41、急転
ガルドラント カラギス氏族領 兵舎
静かな砂漠の夜。領主の館の裏に併設された兵舎の渡り廊下に、群青色の長い髪を後ろで結んだ男が立っていた。柱に背を預けて腕を組んでいる。人差し指が規則的に腕を叩き続けていた。整った顔だが眉間には皺が刻まれている。
夜空の月が少し傾いた頃、飴色の髪をした男が扉をぶち破らんばかりの勢いで出て来た。
「すまねぇ!遅くなった!」
トールはそう言いながらセスの前で急停止した。
「ラウの奴が離してくれなくてよ」
「あんな詮索大好きお喋り野郎と話すからですよ」
セスは小さく舌打ちする。だが、眉間の皺は消えていた。柱から背を浮かす。
「行きますよ。魔術師サマのお呼びですからね」
「あー行きたくねぇな。俺あの人苦手なんだよな」
トールの心底嫌そうな声に頷きはせずとも、セスもほぼ同感だった。
今回、二人はある魔術師に呼び出されていた。この国は魔術師が少ない。有能な魔術師は貴重で一般に兵士より格上に位置付けられる。二人は兵士の頂点である“狐”であるが、それよりも魔術師の方が地位は上だった。その魔術師に呼ばれたのだから断る訳にもいかない。
二人は渡り廊下を進み、奥の宿舎へ入って行く。この宿舎が魔術師の住む場所となっていた。ここには三人の魔術師と、それに師事する魔術師の卵たちが寝食を共にしている。
エントランスには誰もいなかった。遅い時間なので皆自室にいるのだろう。一階の奥の部屋に行く。廊下には薬草や花の匂いが漂っている。
一番奥の部屋の前に着く。セスが扉を叩こうとしたが
「開いてるよー。早く入ってー」
中から女の声が聞こえた。セスは仏頂面のトールの頬を引っ張り表情を正すと扉を開けた。
部屋には瓶詰めにされた多数の標本と、よく分からない生物の剥製が並べられた棚が壁を埋めていた。奥にはうず高く積み上げられた本が危ういバランスで立っている。
中央の長椅子には気だるげに寝そべっている女がいた。妖しい美貌を持つ女は、豊満な身体を申し訳程度の薄衣で覆っていた。女が動くと若紫色の長い髪が白い肌の上を流れる。
「遅いよー。待ちくたびれちゃった」
「申し訳ありません」
本当は頭など下げたくなかったが、遅くなったのは事実なので下げておく。トールも真顔で頭を下げる。
「いいわ、暇つぶし出来たから。もう帰っていいよ」
一瞬自分達に言われた言葉かと思ったが、長椅子の陰から半裸の男が出てきてセスはため息をついた。男は自分の服を抱いて、セスとトールにペコペコと頭を下げながら足早に退室した。
「兵士をつまみ食いするのはやめて頂きたいと再三言っているはずですが」
「良いじゃなーい。兵隊さんも息抜きが必要でしょ?」
セスとトールは苦虫を噛み潰した様な顔になる。
「息抜き?肉欲に溺れさせ虜にして魔術の実験台にしたいんでしょう」
「優しいワタシがそんな事するワケないじゃない」
女は首を傾げて微笑む。セスは女の言葉を信じない。目の前にいるこの魔術師は精神を操る魔術を使う。精神に影響を及ぼす魔術は非常に危険で、加減を間違えると行使された人は廃人になってしまう。彼女は故郷のエリシスで何人もの人を廃人にしたという。エリシスでは精神魔術は禁忌魔術に指定されており、行使した者には厳しい処罰が下される。
彼女は処罰を逃れる為にこの領まで流れて来ていた。ガルドラントでは魔術に対する規則や法はない。それに託けてこっそり人体実験をしているという噂がある。
実際、女の元へ通っていた兵士たちは皆いつの間にか消えている。
女は長椅子から身体を起こす。
「セスはワタシの事よく思っていないよね」
セスは答えない。ただ表情を変えずに女を見据えている。
「妹さんの事を聞いちゃったせいかな?」
女の挑発的な声がセスの神経を逆撫でする。彼の表情は変わらないが僅かに女から目を逸らした。隣にいるトールはセスから漏れ出す殺気を感じ取っていた。戦闘時以外で殺意を表すなんてセスらしくない。それに彼に妹がいた事はトールは知らなかった。
「砂の中から見た光景は今もあなたを苛んでいるのかな?」
その言葉にセスの表情が変わり、強烈な殺気が放たれた。トールの背筋が凍る。青い目に明確な殺意を煮え滾らせたセスの手が動く。トールは咄嗟に彼の腕を掴んだ。途端に膨らんだ殺意が萎んでいく。理性を取り戻したセスの腕から力が抜ける。
「あーこわーい。ごめんねー嫌なコト言ったみたいで」
言葉と裏腹に女の口唇は三日月の形に歪んでいたあれ程の殺気を受けても女の様子は変わりない。
セスは一瞬でも理性のたがが外れてしまった自分を恥じた。この女はこうして人の感情が動く様を見るのが好きなのだ。心していたが、こうも簡単にのせられてしまうとは。妹の事になるとどうも抑えがきかない。
止めてくれたトールに内心感謝する。大きく息を吐くと再び女を見据えた。
「それで、魔術師殿は私たちに何の用ですか」
「他人行儀過ぎない?エリゼって呼んでよ」
エルゼは艶やかに微笑む。二人が頷くことはなかった。エリゼは本題に入る。
「あなたたち魔物に遭遇したんだって?どうして直ぐワタシに報告しないの?」
それはエリゼに会いたくないからであるが、二人は黙っておく。
「魔物を見たら報告してって言ってたでしょう?」
「先に帰還した隊長が報告したと思っていましたので」
適当に誤魔化す。でも嘘ではない。隊長であるゼイウスが報告していてくれたらラッキーだな、くらいには思っていた。まぁ、ゼイウスがわざわざここに来る事はまず無いだろうが。
「ゼイウスは領主兄弟のお守りで忙しいでしょ。それにつまんないのよねー、あの男は」
エリゼは口を尖らせ、指で口唇をなぞる。その指で今度はトールを指す。
「あんたは別の意味でつまんないけどね」
急に標的になったトールはまた仏頂面になってしまった。
「ま、いいわ。魔物のコト教えてちょうだい」
「何でいつも魔物の事を聞きたがるんだ?」
「趣味」
トールの質問にエリゼは一言でバッサリ切り捨てた。
歯を剥いて怒りそうになるトールを横目に、セスは遭遇した魔物の詳細を話した。獣憑きを飲み込んだ芋虫のような魔物と帰りに遭遇した火蜥蜴の様子を述べていく。話の合間にエリゼが更に事細かく聞いてくる。
話し終えると彼女は積まれた本から一冊抜き取った。
「火蜥蜴はあの森にも居るのね。この記述変えてもらわないと。人を食べる芋虫って砂虫みたいなものかな?」
ページをめくりながらぶつぶつと呟いている。その瞳に妖しさはなく知性の光があった。
「ねぇ、その芋虫の絵描いてよ。該当する魔物がいないんだよねー」
セスは固まった。彼は絵など描いたこともなかった。あんな生物を表現できる自信は微塵もない。するとトールが前に出た。
「しょうがねぇな。描くもの貸してくれ」
「あんたが?」
エリゼは怪訝な顔をしていたが、机の引き出しから羽ペンと紙を出して渡した。
トールは長椅子の前のテーブルに紙を広げると迷いなくペンを滑らせる。その様子をテーブルに手をついて観察するエリザ。トールの視界にエリザのたわわな双丘が入り、本能的に目で追っていた。それを自覚した瞬間に彼は自己嫌悪。自分の側頭部を叩いた。
エリザはニヤニヤしている。
トールが魔物の絵を描き上げると、エリザとセスは感嘆の声を上げた。細かく描き込まれた絵は、セスの記憶にある魔物の姿をそのまま写したかのようだった。
「あんたにこんな才能があったなんてねぇ。ここで働かない?標本の写しを描いてよ」
「確固たる意思でお断りします」
「即答?ひどーい。つまんないって言ったの謝るからー」
顔を撫でようとする彼女の手からトールは逃げる。彼の意思か固かった。
エリゼは獲物を狙う目をしていたが、興味の対象を絵の魔物に変えた。
「キレイに描いてもらってアレなんだけど、本当に遭遇したのはこの魔物なんだよね?」
「間違いないです」
セスは頷く。するとエリゼは顎に手を当てて首を捻った。
「これは炎纏蛾の幼体よ。でもねー、幼体は人なんか食べないはずなんだよねー」
「どういうことですか?」
エリゼは本のページを捲ると、絵と似た挿絵が描いてある部分を指した。
「幼体の主食は植物や木の根なの。人なんて食べても消化できないんじゃないかな。あ、でも本の記述が絶対ってワケじゃないから例外はあるけど」
トールはひったくるようにしてエリゼから本を取ると、炎纏蛾の項を凝視した。本を取られたエリゼは肩を竦める。
セスはこれからトールが何を言い出すか勘付いてしまい渋面となる。
「これ、もしかしたらソルは生きてるんじゃないのか?」
「言うと思いました」
「だって食えないもんを態々食う奴なんかいないだろ?きっとあの魔術師に従わされて嫌々食ったんだ」
セスは深いため息をついた。エリゼは二人のやり取りを面白そうに眺めている。
「じゃあ魔術師がアレを魔物に食わせた理由は?どうしてそんな無意味なことをしたんでしょうね。」
「魔術師の考えることなんて俺にはわからねぇ。でもソルが消化されずに生きてる可能性はあるだろ?」
トールはちらりとエリゼを見る。彼女は腕を組んで首を傾げていた。
「そうねぇ。炎纏蛾の幼体を手懐けるくらいの魔術師だから、主食を知らないはずないよね。これは憶測だけど、その魔術師は獣の坊やを捕えたかったんじゃない?幼体の体の中では身動き取れないだろうし、動く牢獄って感じで」
「捕える、ですか」
「ワタシと違ってヤバい感じの魔術師だったんでしょ?あんな森に居るくらいだし。実験か生贄に必要だったのかもね」
あんたも十分ヤバい、と喉まで出かかったが二人は飲み込んだ。
「それなら俺たちは何で生きて返されたんだろう」
「さぁね。幼体の体内定員は一名までだったんじゃない?」
エリゼの適当な返事をトールは真剣に聞いている。彼の中にはまだソルの背中が残っていた。数日経過しても尚、死を認めることができていなかったのだ。そのタイミングで生存の可能性が出てきたとあれば、縋りつきたくもなる。
トールはセスの正面に立った。
「なぁ、俺はこの事を隊長に報告して再度捜索に行きたい。セスからも隊長に言ってくれ。頼む」
「あんな所にまた行く気ですか。本当にどうしようもない人ですね。これから忙しくなるというのに」
頭を下げるトールに、今日何度ついたかわからないため息をつく。
「言うだけですからね。隊長が認めなかったら素直に諦めるように」
「っしゃ!」
トールは飛び跳ねて拳を握る。
消化不良だろうが実験体にされようが生存の可能性は低そうであるし、ゼイウスやアルバロが捜索を許可するとは思えない。大事な局面を迎えるこの時期に、隊員を派遣できる余裕はないだろう。嬉しそうなトールには悪いが、セスはそう冷静に考えていた。
「何か面白くなりそうねぇ」
エリゼはトールの手から本をスッと抜き取る。トールの頭は捜索のことで一杯で気づいていない。
彼女が退室の許可を出すとトールは慌ただしく、セスは渋々といった様子で部屋を去って行った。これからゼイウスの元へ行くのだろう。
一人になったエリゼは、ふと森に居たという魔術師が気になった。変わり者の魔術師ならエリシスに居た時に会っていたかもしれない。
「知ってるヒトだったりして」
エリゼは妖艶に微笑むと口唇をなぞる。彼女の興味は件の魔術師に移っていた。
静かな夜に暗雲が立ち込める。




