31、メルンの朝
翌朝、ソルは部屋の隅で双剣の手入れをしていた。刀身を磨き上げ、柄の金具に緩みがないか確認する。
昨夜は一人ということもあり、何の問題もなく朝を迎えられた。柔らかいベッドには慣れなかったが、目を閉じるといつの間にか眠りに落ちていた。高価なベッドで寝たせいか、いつもより疲労回復しているような気がした。思い込みかもしれないが。
刀身に映る顔はいつもと変わりない。赤銅色の髪に日に焼けた肌、そして若葉のような緑の瞳に浮かぶ獣の証。
ソルは眉をひそめ、双剣を鞘にしまった。
シンと静かになる室内。
イーリスは起きているだろうか。
隣の部屋とは壁一枚隔てているだけだが、夜は何の物音も聞こえなかった。高級宿は壁の防音もしっかりしているようだ。
ここからでは彼女の状態が分からない。
ソルはイーリスの部屋へ行くことにした。扉へ手をかけた時、カリーナの声と扉を叩く音がした。ベッドに放っておいたフードを被る。
「ちょっと、起きてるかい?」
扉を開けると寝不足顔のカリーナが立っていた。
「どうしたんだ?二日酔いか?」
「あたしはあのくらいで二日酔いにはならないよ」
カリーナはフンと鼻を鳴らす。
「こんな顔になってんのはお隣のお嬢ちゃんのせいさ」
「イーリスが何かしたのか?」
イーリスが彼女に何かするとは思えないが。カリーナは昨晩の出来事を話し始めた。
昨夜部屋に戻ったカリーナは、飲み足りなかったので一階の受付まで酒を貰いに行った。だが、もう厨房の者がいないので酒は出してもらえなかった。仕方なく近くの酒場に行き、気の済むまで飲んで帰ってきた。
二階の廊下を歩いていると、正面から夜着一枚のイーリスがフラフラと彷徨いていた。
何をしているのかと声をかけても反応なく、幽鬼のように歩いていた。よく見るとイーリスの目は閉じたままだった。夢遊病の類いだと思ったカリーナは彼女を抱えると部屋に連れて行った。
イーリスをベッドに寝かせ立ち去ろうとしたが、服を掴まれ離してくれなかった。無理にでも振りほどいてよかったのだが、彼女の無邪気な寝顔を見ていたら、故郷に残してきた小さな子供たちを思い出してしまいできなかった。
それでイーリスのベッドに座り、そのまま朝まで過ごすことになったそうだ。
「そうだったのか…」
ソルはイーリスがまた夢遊病のようになったことに困惑した。以前イーリスはたまにあることのように言っていたが、全然たまにではない。
イーリスの挙動に気になりがちだが、ソルはカリーナの子持ち発言に驚いていた。口には出さないが、子供を育てている姿が想像つかない。
「おかげで寝不足さ。あんたはお嬢ちゃんがこうなるって知ってたのかい?」
「あぁ、でも部屋を出てしまうほど動くとは思っていなかった」
カリーナはため息をついた。
「あの娘は寂しいんじゃないかい?ずっと一緒だった人がいなくなったんだろ」
「確かに言わないだけで寂しいのかもな」
イーリスは家を出てから不安を口にした事がない。唯一の家族が帰って来ず安否も分からないのだ。不安や寂しさがない筈はないだろう。
「だからあんたが一緒に寝てやりなよ」
「えっ!?」
ソルの反応にカリーナは不服そうだ。
「えっ、じゃないよ。魔術師を守るのが盾の仕事だろ。お嬢ちゃんが安心して眠れるようにしてやんなよ」
「盾は魔術師の睡眠も守らなければならないのか?」
「細かいことは気にすんなって。それに昨晩のお嬢ちゃんを見つけたのがあたしじゃなくて、クズみたいな男だったらどうすんのさ」
ソルの顔がスッと曇る。
「簡単に部屋に連れ込まれるよ。あんたがちゃんと保護しときな」
「でも未婚の男女が同じベッドで寝るのはどうかと思うが」
ソルがもごもごと発した一拍の後、カリーナが盛大に吹き出した。
「あーっはっはっはー!!」
大声で笑うカリーナ。笑い過ぎて目尻には涙が浮かんでいる。
「あんた、若そうなのにうちのばあちゃんみたいなことを言うんだね!」
ソルは憮然とした表情をしていた。フードを被っているので彼女にはあまり見えていないが。
「ばあちゃんみたいで悪かったな」
「全然悪くないさ!むしろそんなんだからいいのさ!」
カリーナはソルの肩を強めに叩いた。
「あんたなら大丈夫だろ。でも、もし手を出しちまったら最後まで責任取りなよ」
「おい、何言ってんだ」
彼女はニマニマ笑うと、琥珀色の髪を翻して自分の部屋へ向かう。
「あたしはこれから寝るから朝食はいらないよ。鉱山に行く時は声掛けとくれ〜」
手を振りながら部屋に入って行った。残されたソルは痛む肩をさすり、憮然とした顔のまま廊下に出た。
とりあえずは昨夜のことをイーリスからも聞かねばならない。
隣の部屋に行こうとしたが、硝子窓から中庭で動く暗めの金髪頭が見えた。足を止め中庭を見下ろす。そこには艶やかな黒髪の人物もいた。
クラウスとイーリスだ。二人は中庭で何をしているのだろうか。
イーリスは防御結界を展開していた。クラウスは一本の矢を魔術で作っていた。矢は捻り合わせた蔓のように見える。所々から青々とした葉が生えていた。
対峙した二人の距離はさほど離れていない。
至近距離から矢が放たれ結界に命中する。矢は結界に傷ひとつつけられず、緑の燐光を残して消えた。
「ふうむ。ではこれはどうかな?」
クラウスが杖を掲げると、杖の先端から緑の荊がするすると伸びてきた。鋭利な棘と赤い花がびっしり生えている。荊は結界に巻き付き、ギリギリと締め上げた。始めはびくともしない結界だったが、荊の力が強まると亀裂が入った。
クラウスが腕を横に振ると荊の力が更に強まり、ひび割れた結界が崩壊した。掲げた杖が下げられると同時に荊も消える。
「壊されちゃいました」
残念そうなイーリス。クラウスは微笑みながらも、彼女の結界の強固さに舌を巻いていた。
「いや、イーリスくんの結界はかなり強いよ」
クラウス曰く、防御結界は基本的に魔術や物理攻撃を防ぐ。結界の強固さは込められた魔力量で変わる。イーリスの膨大な魔力で形成された結界は非常に強固であった。
「僕の荊でも破壊するのに時間がかかったからね」
「私の結界が破れたのは、単純にクラウスさんの魔力量が勝っていたからですか?」
「とんでもない。君の様子を見るに、魔力量は圧倒的にイーリスくんの方が上だよ」
「じゃあ、どうして破れんでしょう?」
クラウスは首を傾げるイーリスの目の前に、再び荊を出現させた。荊は蔓を伸ばし王冠のように円を作った。赤い八重の花弁が開き美しい花冠が出来上がる。
「これは僕の対魔術師様の切り札さ」
イーリスは赤い花の花弁をそっと触る。まるで本物の花のような手触りに目を見開く。
「棘に気をつけて。この荊はね、形成された魔術の魔力を奪う効果があるんだよ。」
「え、そんな効果を付与できるんですか?」
「日々の研鑽とこの杖のおかげでね」
クラウスは手に持った杖の魔石を眺める。
「どんなに強固な結界でも、魔力を吸い取って出来た小さな亀裂を攻めればいずれ破壊できる」
「んー、ではどうやったら防げるんですか?」
「そんなのは簡単だよ。結界が破壊される前にこの荊を破壊してしまえばいいんだ」
イーリスは、あ、そっかと小さく呟いた。浮いていた花冠が消える。
「防御と攻撃を同時に行う魔力操作は難しいが、常日頃魔力探知をしている君ならできるだろう」
クラウスは言葉を切ると、イーリスをまじまじと観察した。
「でも、その前に君は防御結界を見直した方がいい。」
「何か不備がありますか?」
「不備というか、勿体無いかな」
勿体無い結界とは。イーリスの頭に疑問符が浮かぶ。
「イーリスくんは魔力探知でとても繊細な魔力操作をしているのに、防御は魔力の使い方が大雑把で勿体無いんだ。こんなにチグハグなのも珍しいよ」
「そうなんですか?おばあちゃんに教えてもらったようにしてるつもりですが」
「おばあさんはどうやって教えてくれたんだい?」
イーリスはおばあちゃんに防御結界を教えてもらった時のことを思い出す。
「魔力をガッと固めてギュッとするような感じと教わりました」
「…それだけ?」
「それだけです」
クラウスは空を仰いだ。今日は青空が見える。顔を正面に戻すとキョトンとしたイーリスがいる。
「…君のおばあさんはかなりざっくりした人のようだね」
「人に教えるのは苦手だと言ってました」
「だろうね。まぁ、それだけの説明で結界が張れるなら君の努力の賜物だよ」
クラウスが察するに、イーリスのおばあちゃんは天才型だったのだろう。このタイプの魔術師は、大抵の魔術を見ただけで直ぐ行使できるようになることが多い。クラウスの同期にもこのタイプがいた。その同期曰く、見たら感覚で解るとのことだった。
そしてこのタイプは感覚で魔術を習得するため、言語化して説明することが苦手な傾向にある。
「それで君の結界なんだけど、形成の仕方が大雑把だからかな、無駄な魔力の流れと消費量が多いね。魔力量が多いからどうにかなってるけど。せっかくだからもっと効率的で応用の効く結界にしてみないかい?」
「したいです!」
イーリスの目が輝く。手に持つ杖にも力が入る。クラウスも教え甲斐のある生徒が出来たようで、背筋が伸びる。
魔術の講義はしばらく続きそうだ。
二階の窓から二人の魔術師のやり取りを眺めていたソルは、ふと自分が憮然とした顔のままであることに気づいた。
カリーナから言われた言葉を根に持っている訳ではない。では何が面白くないのか。思い当たる節はない。眼下でイーリスとクラウスが親しげにしていることは関係ない。そう、関係ないはずだ。
このもやもやとした感情の出所が分からない。
これは空腹のせいだと、腹部をさすりながらソルは自室に戻った。




