102、暗い朝
翌朝、と言っても日の光が届かない地下では時間の感覚がわからない。
石材に生えた植物の白い葉が広がっている。この植物の変化が外と連動しているならば、日が登った頃なのだろう。
ソルは水路から水を汲んで野営地まで運んでいた。抱える水瓶には透明な水が並々と入っている。
この水瓶や鍋などはアデルがこの遺跡で拾ったものだ。水瓶は古代にこの遺跡で使われていたものらしい。気の遠くなるような年月を経たものだが、何の遜色もなく使用できている。
ソルは遺跡には興味はないが、古代の人々が使ったものを自分が使用していると考えると多少感慨深いものがあった。
ちなみに鍋は現代のもので、野営地に落ちていたそうだ。盗掘者のものではないかとアデルは推測していた。
遺跡には無謀な探索者が絶えず亡骸も多いらしい。複雑な構造の地下遺跡は視界の悪さと崩落により迷路のようになっていた。
遺跡の構造を知っているアデルですら迷っていたのだ。ソルだけでは遭難し野垂れ死んでいたかもしない。
ソルは自分が落ちてきた穴の方向を見上げた。僅かな光くらいは確認できると思ったが何も見えなかった。
岩と巨大な石材が行く手に広がっている。隙間を縫うようにして進まねばならないので歩く距離が増す。
行きは岩の上を跳んで通った。帰りは水が入った水瓶を持っている。
通常なら隙間を進むのだろうが、ソルは躊躇う事なく石材を足掛かりにし岩場へと跳躍した。
岩から岩へと軽い身のこなしで跳んで行く。最後の岩から地面へと無音で着地する。
抱えた水瓶の水は一滴も減っていなかった。
野営地ではアデルが焚き火に木の枝を焚べていた。ソルに気づき声をかける。
「早いね。本当に水汲んで来たの?」
疑いの眼差しを送るアデルに水瓶を渡した。
「重っ!」
彼女は水をこぼさないように地面に置く。しかし、地面に置く勢いが強かったので水が飛び散ってしまった。
「いやー流石に獣憑きの身体能力は凄いね。私が水汲みにかかる時間の半分以下で帰って来るなんて」
何気なく発したアデルの言葉にソルの鼓動が一瞬跳ねた。
「俺が獣憑きだと気づいていたのか」
「そんなん見たら分かるでしょ。暗闇で光る目なんて獣憑き以外にいない」
「エリシスでは獣憑きを見たことがない若者が多いと聞いたが」
若者と言われたアデルは急に上機嫌になった。
「そう、若者は見たことない人が多い。獣憑きは王宮に集められているから。私はね、昔王宮に出入りしていたの。だから獣憑きの人とはよく会ってた。あんたみたいな目が獣の人もいたよ」
「そうだったのか」
ソルは納得した。同時にアデルが獣憑きに対して偏見や拒否反応を持っていない事も理解した。
そして王宮での獣憑きの扱いが気になった。
「王宮の獣憑きはどんな扱いなんだ」
「んー。ソルが思ってるよりずっと普通だと思う。みんな能力に応じて仕事もらって生活してる。王宮からは出られないけど」
以前ルーディが話してくれた内容とほぼ同じだった。医師を疑っていたわけではないが、実際に見てきた人の話を聞きたかったのだ。
アデルは言葉を切ってソルの双眸を見つめた。
「ソルはエリシスに生まれたかった?」
「それはどういう…」
「ガルドラントは昔のエリシスのままだもんね。だいぶ迫害されて来たんじゃない?」
ソルは言葉に詰まった。脳裏には思い出したくもない記憶が勝手に浮かんでは消える。
王宮に集められた獣憑きは暴力に晒され奴隷として売られることはない。それこそ普通の生活を享受しているのだろう。
一見すると自分より遥かに良い暮らしをしている。
しかし。
「確かに故郷では散々な扱いを受けて来た。王宮では安心して過ごせるのだろう。だが、エリシスの獣憑きは一生王宮から出られない。生まれた時からそれ以外の選択肢がない。いくら安全だとしてもそれは幽閉と何が違うんだ。俺はこの国に生まれたいとは思わない」
ソルは選択肢の少ない人生を送って来た。それでも自分で道を選んでここまで来た。そう思っている。
幾度も死の危機に瀕する過酷な日々であった。安寧を思い描くこともあった。しかし、箱庭での安寧はソルが求めるものではない。
王宮の獣憑きには悪いが、ソルはそのような生き方は享受できなかった。
彼らがもしソルの意見を聞いたら強がりだと思われるかもしれない。
蔑まされ危険であっても進む道は自分で選びたいのだ。
それが、外で生きてきたソルの考えであった。
「ふーん、そうね。私は王宮に獣憑きを集めるのは民衆からの迫害から守る為だと聞かされてきたわ。彼らも楽しそうにしてたし、それが最善だと思ってた。でも、幽閉と言われれば否定はできないわね」
アデルはソルから視線を外した。
「守ってるって、私傲慢だったわ。もっと彼らの話を聞いておけば…」
自嘲気味に笑い、鍋に水を注ぎ入れた。その目には郷愁と後悔があった。
「あんたの意見が聞けてよかった。ごめんね。変なこと聞いちゃって」
「別に構わない」
言葉の通りソルは気分を害してはいなかった。ただ、謝られるのは慣れていないので居心地が悪い。
ソルは背嚢から非常食用の芋を出し、焚き火の灰の中に埋めた。
何となく話題を変えてみる。
「あんたは身分の高い者なのか。王宮に出入りできるくらいの」
「昔はね」
アデルは鍋に乾燥した葉を入れかき混ぜる。
「広い屋敷で使用人に囲まれた優雅な生活だった。本当贅沢してたわ。色々あって今はオンボロな家で何とか生活してる。人生何があるかわかんないよねー」
魔術師が困窮しているとは思えないが、彼女の口ぶりからすると事実なのだろう。
「家族はいるのか」
「いるよ。家に残して来たから早く帰りたいんだけど。事は上手く運ばないものね」
「追われたと言っていたな」
「そうなの。私って人気者だから追っかけが多いんだ」
冗談めかして言うアデルはニヤリと笑った。
「困るよねー、いい加減に」
アデルの喋りが止まった。その顔は苦悶に満ちている。右手で左腕を握り歯を食いしばっていた。
「どうした」
ソルの声かけに答える余裕もないアデルは、脂汗を垂らしながらベルトの小物入れから丸薬のような物を取り出し口に入れた。噛み砕いて嚥下する。
苦痛に耐える彼女の鬼気迫る表情から痛みが尋常でないと分かる。
唐突な彼女の変化にソルは様子を窺うことしかできなかった。
しばらくすると、荒い呼吸が落ち着いてきた。アデルは傍らの杯を水瓶に突っ込み、汲んだ水をがぶ飲みする。
大きく息を吐いた彼女は額の汗を拭った。
「はー、今回のはキツかったわ」
再び水を汲んで飲み干す。蒼白だった顔色が回復してきた。
「何かの発作か?」
「そんなとこ」
アデルは左腕をさすった。
「こっちの腕にちょっと問題があってね。たまに酷く痛むんだ。幸い痛み止めが効くからどうにかなってるんだけど、もう薬の残りが少ないんだよね」
ソルは彼女の腕に視線を向けた。指先まで手袋に覆われている為、腕がどうなっているか分からない。
「外に出たら医者に診せた方がいいんじゃないのか」
「医者ではこれは治せない。と言うか、治せる人なんていないよ」
「難しい病気なんだな」
「そ。まぁ上手く付き合っていくしかないよ」
アデルは左手をひらひらと振り、沸騰した茶をかき混ぜた。鍋の中でふやけた葉が撹拌されている。
ソルは芋に火が通るまで装備の手入れをする事にした。岩を背にして刃の状態を確認する。
これから厄介な生物との戦闘になる可能性がある。入念に準備しておかなければならない。
暗闇でよく分からない生物と戦闘、と言うとメルンでの出来事を思い出す。
ふと、クラウスとカリーナの怪我の具合が気になった。もう回復して退院している頃だろうか。
数日前のことだが、随分前の出来事に思える。
ベルダンからこれまで様々な事態に遭遇し過ぎて日々の濃度が濃い。
今も不測の事態に遭遇してる最中だ。そしてこれからも困難な状態が続くのだろう。
平穏とは程遠い日々はまだ終わらない。少なくともイーリスの望みを叶えるまでは。
手入れをする刀身にイーリスの顔が映った気がした。見直した時には何も映っていない。当然だ。自分の不安を映し出した幻影に過ぎない。
彼女の現状を思うとどうしても不安が押し寄せる。
イーリスは大丈夫だ、そう自分に言い聞かせて心を落ち着かせた。
不安を払拭するように剣を一振りすると鞘に仕舞った。




