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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第一章 旅立ち
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2、出会い

 対岸の森は今まで通ってきた森とは随分違っていた。

 暗く湿った森ではなく、陽光が差し込む温かい雰囲気の森だった。

 川を挟んだだけでこうも違うとは。


 森に入ると細い獣道を見つけた。人の足跡もある。

 この道を辿れば追いつけるだろう。


 少し進むと食べ物の良い匂いがしてきた。空腹で胃が締め付けられ眉間に皺が寄る。


 獣道を抜けると石造りの小さな家があった。家の周りには昨夜魔物避けに使った花と同じものが一面に咲いており、絵画のような風景を作っていた。


 先程の良い匂いが強くなる。

 男はしばらく様子を窺っていたが、意を決したように小走りで家に駆け寄り扉を叩いた。すると中から物音はしたが返答はない。


「すいません、道に迷ってしまって…食料が尽きたので少しだけ分けてもらえないだろうか…」


 住人に警戒されないよう優しく、かつ弱々しい声音で話す。だがやはり返答はない。


「もう三日何も食べていないんだ…」


 作った声ではなく心の叫びが漏れ出している。

 なんて情けない声なんだと自嘲気味になったその時、扉の向こうから錠前が外れる音がした。


「どうぞお入りください」


 家の中から若い女の声が聞こえてきた。


 ゆっくり扉を開けると、そこには川で見た人物が杖をついて立っていた。紺色のローブの裾には銀糸で何かの紋様が刺繍されている。

 目深に被ったフードであまり顔は見えない。小柄で男の胸程までの身長しかないようだ。


「このような場所で迷うとは災難でしたね。テーブルにスープとパンがあるのでどうぞ食べてください。食器は奥の棚にあるので自由に使っていいですよ」


 女の声は抑揚がなく無機質な声だった。発した言葉の内容は男を気遣うものだったが、一切感情が載っておらず奇妙だ。

 女は言い終えると暖炉の前の椅子に座り、こちらに背を向けた。

 男が礼を言うが無反応だった。代わりに扉の鍵が閉まった音がした。

 何となく不気味な感じで気になったが、今は食事の方が優先だ。


 テーブルに置いてある鍋にはキノコと干し肉のスープが入っていた。

 芳醇な香りが鼻腔を(くすぐ)る。鍋ごと抱えて食べそうになるのを抑えて木の器に注いだ。


 いざ食べ始めると手が止まらず、あっという間にスープもパンも食べ尽くしてしまった。スープもニ杯目からは結局鍋から直接食べてしまっていた。

 更に水差しに入った水を一気飲みする。


「っぷはー!」


 水差しをテーブルに置くと、満足気に顎に流れた水滴を手で拭った。

 満腹ではないが十分に満たされている。

 スープのキノコは見た事のない種類だったが、旨味が濃く非常に美味しかった。できる事ならまだ食べたい。そう思わせる逸品だった。


 食後の余韻に浸っていたがふと気づく。テーブルや床にはパン屑が散らばり、スープの滴が落ちていた。流石にこれは酷い。食事を施してもらった身、礼儀として片付けが必要だ。


「食事馳走になった。少しテーブルを汚してまったから何か掃除する物を貸してくれないか?」


 声をかけるが返答はない。かわりに女のローブの中から小さなネズミのような生き物が出できた。尖った鼻をヒクつかせながらこちらへやって来る。

 片手程の大きさで、普通のネズミよりも丸い形をしていた。何よりも特徴的なのは背部を覆う細い棘のような体毛だ。あれで外敵から身を守るのだろうか。

ただの動物なのか魔物の一種なのか判断はつかないが、敵意を感じないので警戒する必要はなさそうだった。


 初めて見るその生き物は床に落ちたパン屑を次々に食べ始めた。小さい体に見合わぬスピードで食べ、床を綺麗にするとまた鼻をヒクつかせた。

 するとその場をくるくる回りキュイと鳴いた。


 鳴き声に反応して女が杖を僅かに動かした。ネズミが青い粒子に包まれるとふわりと宙に浮いた。ネズミは宙を歩くように小さな四本足を動かしテーブルに着地する。

 そして再びパン屑掃除に勤しんだ。


 男は思わず顔を曇らせる。

 魔術師には良い思い出がなかった。出来ればあまり関わりたくない職種だ。

 魔術師は才のある一部の者しかなれず、魔術を行使するには魔石を使用した杖が必須となる。

 今さっきネズミが浮いたのは魔術によるものだ。女の杖をよく見ると上部に小さな青い魔石が嵌っていた。


 杖の性能は魔石の質に左右されるという。杖の性能はそのまま魔術の性能にも関わるので、上位の魔術師は自ずと品質の良い魔石の杖を愛用している。


 見たところ女の杖の魔石はサイズも小さく透明度も低い。駆け出しの見習い魔術師が使っていそうな杖だ。

 となると、この女はまだ魔術師として未熟なのだろう。


 見習いとはいえ魔術師とは関わりたくないので何か礼をしてさっさと立ち去る事にする。腰のポーチに手を伸ばした時、カランと音を立てて空の鍋が倒れた。

鍋の中ではネズミがスープの滴を舐めている。


「アビィ、こっちへ」


 アビィと呼ばれたネズミは鼻をふんふん言わせながらテーブルから飛び降り、女のローブの中へ消えた。

 テーブルはすっかり綺麗になっている。


 男はポーチの中に入っていた最後の銀貨三枚をテーブルに置いた。


「食事の礼に足りるか分からないが金を置いておく」


 椅子から立ち上がると、女が背を向けたまま声をかけてきた。


「お名前は何というのですか?」


 今まで無反応だったのに、急に名前を聞かれて戸惑ってしまった。


「私はイーリスです。見ての通り魔術師をしています」


 戸惑う男の心境を知ってか知らずか女から自己紹介してきた。


「お、俺はソルだ。兵士みたいなもんだ。元、だが…」


 つられて自己紹介している。

 追われているのにもかかわらず、己の名を馬鹿正直に答えてしまうとは。とんでもない失態だ。


「今のは聞かなかったことにしてくれ」


 そう言い立ち去ろうとしたが


「ソルさん、お友達が近くまで来ているようですよ」


 平坦な女の言葉に足を止めた。


「どういうことだ?」


 声に動揺が滲み出る。


「あなたが来た方向から三人来ています。迷ったあなたを探しているのではないでしょうか。今、川の向こうにいますよ」

「何故そんな事が分かる?」

「私、魔力での周辺探知が得意なんです」


 彼女の言う事は本当だろう。確かに追っ手は三人だった。やはり諦めてはくれなかったか。

 ここが見つかるのも時間の問題である。早くここを出なければ。

 扉に手を掛けるが鍵がかかっている。


「何故焦るのですか?」


 振り返ると女、イーリスは暖炉の前に立っていた。


「ここを開けろ」

「お友達を待たれてはいかがです?」

「いいから開けろ!」


 ソルの怒声に怯む事なくイーリスは喋る。


「お友達でないなら…敵、ですか」


 ソルは答えない。気のせいかイーリスの声音はやや嬉しそうである。無機質な声に初めて変化を感じた。

 何を考えているか理解できず薄気味悪い。

 沈黙を彼女は肯定として受け取ったようだった。


「込み入った事情があるようですね。取引しませんか?私ならあなたの助けになれると思いますよ」

「見習い魔術師風情に助けてもらうつもりはない。それより早く鍵を外せ。このままだとお前も巻き込まれるぞ」

「ここを出でどこへ行くんです?森の奥は手練の魔術師ですら手を焼く魔物でいっぱいですよ。この前もどこかの誰かさんがバラバラにされていましたし。それにもう既に巻き込まれています」


 イーリスは一歩ソルに近づいた。


「この家、囲まれてしまったようです」


 イーリスの言葉に反射的に身を屈める。思っていたより早い。

 逃げ場のない状況になり頭を抱える。


「さあ、どうします?」


 フードの下で形の良い口唇が弧を描く。

 どうやら選択肢は他になさそうだ。

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