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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第二章 辺境の街セレスタ
24/73

24、朝と商人

 ソルは朝の気配を感じつつ、まどろみの中を漂っていた。久々のベッドをまだ堪能したい気持ちが強いのか、瞼が開かない。

 横向きに寝返りをすると手が何かに触れた。それは柔らかく何とも言えない弾力があり、触り心地が良かった。温かく癖になる感触でつい手が動いてしまう。


 それが何なのか気になり薄く目を開けると、ぼんやりと白いものが見えた。更に目を開けると白いものは人の顔だとわかった。その瞬間ソルはベッドから跳ね起き壁まで後退りした。

 静かな室内で、早馬のような自分の心音だけが耳に届いている。今、ソルは誰がどう見てもわかるくらいに動揺していた。過去に敵に寝首を掻かれそうになった時よりも動揺している。

 手にじっとりと汗をかいていた。


 ソルのベッドにいたのはイーリスだった。眠りが深いようで起きる気配はない。何故ソルのベッドで寝ているのかはわからない。

 彼が触っていたのはイーリスの胸だったのだ。

 まだ手に残る感触にソルは赤面していた。事故とはいえ自分のしたことに頭を抱える。

 イーリスはそんなことに気づくはずもなく、静かな寝息をたてていた。


 同じベッドに侵入されても気づかず寝ていたとは。ガルドラントにいた頃では考えられない緩みっぷりだ。


 ソルは深呼吸をするとイーリスに掛け物をかけ、音を立てないよう部屋から出た。まだ心臓は高鳴っているが幾分落ち着いてきた。

 頭を冷やす為に外へ歩きに出る。ひんやりとした空気が気持ち良かった。


 早朝の街には人影はなく、昨日の喧騒が嘘のようだ。門近くに立っている騎士団員が眠そうに目を擦っている。

 目隠しのフードを忘れたことに気づいたが、人のいない今なら大丈夫だろう。

 街の中心の通りを散歩する。出店なども全て片付けられており、通りが昨日より広く感じる。隅にゴミのような物が積まれていた。商人たちが捨てていったのだろうか。


 ソルは噴水のある広場まで行くと、軽く身体を伸ばし膝を曲げ伸ばしする。両肩も回し可動域を確認した。

 剣は宿に置いてきたので、素手での格闘を想定し身体を動かした。蹴りと拳、手刀での突きを織り交ぜながら技を繰り出していく。右手の手刀が空を切った時、ふいにあの感触が手のひらに蘇った。再び耳が熱くなる。

 思わず噴水の水に顔を突っ込んでいた。


 急速冷却された顔を上げ、流れる水滴を払う。ソルは自分でもどうしてこんなに動揺してしまうのか理解できなかった。

 獣憑きとして迫害され、他者と深く関わることの無かったソルは当然異性との付き合いも無かった。それ故に彼にとっては男も女も同じで、抱く感情に差はなかった。しかし昨夜からのイーリスの行動で、じわじわと何かが変わってきていた。

 そんなソルに今朝の出来事は、異性という存在を意識させるには十分過ぎるものだった。


 ソルは目を閉じて厳しい訓練時代を思い出した。装備もなく灼熱の砂漠に放りだされ、野垂れ死ぬ寸前までいったこと。毒の耐性をつける為に体内に毒を投与され苦しみ続けたこと等、辛い経験で思春期の少年のような動揺心を塗り潰していく。

 しばらくすると気分は落ち込むが心は落ち着いた。


 目を開けると太陽の光が街を包み始めていた。ちらほら人の往来もある。人目につかないよう俯き加減で通りの端を歩いて宿へ戻った。

 宿の近くまで来たところで、どこからか声が聞こえてきた。


「おにいさん、おにいさん」


 不審に思い、辺りを見渡すが誰もいない。気のせいだったか。宿に向かおうとすると、また声が聞こえる。


「おにいさん、そこの獣のおにいさん」


 ソルは息を飲み動きを止めた。彼が獣憑きであると知っている者はこの国にはいない。まさかガルドラントの者なのか。

 だが周囲には人影すらない。あるのは打ち捨てられたゴミのみ。すると唐突にゴミが動いた。

 ソルは即座に徒手での臨戦体制をとる。ゴミは盛り上がると人の形になった。


「あたしのこと覚えてない?」

「ゴミに知り合いはいない」


 人の形をしたゴミは衝撃を受けたように一歩後ずさった。纏ったゴミの中から、汚れた手がにょっきりと現れる。薄汚れた手はゴミを次々と外していく。ゴミが減ると人だとわかるようになった。

 ボサボサの長い赤毛の女だった。分厚い眼鏡がクセだらけの前髪の下に鎮座している。ぼろぼろのローブにはまだ落ち葉や紙屑がついていた。


「ほら、これでわかるでしょ」


 ソルは記憶を辿る。そして気づいた。


「あの行商人か!」


 ガルドラントから魔の森に入る前に、リーリンの花を買った行商人だった。獣憑きとわかると商品を売ってくれない商人が多い中、気にする素振りもなく普通に客として対応した商人だったので覚えている。

 あの時もだいぶくたびれた格好だと思っていたが、今は近づき難い程に汚れていた。

 臨戦体制を解くが一応警戒は怠らないようにする。


「覚えてくれてたんだね」


 女は嬉しそうににっと笑った。


「あの花、ちゃんと効果あったでしょ」


 正直、効果があったのかはわからない。ただ、イーリスの家や野営ポイントに群生していたので多少なりとも魔物避けの効果があるのかもしれない。


「よくわからん」

「えぇー」


 ソルの正直な返答に落胆した様子の女。わかりやすい反応だ。


「でもあの森に入ったんでしょ?よく生きて出てこれたね」

「まぁ、運が良かったんだ」


 これは嘘ではない。イーリスとの出会いという幸運がなければソルは詰んでいた。


「怖そーな人たちもおにいさんの後を追ってたけど、それもどうにかしちゃったんだ。持ってるねぇ」


 女の言葉にソルは顔をしかめた。女の言う怖そうなおにいさんとは追っ手のことだろう。そこであることに気づいた。


「お前、俺の行き先を教えたな。俺が来たことは誰にも言うなと言っただろう」


 女は困ったように頭をわしわしと掻いた。


「だって、あんな怖い人たちに囲まれたら嘘は言えないよー」


 確かに非力な商人が武装した男たちに尋問されたら話すしかないだろう。会ったばかりの人に義理立てする理由も女にはない。

 ここで女を責めるのは酷というものだ。


「いや、責めるつもりはないんだ」

「そうなの?おにいさんいい人だね」


 女は足元のずた袋を広げた。中には様々な道具が詰め込まれている。


「これ売り物なんだけど、好きな物持ってっていいよ。せめてものお詫び」


 ソルは用途のわからない道具だらけの袋を見て断ろうとしたが、女は中身を次々と取り出し説明を始めた。

 脚に貼ると脚力が上がる湿布やお茶を最適な温度で作れるティーポット、頭に被ると頭の回転が速くなる網等、効果が怪しい物や微妙な物が多かった。


「いや、そんな気を使わなくても」

「あ、これはおすすめだよ。魔術師に魔術を込めてもらうと非魔術師でも魔術を使える魔道具」


 女が手に持つのは透明な石の首飾りだった。使えそうな魔道具にソルは興味を示した。


「攻撃でも防御でも好きな魔術を一つだけ込められるよ。一回使うと壊れちゃうけどね」


 一回でも魔術を使えるのであれば十分だろう。護符に近いものだが込められる魔術を選べるのは便利だ。


「よし、それを貰おうか」


 女はソルに首飾りを渡すと満足そうに笑い、ずた袋から古い短剣も出した。短剣の鞘には細かな装飾が施されていた。高価なものだろうが、錆と汚れで見る影もない。


「おまけにこれもあげる。借金の形にもらったんだけど、あたし剣は使わないし」


 女は押し付けるように短剣を渡した。思わず貰ってしまったソルは、仕方なく刀身を確認する。鞘から抜こうとしたが、鞘が刀身にぴったり吸い付いているかのように抜くことができない。もう一度渾身の力を込めて抜こうとするがびくともしなかった。

 ソルは眉根に皺を寄せて女を見た。


「やっぱ無理だったかー。あたしの力が弱いせいじゃなかったのね」

「どういうことだ」

「それね、どうやっても鞘から抜けないんだよね。変な魔術でもかかってんのかな。ま、おにいさんなら鈍器としても使えるでしょ」


 程よく不用品を押し付けられている感があるが、鞘が頑丈な作りなので戦闘に使えないことはない。タダなら貰っておいて損はないだろう。それに魔術が付与されている武器は高く売れることがある。これももしかするといい値がつくかもしれない。


「それなら貰っておこう」


 短剣を腰のベルトに差して固定する。立ち去る前にずっと抱えていた疑問を女にぶつけた。


「それはそうと何でゴミを被っていたんだ?」

「あー、これはね追い剥ぎ防止。その辺で商品持って寝てたら盗られちゃうじゃない?ゴミになりきればそんな心配ないからね」


 女はうねり絡まる赤毛の中から、木の枝や紙屑を引っ張り出し除去している。

 本来は宿に泊まる予定だったが、街に着くのが遅くなってしまい宿に空きがなかったそうだ。仕方ないので路上で寝たとのことだが、自衛の為とはいえゴミの中で寝るとは発想が極端である。随分と逞しい商人だ。


「次は商品買ってねー」


 ソルは手を振る女に軽く頷くと宿へ向かった。通りにはさっきより人が増えている。街の朝は俄かに活気づいていく。

 前髪を下ろし俯きながら歩みを進めた。


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