第18話 ルーク、死す
別荘、夜。俺はペンダントを見つめていた。
ペンダントには、魔王の呪いが溜まっていた。普通の魔道具とは明らかに違う。体の奥にある何かを引っ張られているような気がする。
「ルーク様、一体なにをなさるおつもりで!」
アイシェが強い声で言った。いつもの落ち着いた声とは違う。
「魔王の呪いを体内に取り込む」
「そんなことをしたら、どうなるか!」
「分かってる」
「分かっていらっしゃいませんわ!」
怖くないわけじゃない。魔王に俺ごと乗っ取られるかもしれない。最悪の場合、そのまま死ぬ可能性だってある。
それでも、俺には必要だった。魔王の力が。
俺は手の平の上のペンダントを見つめた。自分の力だけではどうにもならない。その現状を打破するには、リスクを背負うしかないのだ。
だから決めた。
「アイシェ。俺は強い。信じろ」
「ですが!」
アイシェが叫ぶ。
「いくなんでも、わたくし、そのようなこと、受け入れることはできません」
「絶対に死なない。そして、あいつらを取り戻す。約束だ」
俺はアイシェを抱きしめる。アイシェはしぶしぶ、受け入れてくれた。
俺はペンダントを口の中に入れた。金属の冷たさが舌に触れる。そのまま飲み込んだ。喉を通ったペンダントが胸の奥へ落ちていく。
次の瞬間だった。全身が熱くなった。
「っ……!」
腹の中で何かが広がった。熱いなんて言葉じゃ足りない。
内側から体を焼かれているようだった。胃の辺りがねじれ、胸が苦しくなる。息を吸おうとしても肺がうまく動かない。
「ルーク様!」
アイシェの声が聞こえる。返事をするだけで精一杯だった。
あのとき対峙した魔王の感覚。それを腹の中で感じる。
「俺に力を貸せ……、魔王・アスモデウス」
その名前を口にした瞬間だった。
『なぜ我の名を知っている』
頭の中に声が響いた。魔王の声だった。俺の中に、倒したはずの魔王がいる。
「エルフ族の始祖、アールヴから聞いた」
『アールヴだと……?』
俺は荒い息を吐きながら、ゆっくり顔を上げる。
「俺はエルフの泉に行きたい。お前なら、アールヴの気配をたどれるんじゃないか?」
『だから我の力が欲しいというわけか』
「そうだ」
『我を利用するつもりか、小僧』
「利用する」
俺は迷わず答えた。魔王が低く笑う。
『ククク……、身の程知らずめ』
「言うことを聞かないなら、今度こそお前をこの世から葬る。嫌なら力を貸せ」
『人間ごときが戯言を』
「その人間に負けたのはお前だろ」
『その通り。あれほどの屈辱は味わったことがない。かろうじてこうやって魂は生き残っているがな。小僧、お前さえいなければ我は勝っていた』
魔王と対話しているのは不思議な感じがした。
「もう一度チャンスをやる。俺を乗っ取れるなら、この体はお前のものだ。だから力を貸せ」
『グハハハハハ! いいだろう。我を取り込んだことを後悔するがいい』
体の中を激痛が走った。
「ぐあっ……!」
胃がひっくり返ったような感覚だった。内臓そのものをつかまれて、無理やりねじられているような痛みが、腹の奥からつきあげた。心臓まで握りつぶされるようだ。息を吸おうとしても、肺がうまく動かない。口を開けて必死に息を吸う。それなのに、吸えている気がしなかった。
視界が暗くなる。周りにあるものが少しずつ遠ざかっていく。音まで変だった。アイシェの声が聞こえているはずなのに、水の中で聞いているようにぼやけている。
体の中を魔王の魔力が暴れ回っている。全身の神経が一斉に刺激され、体が勝手に跳ねた。指先が震える。足に力が入らない。歯がガチガチと鳴る。頭の中まで焼かれているようで、何を考えているのか分からなくなってくる。
俺は床に手をついた。手のひらが床に触れている感覚だけが、かろうじて残っていた。その感覚にしがみつくように、指を床へ押しつける。ここで意識を失ったら終わる。
「ぐああああっ!」
叫び声が口から飛び出した。自分で出した声なのに、別人の声みたいに聞こえる。
死ぬ。本当に死ぬ。頭の中で、その言葉が何度も繰り返される。
俺は歯を食いしばった。だが、とてもじゃないが耐えられそうにない。
くそ、失敗だった……。また俺は、選択を間違えたのか……。
まずい。意識を失う。
「まだ……、だ……。負けるかよぉ……!」
『もらい受けるぞ、この体!』
体が勝手に反り返る。アイシェが俺に触れて何かを叫んでいた。俺はアイシェを突き飛ばす。万が一、アイシェに何かあってはいけない。
そのとき、首の後ろが焼けるように熱くなった。そこには、アザのような紋章がある。父が俺に残してくれたものだ。
父のスキルは<闇耐性>だった。父は死ぬ前に、ペンダントと一緒にその紋章を俺へ残した。徐々に、俺の中で魔王に対する耐性ができていく。
『馬鹿な……』
魔王の声が揺れた。
『なぜだ。なぜ我の力に耐えられる……!』
俺は震える腕で体を支えた。
多分俺は、事実上死んでいた。少なくとも生死の縁に立った。そして戻ってきた。戻ってこれた。間違いなく、父さんのおかげだった。
ありがとう、父さん。
「この体は、渡さない。俺の仲間が取り戻してくれたもんだからな」
俺は無理やり魔王を抑え込んだ。いや、魔王アスモデウスを取り込んだのだ。
暴れていた魔力が、少しずつ静かになる。体の痛みも引いていく。そして体で理解した。俺は、魔王の力、すなわち闇の魔力を使えるようになっていた。でも、まだ使いこなせるわけではないことも確かだった。
「アスモデウス。アールヴの位置を探せ」
俺がそう言うと、魔王はしばらく黙った。そして、低い声で笑った。
『小僧、アールヴがお前の言うことを聞くと思うか』
「聞かせる」
『どうやってだ』
「力でねじ伏せる」
『フハハハ! あの者を舐めすぎだ。今のお前では、天地がひっくり返っても勝てん』
魔王の声が頭の中で響く。
『そう焦るな。我が稽古をつけてやる。どうせ我の能力を使いきれなければ、アールヴには勝てん。そしてお前が死ねば、我も死ぬ』
「そんな余裕は……」
アイシェが俺の手に手を置いた。心配そうに俺を見ている。
冷静に考えれば、急ぐ必要はない。確実に仲間を取り戻すことが大事だ。
『だが、我の能力を使い切ると言うことは、我の存在感がお前の中で増すということでもある』
魔王の声が低くなる。
『そのとき、今度こそ我はお前の体を乗っ取るがな』
なんて素直な奴だ。黙って乗っ取ればいいものを。だが、そんなことは絶対にさせない。俺には父さんがついてる。
俺は魔王の言葉に笑って答えてやった。
「やれるもんならやってみろ、アスモデウス!」
『フハハハハハハ! 気に入ったぞ、小僧……!』
こうして、俺の特訓は始まるのだった。




