35、穴の中
半刻程経過したところで、集中していたクラウスが目を開けた。彼はふらつきながら立ち上がり三人を呼んだ。
「偽木生の居場所がわかったよ。あの広間の下だ。石虫の巣と思われる空洞に巨大な生命反応があった。奴はそこに居る」
クラウスの顔には疲労の色が見えた。広範囲の探知はかなりの魔力と集中力を消費する。探知系が苦手なクラウスは特に疲労感が強かった。
「どうやってそこまで行くんだい?」
「空洞まで坑道はないから石虫の通り道を使うしかないね」
石虫の穴は人がしゃがんで入れそうな大きさがある。通れないことはないだろう。
「でも、あんなところで襲われたら逃げられないだろ」
「それに関しては策がある」
これはクラウスの仮説だが、目や耳といった感覚器がない偽木生は空気の振動を感知して獲物を捕えている可能性があると。獲物が動けばその空気の流れを感じ取り捕縛するのだろう。
となれば、空気の流れを遮断してしまえば、偽木生に気づかれずに穴を通って近づける。
「空洞へ続く通り道の出口を僕の魔術で塞ぐ。その間に空洞まで移動する。これなら襲われる心配はなくなる、はずだ」
「はず、ねぇ」
あくまで仮説なので、その他の知覚方法があったら狭い穴の中で襲われることになる。
「あの、私が最高光度で照らしながら穴の中に入ったら、襲われずに行けるんじゃないでしょうか」
イーリスの光は偽木生に致命的なダメージを与えることができる。根は光を恐れて逃げるだろう。
だが、クラウスは首を横に振った。
「奴の知能がどの程度かは分からないが、本体に光が近づいていると気づかれれば通り道を崩落させられる可能性がある。危険だ。光は本体に接近するまで待って欲しい」
イーリスは納得した様子で頷いた。
しばらく話し合ったがやはりクラウスの案が一番確実性が高いという結論に至った。
一行は坑道内に再び足を踏み入れる。今度は光源は最小限にする為、カリーナが物置小屋で見つけた古びたランタンのみ。
クラウスの顔色が悪くなるのが早い。
地面に這っている何本もの蔦を追い進んで行く。最初の分岐を右へ進み緩い坂を下ると、ポツポツと穴が見えてきた。
クラウスが一本の蔦が入っている穴の前に立った。穴は壁の低い位置にあり、奥は底の見えない闇を湛えていた。
「ここが調べた限り一番まともな道だよ」
ソルは穴の中を確認する。あの根が生えている様子もない。ただクラウスの青々とした蔦が這っているだけだった。
「中は傾斜がきついところがあるから、帰りを考えるとこれを巻いて行った方がいいね」
クラウスの杖の先端から植物の蔓が伸びてきた。
「帰りは僕が引き上げるよ」
「じゃあ、あたしら三人で中に入るか」
カリーナはランタンをクラウスに渡した。
後ろにいたイーリスが穴の前に来る。穴を背にして三人に向かう。その表情はいつもと変わりなかった。
「中には私一人で行きます」
「ダメだ。一人では危険過ぎる」
間髪入れずソルが却下する。しかし彼女が引き下がる様子はない。
「気づかれないように近づくなら行く人数は少ないほうがいい筈です。それに光のない空洞で行動できるのは私だけです。夜目が効くソルさんも光が一切無ければ見えませんよね」
「それは、そうだが…」
穴の中は手探りで進めるが、広い空洞内ではそうもいかない。イーリスを護る為に行くつもりだったが痛いところを突かれてしまった。
「クラウスさんも引き上げるなら私だけの方が負担は少ないですよね」
クラウスの同意を求めるように、彼に向かって微笑みかけた。彼は困惑している。
「確かに負担は少なくなるが、内部の状況は分からないんだよ。不安でないかい?」
「私にとってはどこも同じです」
イーリスも危険性は重々承知していた。だが、不思議と恐怖心はなかった。人は本来、本能的に闇を恐れるが、長い間僅かな光と闇の中で生きてきたイーリスに恐れはない。
暗闇も光さす大地も彼女にとっては何ら変わりないのだ。
「中に入って照らすだけ。黒蛇姫と遭遇した時に比べたら全然マシです」
「君、黒蛇姫に遭遇してるのかい?よく五体満足で生きていられたね…」
クラウスは信じられないものを見たような呆れたような顔をしていた。イーリスは蔓を巻くよう彼に催促する。
「待ってくれ。イーリス、本当に大丈夫なのか?」
ソルは合理的に考えれば、彼女の言うことが正しいと理解していたがそれを簡単に是とできなかった。単純に彼女の身を案じているのだが、それだけではない何かがあった。だがそれが何かは分からない。この漠然とした感情を彼が理解するには、まだ時間と経験が必要だ。
「大丈夫ですよ。私を信じてください」
イーリスの柔らかな笑顔がソルに向けられた。彼女が頑固なのは承知している。今だに納得はできないが、ここは引くしかあるまい。渋々承諾する。
クラウスがイーリスの胴を蔓で幾重にも巻く。
「この中で一番度胸があるのはイーリスだね。正直暗闇に飛び込むのは勇気がいるよ。図体だけの自分が情けないね」
カリーナは感心したように、蔦で巻かれる彼女に視線を送っていた。イーリスは少しだけはにかむ。
「引き上げて欲しい時は、繋がっている蔓を二回引っ張ってくれ。それが合図だよ」
巻き終えたクラウスが彼女の背中から伸びている蔓を触らせた。イーリスは蔓の感触を確かめると、しゃがんで穴の縁に手をかけた。
「おっと、少し待ってくれないか」
クラウスが穴の下縁に触れると瑞々しい下草が生えた。草は闇のずっと先まで生えているようだった。
「この上を滑って行くといい。これなら傾斜を下るのも楽だよ」
「ありがとうございます」
イーリスは草の上に脚を伸ばして座った。そして振り返ると
「いってきます」
いつもと同じ調子で言い、杖を両手で抱えた。
「気をつけろよ」
ソルはもっと気の利いた言葉を送りだかったが、口から出せたのはそれだけだった。
クラウスとカリーナもそれぞれ用心と応援の言葉を送る。
イーリスは頷くと身体の重心を前に傾けた。すると草の上を滑って闇の中へ入っていく。
小さな背中が見えなくなるのは一瞬だった。
草は滑らかで、どんどんスピードを上げて下って行く。途中で急に傾斜がきつくなり、一瞬イーリスの身体が浮いた。尻が草に着地する。厚みのある草の層のおかげで衝撃は少ない。緩いカーブが右へ左へと続く。
しばらくすると、前方にクラウスの強い魔術の気配を感じた。膝を曲げ踵をブレーキにしてスピードを緩める。草の層を削りながらゆっくりと停止した。
「何かよく分からないけど、楽しかった…」
イーリスは初めての経験にご満悦だ。今、彼女は滑り降りる楽しさを知った。
ローブのフードからアビィが顔を出し、キュイキュイとご機嫌に鳴く。この小動物も楽しかったようだ。
イーリスはしゃがんだ体勢で前に進む。道はもうほぼ平坦だ。少し進むと蔦が幾重にも絡まり道を完全に封鎖していた。
彼女が蔦に触れると、解けるようにして道を開けた。途端にムッとした不快な臭いが立ち込める。腐臭とはまた違う、干からびた魚ような臭い。イーリスは眉を顰める。
この先が偽木生のいる空洞だ。イーリスは極力ゆっくりと動き空洞内に足を踏み入れた。
柔らかい土の上に立っている感覚がした。少しだけ足が沈む。
空洞内は上の広間より広いようだった。イーリスの正面、空洞中心部に大きな生命反応がある。それは巨大な木の幹の形をしていた。これが偽木生の本体。根があちこちに張り巡らされている。
偽木生の周りには人骨や鎧が散乱していた。それに石虫の外皮と嘴が積み重なっている。
偽木生が大きく蠕動した。幹の部分が縦に裂け、石虫の嘴が吐き出された。大きな嘴は人骨に当たり、乾いた音を立てて転がる。
縦に長く裂けたそれは、口にあたる器官なのだろう。口の内部は赤みを帯びた肉の色。おおよそ木としてはありえない色彩だった。光の届かないこの場所と、イーリスにとっては色など無意味であるが。
イーリスは短く息を吐くと杖を握る手に力を込めた。彼女の気配を察知し始めた周囲の根が僅かに動く。
杖を掲げると同時に小太陽が出現した。瞬時に空洞内が光に包まれる。爆発的な光の奔流は偽木生を白く枯らしていく。縦に裂けた口が開かれる。苦しみに悶えているようだった。
このまま照らし続ければ偽木生は枯れ果てる。だが、事はそう簡単には進まなかった。
中心の幹の光が届かない反対側部分が盛り上がり、何本もの太い根が凄まじい速度で伸びた。その根は光の元を破壊しようと暴れ回る。イーリスに根の重い一撃が迫るが結界に弾かれた。
偽木生は光で枯らされながらも空洞内をのたうつ。あまりの衝撃に崩れた岩盤が落下した。イーリスの頭上にも大小様々な岩盤が降り注ぐ。岩盤の雨により光が一瞬遮られた。その隙に偽木生は更に根を生やし暴れる。太い根は岩を粉砕し、壁や天井に大きな亀裂を作った。
イーリスは暴れる偽木生に数十本の青白い矢を放つ。矢は根や幹を貫通しその場に縫い止めた。偽木生は根を引きちぎりながら拘束から逃れようとする。
もう一度矢が放たれた時、地面が大きく揺れた。バランスを崩したイーリスがよろめくが矢は命中していた。白い破片が飛び散る。
しかし、それをものともせず幹が大きく動いた。地面から脚を引き抜くようにして、土の中から更に巨大な根が現れた。幹程もある根が地面を揺らす。
その時大きな音を立てて空洞が崩落した。今までとは比にならない大きさの岩盤が次々と落ちてくる。
岩盤の雨は瞬時にイーリスと偽木生を埋め尽くしてしまった。




