせていた。風が花を揺らす。ゆっくりと揺れる花はまるで二人に別れの挨拶をしているかのようだった。
ソルは僅かに目を細めると前を向いた。馬の歩調に合わせて揺れる艶やかな黒髪が視界に入る。イーリスは馬の鬣を優しく撫でていた。袖から伸びる腕には青黒い皮下出血斑が見える。クラウスの薬を塗布した事で痛みは和らいでいるようだ。
彼女は強いが脆い。ソルは今まで魔術師の盾と言われてもピンとこなかった。結界で自己を守れる魔術師に盾など必要ないと。だが、杖がなければ唯の無力な人なのだ。
彼女を護る盾でありたい、そういう想いがソルの中に芽生えていた。
次は危険に晒すような失態はしない。そう静かに決意した。
しかし、次の目的地ベルダンで早速彼の決意を嘲笑うかのような事件に遭遇する事となる。
南西の空には暗雲が立ち込めていた。




