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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第三章 鉱山に潜む魔物
42/72

42、休息の朝

 翌朝、ソルはベッドの上で目覚めた。顔を横に向けると白い寝顔が見える。安らかに眠っており起きる気配はない。ソルは物音を立てないようにベッドから降りた。

 昨夜は結局、部屋を徘徊しソルの隣で横になるイーリスを見かねて同じベッドに寝ていた。誰かが側に居る事を感じられないと徘徊が始まるようだ。一緒に寝るのには抵抗があったが、心を無にして乗り切った。


 ソルは部屋を出ると外の空気を吸いに一階に下りた。受付にはまだ誰もいない。中庭に通じる扉を潜り石畳に足を載せる。この中庭は広くはないが、通路の両側の低木に咲き誇る薄紫の花が美しかった。中心部には開けた場所があった。昨日イーリスとクラウスが魔術で何かしていた場所だ。

 そこで軽く体を動かす。まだ若干肩甲骨付近に痛みを感じる。これなら明日には痛みは消えているだろう。基本的に獣憑きソルは身体の治りが早い。常人なら完治に一ヶ月かかるような怪我でも十日程で治癒する。身体能力も高く、回復も早い。誠に戦闘向きの身体である。


 一通り動くと満足し中庭を後にした。宿内に入ると昨夜の受付嬢がいた。ソルは前髪で目を隠す。彼女はソルに気づくと笑顔で近づいて来た。


「おはようございます。さっき連絡があったのですが、クラウス様の意識が回復したそうですよ」

「それは良かった」


 朗報だろうが、これから彼に起こる副作用を考えると意識がない方がいいのではと内心思ってしまう。


「それと、クラウス様からの伝言なのですが、自室に傷に効く薬があるので自由に持って行って構わないそうです」

「ありがたい」


 受付嬢はソルにクラウスの部屋の鍵を渡した。ソルは二階に上がる前に湯の準備を依頼する。すると気を利かせてくれた彼女の提案で、衣類の洗濯も依頼することになった。洗濯から乾燥まで短時間で仕上がるらしい。もちろん追加料金が必要なサービスであるが、特別に無償にしてくれた。鉱山を解放した功労は大きいようだ。


 ソルはまずクラウスの部屋へ行った。鍵を開け部屋に入る。テーブルに本が積まれ、床には大きなトランクが二つ置いてあった。トランクの一つを開けると、薬品や乾燥した植物、種子類などがぎっしり詰まっていた。薬品の小瓶にはラベルが貼ってあり、丁寧に効果、効能が書かれていた。


「打ち身、切り傷…これか」


 取り出した小瓶には、黄金色の液体に何かのハーブ類が漬け込まれていた。蓋を開けて匂いを嗅いでみる。清涼感のある香りが鼻を抜けた。蓋を閉めポケットに入れる。

 トランクを元に戻し自室に帰った。


 その後しばらくし受付嬢が湯浴び道具を持って来た。


「洗濯したい衣類はこの籠に入れて廊下に出しておいてください。あと、これは変えのお召し物がなければお使いください」


 渡された籠の中にはローブのような服が入っていた。


「お連れ様にも同様のものをお渡ししています」


 受付嬢は笑顔で去って行った。どうやらイーリスも起きたようだ。湯浴びの手伝いは、本人から依頼があればあの受付嬢に頼むことにしよう。

 籠をテーブルに置き、服を脱いだ。湯を浴びると腰辺りに僅かな痛みがあった。どうやら小さい傷があるようだ。首を捻っても見えない。触るとざらつきがある。微々たる傷だ。

 昨日の戦闘でこれだけの怪我で済んだのは運が良い。一歩間違えばクラウスやカリーナの様になっていたかもしれない。魔物でないにしても、あんな化け物じみた生物と闘うのは今まで経験がなかった。森での戦闘よりマシだったが、対人戦しかやってこなかったソルにはどうしても後手に回りがちだ。対人以外を想定した立ち回りの訓練も必要かと考えながら、身体を流れる水滴を拭く。

 籠からローブを出し羽織った。意外と丈が長い。ソルの膝下まであった。ローブの前を揃え、付属していた帯を腰で締める。

 籠に服を一式入れ、廊下に出した。イーリスの部屋の方を見るが、まだ籠は出ていなかった。


 イーリスの顔の擦り傷を思い出す。小瓶を持って彼女の部屋の扉を叩いた。


「イーリス、湯浴びは終わったか?」

「はーい。今終わりましたよ」

「傷に効く薬をもらったんだ。入っていいか?」

「どうぞ」


 扉を開けるとイーリスの後ろ姿があった。ソルと同じ白いローブを着ている。だが、腰帯をしていなかった。


「これ、着方はこんな感じでいいんでしょうか?」


 イーリスが振り向く。すると襟から裾まで開きっ放しで白い裸体が覗いていた。ソルは反射的に顔を明後日の方へ向けた。


「いや、籠の中に帯が入っているだろう?襟を閉めてそれを腰に巻くんだ」


 イーリスは手探りで籠の中から帯を取り、言われたように巻いてみる。


「できました」


 ソルは恐る恐るイーリスに視線を戻すが、まだ胸元は大きく開いたままだった。目を閉じて頭を抱える。


「襟をもっと閉めるんだ」

「こうですか?」


 薄目を開けるとさっきよりも襟が閉じていた。しかし、帯が緩いので少しの動きで襟が広がる。


「帯もきつく締めた方がいい」


 イーリスは帯を引っ張りるが、うまくいかない。見かねたソルは小瓶をテーブルに置き、彼女の前に膝をついた。視線をやや後方にずらして、帯を結び直し襟と裾をきっちり閉める。


「ありがとうございます」


 イーリスは両腕を広げたり袖を触ったりしてローブの感触を確かめていた。そして近くの椅子に立てかけてある杖を手に取った。


「こういう服は初めて着ました。結ぶのは難しいですね」

「すぐ慣れるさ。湯浴びも一人でしたんだろう?」

「はい。頼ってばかりではいけませんからね」


 良い心がけだ。飛び散った湯で周囲が結構濡れているがご愛嬌だろう。

 イーリスは衣類が入った籠を廊下に出した。

 ソルは湯が溜まっている桶を横に寄せるとイーリスを椅子に座らせた。


「クラウスの意識が戻ったらしい。持参した薬を自由に使っていいそうだ」

「良かったですね。後でお礼にいきましょう」

「あぁ」


 ソルが小瓶の蓋を開けるとイーリスの鼻が動いた。


「爽やかな良い香りです。ハーブと何かの油ですね。おばあちゃんが持ってた塗り薬と近い香りがします」

「何種類かハーブが入っているな。まずは顔の傷に塗るぞ」


 小瓶から手のひらに黄金色の液体を出して指につける。イーリスの言うように油のようだが、粘度が低くさらっとしていた。

 頬の擦り傷に薄く塗っていく。洗われて綺麗になった傷に薬が浸透する。


「痛みはないか?」

「ないです。顔よりも膝の方が痛いですね」


 イーリスが裾を捲り膝を出した。捲り過ぎて大腿上部まで見えている。思わず視線を逸らす。無言で裾を膝上まで下げる。

 改めて膝を確認すると両膝共に薄皮が剥けていた。右膝と脛には皮下出血もあり青黒く変色している。薬を塗りながら視線を上げると、袖から見える腕にも皮下出血があった。


「腕も打っているな」

「言われてみれば、ちょっと痛いです」


 裾を元に戻すと両腕も確認していった。小さな皮下出血か数ヶ所あり、そこにも薬を塗る。

 上下肢共に偽木生(フェイクツリー)に吹き飛ばされた時にできた怪我だろう。結界のお蔭でこの程度で済んでいた。だが、白い肌に複数の青黒い打撲痕は痛々しい。


「他は大丈夫か?」

「んー、右の背中が少し痛いかもです」


 背中という言葉にソルはたじろいだ。そんなソルの様子に気づくはずもないイーリスは、ローブをずらして背中を出した。ソルは彼女の背後に回る。

 イーリスの一切の躊躇ない動きにソルの反応は遅れていた。心拍が急上昇している。息を整え視線を下げた。濡れた髪が背中を覆っており患部が見えない。


「髪を前にどかしてくれないか」


 イーリスは片手で髪を左肩から前に流した。露わになった白い背中。目を逸らす訳にもいかず、明後日の方に向きかけた視線を戻す。

 右の肩甲骨下に皮下出血があった。背中はその一ヶ所だけだった。指に薬をつけ肌に触れる。すると今まで意識しないように努めていた肌の柔らかさと温もりを感じてしまい、耳が熱くなった。薬を塗り終えても指先が白い肌から離れない。否、離れないのではなく離せなかった。自分の行動が理解出来ずソルは動きを止めた。

 いつまでも動かないソルを不思議に思ったイーリスが顔だけ振り返る。


「どうしました?怪我そんなに酷いですか?」


 イーリスの言葉で我に帰ったソルはようやく手を下ろした。


「いや、打撲だけだ。痛みは数日でとれるだろう」


 ソルは着崩れたローブを元に戻す。そして猛烈に恥ずかしくなった。顔が赤くなっているが今はそれに気づく者はいない。


「結構あちこち怪我していたみたいですね」


 イーリスは腕や脚をさする。テーブルに置いてある小瓶を手に取るとソルの方を向いた。


「今度は私がソルさんに薬を塗る番です。座ってください」

「俺は大丈夫だ」

「いや、絶対どこか怪我しているはずです」


 イーリスの顔には拒否権はないと描かれていた。これはソルの怪我を心配しているのではなく、ただ薬を塗りたいだけのようだ。イーリスは杖で床をトンと叩いた。


「さぁ、座ってください」


 ソルは観念して椅子に座る。この頃には顔の火照りは治っていた。


「どこが痛いですか?」

「右の肩甲骨の下だな」


 痛みがあるのはそこだけなので正直に答える。上半身のローブを下ろすとイーリスが後ろに回った。ソルの背中に手を当てる。


「この辺ですか?」

「もう少し下だ。あ、そこを右、そう、そこだ」


 痛む部位を確認したイーリスは、杖を椅子に立てかけると薬を指につけ塗り込む。思ったより力が強い。

イーリスは塗り終えた後も背中に手を滑らせている。


「ソルさん、他にも怪我してますよね」

「いや、そこだけだか」

「傷の感触がいっぱいあるんですが」

「それは過去の怪我の跡だな。治療が適当だから結構痕になっているんだ」


 ソルの背中には矢傷、裂傷、刺し傷など多数の傷痕があった。背中だけでなく胸や腹、手脚にもある。半分は任務での傷だが、半分は訓練で出来た傷だ。傷の治りは早いが、受傷後の処置をおざなりにしてきた為痕が多い。

 イーリスは確かめるように背中全体を触っていった。指先に傷痕を感じるとそれをなぞる。流石にくすぐったくなってきた。


「兵士ってこんなに怪我をするものなんですか?」

「ああ、まぁ俺の場合は特殊でな」

「大変だったんですね」


 一般の兵士より危険度の高い仕事しかないので怪我は付きものだ。しかもソルはその戦闘能力の高さ故、前線に送られる事が多かった。常に闘い続ける過酷な日々だったのだ。

 ソルが過去を思い出している間もイーリスは触り続けていた。手は背中だけでなく脇腹にも伸びていく。細い指が脇腹を撫でるとソルは反射的にに身を捩っていた。


「イーリス!くすぐったいからやめてくれ」

「あら、すいません。男の人の身体が面白くて、つい」


イーリスは残念そうに手を引いた。ソルは素早くローブを羽織る。


「面白いところなんてあるか?」

「はい。触っていると筋肉の形がわかって面白いです。私じゃ全然わからないので。お腹も触っていいですか?」

「ダメだ」


 このまま触り続けられたら変な気を起こしかねないのできっぱりと断る。イーリスは口を尖らせていた。


「じゃあ顔ならいいですか?」

「顔の筋肉はそうわからないと思うが」

「筋肉の為じゃなくて、ソルさんの顔も知っておきたくてですね」


 イーリスの五指が滑らかに動く。ソルは顔ならばと許可した。嬉しそうな彼女は杖を手に取りソルの正面に移動する。

 イーリスの左手がソルの頬に触れる。輪郭をなぞり口唇、鼻と触れていく。こんなに顔を触られるのは子供の時以来だ。


「ソルさんの肌の色はどんな色ですか?私と同じですか?」

「いや、俺のは日に焼けているからイーリスより黒いな」

「髪の色は?」

「暗い赤色だ」

「目は?」

「…緑だ」

「どんな顔してるって言われます?」


 どんな顔?想定していなかった質問にソルは戸惑った。他人から顔を評価された事はない。だが、よく指摘される事はあった。


「目つきが悪いとよく言われていたな」

「怖い顔しているんですか?」

「そんなつもりはないんだがな」


 イーリスは優しく瞼をなぞった。指先の感触では目つきの良し悪しはわからない。

 一通り触り終えると満足して手を下ろした。


「ありがとうございます。これではぐれてもソルさんの特徴をちゃんと説明できそうです」


 微笑むイーリス。詳しく聞いてきたのは、以前おばあちゃんの特徴を説明できなかった事を気にしての行動かもしれない。

 イーリスの灰色で輪郭だけの世界に、ソルという人物の色が追加された。彼女はそれが無償に嬉しかった。


「ふふ、何だか素敵です」


 小さな呟きはソルの耳に届くことはない。それでいい。この気持ちは自分だけのものだから。

 イーリスは軽やかな足取りでベッドへ行くと、まだ寝ていたアビィを起こした。アビィは直ぐに彼女の指にじゃれつく。

 ソルはご機嫌になったイーリスを見て口角を上げていた。

 穏やかな休息時間が過ぎていく。



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