30、テーブルを挟んで
今日の探索を終えた一行が坑道から外に出た頃には、辺りが暗くなり始めていた。
カリーナは抱えていたクラウスをその辺に転がした。本日二度目の光景。
帰り道でとうとう限界が来た彼は、目を閉じ耳を塞ぎ殻に籠ってしまっていた。自分の心を守るために外部からの情報を遮断するのだろうが、急に行動不能になるのはやはり危険だ。
転がったクラウスをカリーナが大声で起こす。毎度二週間もこれを繰り返している彼女は忍耐強い。ソルは俺には無理だ、と心中で彼女を称賛した。
ソルは下山しながら魔物の正体を考えるが、空腹にて思考が纏まらない。そういえば昼食を食べ損なっていた事を思い出す。すると空腹感が増した。
無言のイーリスの表情は読めないが、彼女も空腹だろう。街に戻ったら宿と夕食をどうにかしないといけない。
後方のクラウスとカリーナには疲労の色が滲んでいた。彼らも無言でただ歩を進めている。
坑道内での出来事は、今後起こる未知の魔物との避けられぬ戦闘を示唆させられた。魔物の種類や生態は解明されていない部分が多いが、人と交戦または遭遇した魔物は大抵報告書が作られまとめて書籍になる。
一通り魔物の図鑑に目を通しているクラウスが認知していない魔物となると厄介だ。戦闘前提では被害を最小限にする為にも、事前に生態や攻撃方法などを周知しておく必要がある。
何かしらの情報が欲しいところだ。
街に帰ると、あちこちに街灯の暖かい光が灯っていた。
ソルは宿探しの前に、酒場の給仕に預けた背嚢を取りに行くことにした。二人が酒場の方へ足を向けようとした時、クラウスがイーリスの肩に手を載せた。
「君たち、宿決まってないだろ?僕たちが泊まっているところに来なよ」
「いや、悪いが遠慮させてもらう」
彼らが宿泊しているのはあの高級宿だ。懐は寂しくないとはいえ、高級宿に宿泊出来るような金銭事情ではない。
「いろいろ話し合いたいことがあるから同じ宿がよかったんだけどな。料金は僕が負担するよ」
魅力的な言葉に酒場へ向けていた足が止まる。イーリスがソルの服をくいと引っ張った。
「ソルさん、あの宿に行った時にとても良い匂いがしました」
彼女の腹から悲しい唸り声が聞こえる。やはり空腹のようだ。高級宿なら食事もさぞ美味しかろう。断る理由は消滅した。
それならばと二つ返事で了承する。
ここで背嚢を取りにソルは酒場へ、残る三人は宿へと別れた。クラウスがイーリスにちょっかいを出さないか心配もあったが、カリーナがいるので大丈夫だろう。
ソルが再び酒場を訪れると当たり前だがジルはもういなかった。飲んだくれた鉱山夫で溢れているのは変わらない。ソルに気づいた給仕が手を振り背嚢を持ってきてくれた。
彼女が事の進展を尋ねてきたが調査中としか言えなかった。
騒がしい酒場を後にすると宿へ向かう。平地より標高が高い為か夜になると肌寒い。山から吹く風が吹き付けると体感温度はは更に下がる。砂漠育ちのソルは寒さが苦手だ。自然と足早になる。
宿に到着すると受付嬢が部屋へと案内してくれた。部屋にはベッドが一つ。広くはないが一つ一つの調度品が高級品であった。床には絨毯も敷いてある。
もし不注意で破損してしまった場合の弁償費はいくらになるのだろうか、と考えてしまうのは貧乏性故か。
「お連れ様は左隣の部屋に案内しております。お食事はクラウス様の部屋にお持ちするよう承っておりますので、そちらにお持ちしております」
受付嬢は一礼すると下がって行った。
何はともあれまずは食事だ。薄汚れてきている背嚢を絨毯の上に置くのは気が引けたので部屋の隅に置く。
部屋を出て、クラウスの部屋がどこか聞いていないことに気づいた。一階の受付に行こうとしたがカリーナの大きな声が聞こえた。声はイーリスの部屋の隣から漏れ出ているようだ。
その部屋の前に行くとクラウスの声も聞こえた。扉を叩くと中からどうぞ、と彼の声。
部屋に入ると、食事が載ったテーブルを囲んで三人が談笑していた。カリーナがソルに顔を向けると手招きをした。
「この嬢ちゃんが魔の森に住んでたって本当かい?」
椅子を引いて座ったソルに赤ら顔のカリーナが絡む。既に結構な酒が入っている雰囲気だ。
「本当だ」
「凄いね。並の度胸じゃないよ!」
カリーナは正面に座るイーリスに拍手をする。
クラウスは酒盃を傾けながら、まだ信じられないといった顔をしていた。
ソルは並べられた様々な食事を見渡し、目の前にある炙った鶏肉に手をつけた。塩で味付けしてあるだけだが溢れる脂と柔らかい肉の旨味を存分に感じられて美味い。流石高い宿は食事の質も高い。
「イーリスくんが魔物慣れしていそうだったのはその為なんだね。いやーでもあんなところに住めるものなのか〜」
「おばあちゃんが結界を張っていてくれたので危険なことは少なかったですよ」
イーリスは膝に載っているアビィにパンを千切って与える。
「その生き物も初めて見るよ。何で名前なんだい?」
「アビィです」
「アビィくんか。種族名は分かるかな?」
首を横に振るイーリス。
「そいつに似た生き物ならハルバハールに行った時に見たよ」
意外にもカリーナが知っているようだった。イーリスの期待が膨らむ。
「あたしが見たのは一回り大きいやつだったね。地元の奴らが名前を教えてくれたけど忘れちまったよ」
膨らんだ期待はするすると萎んでいった。カリーナは骨付きの羊肉を豪快に口に入れる。
種族名はわからなかったが、ハルバハールに生息していることが判明した。
アビィはあっという間にパンを食べ終えると、次の食物を所望していた。今度は素揚げにした芋を与える。両手で持つと凄いスピードで食べ続けていた。
「森にはきっと知らない生物や植物がたくさんあるんだろうね。興味深いけどやはり行こうとは思わないかな」
単なる学術的興味のために魔物だらけの森に入る勇気はない。それが普通だ。
クラウスは小瓶に入った赤みがかった小さな結晶をパラパラと蒸した芋にかけ、丁寧に切り分けフォークを刺す。
「イーリスくん、魔の森から来たことはあまりいろんな人に言わない方がいいよ」
「何故です?」
「この国の定めでね、魔物の生息域は一般人は立ち入り禁止なのさ。国が認めた一部の魔術師と同行者しか入れないんだよ。ストラウト湖の事件を知っているかい?」
「いえ」
クラウスは五十年前にあった事件を話し始めた。
エリシスの南西に位置する場所にストラウト湖という大きな湖がある。この湖とその周辺は魔物の生息域になっていた。いつも霧深い湖は見通しが悪く、周囲に生えている植物には漏れなく毒性がある。湖中には大型の魔物もおり非常に危険な区域になっている。
当時は魔物の生息域への立入制限はなかった。その為ここでしか取れない貴重な素材や魔石を求めて、命知らずな者共が度々侵入していた。だが、その大半が帰って来ることはなかった。
そんな折一人の男が幸運にも湖のほとりから大きな鉱石を持ち帰ることができた。その鉱石は新種の鉱石で、一攫千金の可能性が高まる。男が大いに喜んだその夜、悲劇は起こった。
魔物の大群が街に押し寄せてきたのだ。一夜にして街は地形が変わる程壊滅してしまった。街から逃れることの出来た僅かな生存者を残して、皆命を落とした。
後の調べで男が持ち帰ったのは鉱石ではなく魔物の卵であったことが判明した。このことから卵を持ち去られた魔物たちが怒り、取り返しに来たのだと考えられている。
あまりの死者数に国王は事態を重く受け止め、魔物の生息域への立入制限を設けた。不法侵入者には罰則があるが、魔物の生息域へ入り帰って来れる者はほとんどいないので実施されることは少ない。
「だから不法侵入者として裁かれるかもしれないんだ。ま、でもそれはこの国だけの決まりだから、三国の国境に跨ってるあの森ならガルドラント側にいましたーとか言っとけば誤魔化せるかもね」
「そうだったんですね」
イーリスは新しく知り得た話が興味深かったのか楽しそうにしている。
「あと、脅して森を案内させようって奴もいるかもしれないからね。金の為なら何だってする馬鹿な手合はどこにでもいるもんさ」
カリーナは自分の酒盃に葡萄酒を注ぐ。
魔物の生息域にある高価な魔石や素材を欲しがる者は多い。森の安全な移動ルートを知っていることが分かれば狙われる可能性があるとのことだ。
イーリスはほろほろに煮込まれた牛肉を嚥下しながら、今後不用意に口外しないと心に決めた。
「で、明日からはどう動くか考えたのか?」
ソルは付け合わせのグリル野菜を食べ終えると、パンを口に放り込んだ。
「それなんだけどね、僕はちょっと気になる事があるから、この街の書庫に行って来るよ。君たちは幾つかランタンを持ってあの広間に並べてきてくれないか?」
「何か気づいたような口ぶりだな」
「まだ憶測の域を出ないがね」
クラウスは芋を上品に食べながら神妙な顔つきになる。
「ランタンなんて並べてどうすんのさ」
「確かめたいことがあるんだ」
カリーナには彼の意図が分からなかったが、妙案もないので従うことにした。クラウスの言葉に異論を唱える者はいない。
明日の行動予定は決定した。一行は食事を終えると、それぞれ部屋へ戻った。
明日に備え休息を取らねばならない。来るべき闘いの時に備えて。




