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獣は黎明の空に何を見る  作者: 多真倫土
第六章 王都シュトリア
101/105

100、地下遺跡

 鼻先に何か冷たいものが当たる感覚がした。冷たいそれは鼻から流れて頬を伝う。

 耳には水が流れる心地よい音が入る。

 大きく息を吸うと湿った土の匂いがした。

 重い瞼を開けると暗闇の先に小さな光が見えた。

 闇の中で光る翠玉のような目が周囲を観察する。

 崩れた建築物が寝そべる巨人の如く倒れていた。古い遺跡に見える。反対側には小さな水路があった。

 広大な闇の空間の中には朽ちた遺跡が広がっている。

(ここはどこだ…)

 仰向けに転がっているソルは記憶を辿る。すると最後に見たツェードの顔が浮かんだ。

 記憶が鮮明になったソルは跳ね起きた。体のあちこちが痛むが無視して天を見上げる。

 自分が落ちてきた穴から小さな光が漏れていた。光は赤みがかっている。もう夕刻に近いのだろう。

 どうやら地下遺跡に落ちて数時間は気を失っていたようだ。

 それにしても、あの高さから落ちてよく生きていたものだ。いくら獣憑きと言えど高所からの落下は死を免れない。

 ソルが穴の下に目をやった。そこには何本もの巨大な柱があった。柱は斜めになり岩壁にめり込んでいる。

 自分が倒れていた場所と穴の位置から察するに、柱の上に落ちてそのまま転がり落ち、倒れた建築物の上に落下。そして建築物の壁面を滑ってここに到達したと言ったところだろう。

 穴の下に柱等、落下速度を緩衝する物が無ければ死んでいた。不運の中にも幸運があった。


「イーリス…」


 再び離されてしまった少女の事を思いソルは拳を握った。

 ツェードは本当にイーリスを研究所に連れて行ってくれたのだろうか。そもそも、ツェードは研究所の人間だ。研究所自体を信じてよいものなのか。

 湧き上がる猜疑心が焦りを増長させる。

 ソルは近くの水路で顔を洗った。顔に付いた泥が水路をゆっくりと流れて行く。何度か顔を洗うと水の冷たさが頭に沁み入った。

 冷静さを取り戻したソルは深呼吸をした。

 ツェードが個人で動いているのか、研究所の命で動いているのか判別がつかない現状では研究所を信じるしかない。彼女を治療できるの場所は研究所の他にないのだから。

 今頃研究所で治療を受けているに違いない。そう思うことにした。思わねば心が乱れて思考が纏まらないのだ。

 研究所への疑念は一旦置いておくが、問題はツェードだ。彼の言動からは意図が読めない。

 死ぬかもしれない地下に落としておいて、またね、とはふざけている。

 ならば望み通り再会してやろう。直接会って口を割らせる。

 ソルはいつ間にか獰猛な笑みを浮かべていた。犬歯を剥き出しにした笑みはいつかの同胞を思わせる。

 流れる水面に映った己の顔に気づいたソルは水路から離れ口元に手を当てた。その時には笑みは消えていた。

 あの獣憑き、シャズの言葉が頭の中で反響する。

 俺とお前は同じだ。

 ソルは呪縛のような声を振り払う。


「研究所に行けば全て分かる」


 ソルは敢(あ)えて声を出し、意識をここからの脱出へと優先させた。

 改めて周囲を見渡す。光源は天の穴だけかと思っていたが、そこらに淡く光る鉱石が落ちていた。メルンの坑道で見た物と同じだった。

 これならば日が暮れても視界は確保される。

 倒れた建築物の方へ行ってみると、石材がごろごろと落ちていた。頭上から落ちる水滴が割れた石材に模様を作っている。

 石材の先では建築物の一部が崩壊してなだらかな山を形成していた。

 見たことのない植物も生えていた。白く細長い葉を茂らせた植物は石材に根を張っていた。全体的に丸く茂っているので大きな毛玉にも見える。

 石材の上に乗り、もう一度目を凝らして周囲を見渡す。

 すると建築物の上に目当ての物を見つけた。

 石材から下り建築物の突起を足がかりにしてするりと登って行く。

 もう体の痺れが無くなっていた。何なく辿り着ける。打撲の痛みはあるが、あの痺れに比べれば些事であった。

 足場の悪い建築物の上にあったのはツェードに投げ込まれた背嚢だった。

 地下に落ちる決定的な止めとなった背嚢だが、食料や日用品が入っている。投げ込んだツェードには腹が立つがあるに越したことはない。


 背嚢を背負い下りようとしたが、前方かなり離れた所に揺らめく光を見つけ立ち止まった。

 その光は炎であった。その大きさから松明か焚き火の炎だろう。

 自分の他にも人が居る。安堵と警戒心が半々に生じる。

 ソルは静かに建築物から下りると炎の方へ歩いて行く。

 道という物は存在しなかった。倒れ、崩壊した遺跡がそこらにあるので飛び越えたり迂回しつつ進む。

 広大な空間ではたまに何か硬い物が落ちる音が響いている。遥か上方の岩盤の一部が落ちているのだろう。

 この遺跡の真上には大勢の人が住まう都市がある。よくこの空間は潰されずに残っているものだとソルは不思議に思う。

 何度目かの登坂をして目的の炎の近くまで来た。炎は崩れた遺跡や岩に囲まれた場所にあった。

 ソルは倒れている巨大な柱の後ろに身を潜める。近くにいた大型の鼠が驚いて瓦礫の隙間に逃げて行った。


 炎は焚き火であった。焚き火の上では小さな鍋で湯が沸かされている。蒸気がもくもくと上がっていた。

 近くには布を敷き詰めた寝床のようなものがある。誰かがここで生活しているようだ。

 だが、人の気配はない。

 ソルは音もなく柱を飛び越えると焚き火に近づいて行く。

 身を低くして進むと足に違和感。即座に動きを停止し足元を見ると、地面近くに一本の縄が張ってあった。

 ソルは足を一歩戻す。縄が反動で揺れる。

 ピンと張られた縄は崩れた遺跡の残骸と岩の間を通っていた。

 縄を辿って行くと錆びた短剣の柄に繋がっていた。刃は浅く地面に刺さっている。短剣の柄と側の岩上に跨るように金属の板が載っていた。板の下には石が敷き詰められている。

 これは侵入者を知らせる簡易的な仕掛けだった。縄に足を取られれば短剣が倒れて、絶妙なバランスで載っている金属の板が落ちて音を出す。

 ソルが違和感に気づかなければまんまと引っかかっていただろう。

 ここの居住者は用心深い人物のようだ。


 ソルは他の罠にも注意しつつ前進する。縄を越えて足を踏み出すが、今度は地面に違和感を感じた。直ぐ先の地面に色が若干違う部分があった。薄暗い空間では見分けることは困難な程の違いだった。

 しかし、ソルの目ならば僅かな差異も見逃さない。

 落とし穴系の罠である可能性が高い。ソルは色の違う部分を避けて進む。

 焚き火の近くに行くと、より居住者の生活の色が濃くなった。古い皿や杯が寝床の側に置かれ、広げたぼろ布には乾燥させた植物が並んでいた。

 小型の石材を組み合わせたテーブルのようなものもある。その上には死んだ大型の鼠が置いてあった。

 状況から見てここの住人は一時外出しているようだ。それも短時間の。

 今にも帰ってくるに違いない。

 そう考えていると、遠くから人の気配がした。

 ソルは反射的に近くの岩場に身を潜めた。岩場から少しだけ顔を出して気配のした方を見る。

 松明の炎がこちらへと近づいていた。ソルが目を凝らすと松明の灯りに照らされる人物が確認できた。

 その人物は剣を装備した冒険者の風貌をしていた。ぼろぼろの外套を着ている。片手には小型の水瓶を抱えていた。

 こちらに近づくにつれ姿形が鮮明になる。

 長い金髪の女だった。前髪が顔の左半分を隠している。青緑の瞳には疲労の色が濃い。

 女は縄を越え色の違う地面を避けて歩くとテーブルに水瓶を置いた。

 この女がここの住人に違いない。ソルが声をかけるタイミングを図っていると、女が剣を抜き放った。


「そこにいるのは分かってるんだよ。姿を現しな」


 凛とした声が反響する。

 剣を片手にぶら下げた女は剣の腹で肩を叩いた。

 ソルは自分の存在が気取られた事が信じられなかった。隠密行動はソルの得意分野の一つなのだ。

 女は相当な実力者なのか。

 どのような展開であろうと最終的に女と話すつもりでいたソルは大人しく岩場から出た。

 変に警戒させないよう足音は消さずに岩場の前に佇む。

 女は剣の切先をソルに向けた。その顔には驚愕の表情があった。大きく見開かれた目は、ソルの頭からつま先まで凝視している。

 ソルはここでフードを被っていない事実に気づいた。今更被るのは不審に映るだろう。女が獣憑きに敵意がない人物である事を祈る。

 敵意がない事を示す為にソルは両手を肩口まで上げた。


「俺は先刻ここに落とされたんだ。出口を探している。どこか知らないか」


 女はソルの様相をひとしきり観察すると剣を下げた。


「大きめの崩落の音がしてたけど、あんたが巻き込まれてたのね」


 剣を鞘に仕舞うと不敵に笑った。


「出口なら知ってるよ」


 ソルの胸に期待と安堵が生まれる。しかし、続く言葉で事はそう単純に進まないと知る。


「でもタダでは教えない」

「…情報の対価か。いくら欲しい」


 今、手持ちの金はそれなりにある。外に出られるならばいくらでも払おう。

 女は首を横に振った。


「金はいらない」

「では何が欲しい」


 女は真っ直ぐにソルを見据えた。笑みを湛えたまま。


「あんた」

「…俺?」


 ソルは怪訝な表情となる。

 女は両手を腰に当てた。


「そう、あんた。あんたの力を私に貸して欲しい。立派な剣持ってんだからそれなりに強いんでしょ?」


 ソルは女の望みに理解を示した。力を貸せとは荒事もしくは厄介事を頼みたいのだろう。

 女にも何か事情があるようだ。

 ソルは一瞬考えた。ここで女の頼みを聞くよりも自力で出口を探すか他の人を探す方が早いのではないかと。

 だが、右も左も分からない地下遺跡を一人で探索するのも現実的ではない。それに迷って遭難するのだけは避けたい。

 やはり、ここの事を知る者に案内してもらう方がいいだろう。


「出口を教えてもらえるならば協力は惜しまない」

「やった!約束だからね!」


 言質取ったと言わんばかりに女は拳を天に突き上げた。感涙しそうな程歓喜している。よっぽど切羽詰まっていたのだろう。

 女はズカズカとソルに近づくと右手で手を取った。


「私はア、…アデル。あんたは?」

「ソルだ」

「よろしくソル」


 ソルの手を上下に振ったアデルはそのまま手を引いて焚き火近くに移動した。


「座って座って。続きは夕食の準備をしながら話そう」


 ソルは言われた通りに座る。

 アデルは鍋に乾燥した植物を入れ木の棒で一混ぜした。仄かに甘い香りが漂う。


「二人なら一匹じゃ足りないよね」


 アデルの視線は石材テーブルの上の鼠に注がれている。あれは食材であったようだ。


「ちょっと罠見てくるから待ってて」


 そう言い残してアデルは岩場をよじ登り向こう側へ消えた。

 ソルはアデルの動きに違和感を覚えた。どう見ても武術の実力者には見えない。剣を携えているが使いこなせている雰囲気がない。駆け出しの冒険者のようだ。

 気配を殺しているソルの存在に気づく程の人物とは思えなかった。

 ソルが首を傾げていると岩場をよじ登ったアデルが帰って来た。その手には何もなかった。


「今日は一匹を半分こだね」


 アデルがテーブルの鼠を悲しげに持ち上げた。

 その様子はやはり駆け出しの冒険者にか見えない。

 ソルはまた首を傾げた。


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