22、セレスタの宿
ソルとイーリスは街に戻ると、エルネスティーネの馬車を確認しに行った。
ところが馬車は貴族の家紋付きで華美なものだった。とてもじゃないが貰えるようなものではない。こんな馬車に貴族の身なりでない者が乗っていたら、盗んだと誤解される可能性がある。
仕方ないので馬を一頭もらうことにした。イーリスに状況を説明すると、すんなり了承してくれた。
エルネスティーネは馬だけで済んだことで安堵していた。
そうこうしていると、日も暮れてきた。アレクシスの言っていた宿に向かう。中流のごく一般な宿だった。
中に入ると一階は酒場になっており、非番の騎士団員や商人が食事と酒を楽しんでいた。
二人に気づいた従業員がニ階の部屋に案内した。どうやらアレクシスが話をしてくれていたようだ。
部屋は一番奥で一階の喧騒も気にならない。
部屋に入り背嚢を下ろす。フードを外すと一息ついた。イーリスはベッドに座り感触を確かめている。その様子を見て、ふとあることに気づいた。
(イーリスと同じ部屋だと!?)
ベッドは二つあるとはいえ未婚の男女が同室とはまずいのではないか。イーリスも会って直ぐの男と同室は嫌だろう。追加料金を払ってもう一部屋借りることにしよう。
「あーイーリス?もう一部屋追加してもらえるよう言ってくる」
「何でです?」
彼女はベッドに座ったままキョトンとしている。
「何でって…俺と同じ部屋は嫌だろう?」
「嫌じゃないですよ」
即答されソルは何も言えなくなる。イーリスは怪訝な顔をしていたが、数秒後には口をへの字にしていた。
「ソルさんは私と同じ部屋が嫌なんですか?」
眉をひそめソルの方を向く。これは気遣いのつもりだったが、変に彼女を勘違いさせてしまったようだ。
「そういうことではない」
「ではどういうことですか?」
追求する姿勢のイーリスに言葉を選びながら弁明する。
「年頃の娘は家族でもない男と同じ部屋で寝るのは、普通嫌がるものだと思っていたんだが…ほら、着替えとか見られるの嫌だろ?」
「うーん、普通は嫌がるんですか?私はそういうの全然気にしないので大丈夫ですよ」
誤解は解けたようだが、イーリスのあっけらかんとした物言いにソルは面食らった。目が見えないので周囲の視線が気にならないからか、もしくはずっと人を寄せ付けない森に住んでいたからなのか、恥ずかしいという概念が一般の娘とは違うのかもしれない。
イーリスは大丈夫でもソルは気になるので、できれば別室がいい。だがここで別室を希望するとまた変に誤解され機嫌を損ねるだろう。だからと言って馬鹿正直に同じ部屋だと気になるからとは言いづらい。
「そ、そうか。…でもな、俺はいいが本当は軽々しく男と同じ部屋に泊まるのは駄目だからな」
一抹の気まずさを誤魔化す為に説教臭く注意する。それに対してイーリスは得意気に指を立てた。
「わかってますよ。男は狼だから近づいて来た男には常に急所を取れるように警戒しろ、っておばあちゃんに教わってますからね」
彼女は指でソルの頭、胸、下腹部を指していった。これはいつでも魔術で撃ち抜けるということなのか。中々に物騒な教えだ。
今まさにソルも狙われているのだろうか。
「でもソルさんは狼じゃないので安心して側に居れます。何かいい匂いしますし」
警戒対象ではなく内心安堵する。それなりに信頼してくれているようだ。だがいい匂いとはどういうことだろうか。
「いい匂い?」
「はい。始めは鋼と錆の匂いが強かったんですが、森で抱えて貰った時にいい匂いがしたんです。何でしょうね。言葉では言い表せない匂いです」
ソルは試しに腕を嗅いでみるが全くわからない。イーリスの鋭敏な嗅覚ならではなのだろう。
どんな匂いなのか気になるが、言葉で言い表せないと言っている以上表現するのは難しそうだ。
不意にドアがノックされた。ソルは急いでフードを被るとドアを開ける。
そこには従業員の娘がいた。横には大きな桶と水差しを載せた台車があった。
「お湯をお持ちしました〜」
「頼んでないが」
覚えのないことに困惑した様子のソルに娘はにこりと笑う。
「ここに宿泊されていたルードルフ様からの言いつけでございます。料金はすでに頂いていますのでご安心を」
ルードルフ…アレクシスのことだろう。身なりがいいと思っていたが家名持ちの貴族だったとは。
「後ほどお食事もお持ちする予定です」
えらく気を回してくれたようだ。貴族相手なら遠慮はいるまい。好意はありがたく頂戴しよう。
娘は部屋に入ると桶を床に水差しとタオルを側のテーブルに置いた。そして、前掛けのポケットから小さな球体を取り出す。
「こちらの魔道具の使用方法はご存知ですか?」
ソルは首を横に振る。球体は鈍色で中心部に橙色の魔石が嵌っていた。
娘は球体を水差しに入れ、水差しの持ち手部分にある引き金を引いた。すると球体から湧き出すように湯が出てきた。薄く湯気が立っている。
娘が引き金から指を離すと湯の流出が止まった。水差しと球体は連動しているようだ。
これは便利なものだ。
「魔力を込めて頂いたばかりなので使用回数は気にしなくて大丈夫ですよ」
娘は一礼すると部屋を後にした。水差しに溜まっている湯を触るとちょうどいい温度だった。ソルは久しぶりに湯を浴びれることに静かに歓喜した。
イーリスに湯を使えると伝えると、彼女もまた歓喜に目を輝かせた。
「アレクシスさんに感謝ですね」
「そうだな」
言動はアレな男だが気遣いは一級だ。
とりあえず先にイーリスに湯を浴びてもらうことにして、ソルは彼女に水差しの使い方を教えた。イーリスは新しいおもちゃを貰った子供のように水差しを弄り回している。好奇心が抑えきれないようだ。
「じゃあ俺は外にいるから終わったら声かけてくれ」
部屋を出ようとしたソルだったが、イーリスに呼び止められた。
「待ってください。湯を浴びるの手伝ってくれませんか?」
「ん?」
ソルは一瞬彼女が何を言っているのか理解できなかった。
「慣れないところで一人で湯浴びするのは少し不安なんです。浴びている時は杖を使えませんし」
「俺が湯浴びを手伝う?」
イーリスは真顔で頷く。
湯を浴びるということは、服を脱ぎ裸になるということだ。そんな当たり前なことを考えるくらいにソルは動揺していた。どこの世界に男に湯浴びを手伝わせる娘がいるだろうか。イーリスにはそもそも恥の概念がないのではないかと疑ってしまう。
ソルは若い娘の裸身を見て平静でいられる程鈍感ではない。
「それは無理だ」
「え、何故ですか?」
まさか断られと思っていなかったという態度のイーリス。
「何故と言われてもな。無理なもんは無理だ」
また口をへの字にするイーリスを見て、追求される前に部屋を飛び出した。
階段近くでさっきの従業員の娘を見つけると、事情を話してイーリスの手伝いをしてもらうようにした。娘が快く応じてくれ、ソルは胸を撫で下ろす。
部屋に娘が入ったのを見届けると、扉の近くで壁に背を預け腕を組んだ。そしてため息一つ。
イーリスには男女の常識が通じない。これは今後もトラブルになりそうな予感がする。更にため息もう一つ。
そんなソルの苦悩など露知らず、部屋からは楽しそうな話声が聞こえてくるのだった。
「へ〜魔力探知で周りがわかるんですね。魔術師っていろいろできるんですね〜」
娘がイーリスの頭に湯をかけながら髪を梳かしていく。白い肩から背中にかけて、濡れた漆黒の髪が張り付いている。桶の中に座っているイーリスはテキパキと動く娘のされるがままになっていた。
娘が部屋に入った時は仏頂面だったイーリスだったが彼女と話すうちに表情が解れてきた。
「私の幼馴染も魔術師なんですよ。今は王都の学校に行ってます。お客様も魔術の学校に行ってるんですか?」
娘は洗った髪を片方の肩から前へ流し、空いた背中を石鹸で作った泡で洗う。
「私は学校には行っていません。魔術はおばあちゃんに教えてもらいました」
「学校に行ってないのに宮廷魔術師候補って凄いですね!」
「宮廷魔術師?」
イーリスは首を傾げながら、娘からもらった泡で体を洗う。
「ルードルフ様が言ってましたよ。お二人のこと未来の宮廷魔術師とその盾だって」
随分と誇張されているようだ。何だか可笑しくてイーリスはくすりと笑ってしまった。
娘は身体の泡を洗い流すとタオルで彼女の頭を包みこんだ。丁寧に髪を拭いていく。
「ありがとうございます。とても助かりました」
「いえいえ、お客様をお手伝いするのも私の仕事ですから」
イーリスを桶から出るよう誘導し肩からタオルをかけ身体を包んだ。イーリスはそのタオルで体を拭く。
一旦道具を片付けて部屋を出ようとしていた娘だったが、思い出したようにイーリスへ話しかけた。
「お連れ様とはその、恋仲ではないんですか?」
「こいなか?」
不思議そうにしているイーリスを見て娘は瞬時に悟った。
「あ、今の質問は聞かなかったことにしてください。同室だからてっきりそうだと思ってしまってただけです。失礼しました」
娘は湯浴びの手伝いを頼まれた理由がわかった。
「盾がとても誠実な方でよかったですね」
イーリスには娘の言わんとしていることを察せるような経験がなかった。変わらず不思議そうにしている。
娘はにこりと笑うと桶を抱えて部屋から出た。




