第17話 セシリアの回想
魔王を倒してから、世界は少しずつ変わっていった。あれほど濃かった瘴気が、ゆっくりと薄くなっているのを私は実感していた。
魔王が生きていたころは、どれだけ土地を浄化しても、しばらくすればまた瘴気がたまり、魔物たちが活発になっていた。私が神官として各地を回っていたときも、浄化を終えた翌月には、また同じ場所へ呼ばれることが何度もあった。
地面から立ち上る嫌な空気。鼻の奥に残る、少し苦いような臭い。肌にまとわりつくような気持ち悪さ。
神官だった私は、魔王討伐の旅に参加すると決めたとき、周りの人たちから何度も反対された。
「セシリア様、考え直してください」
「魔王討伐など、危険すぎます」
「聖女であるあなたが戦場へ行く必要はありません」
「もしものことがあったら、どうするのですか?」
何度も言われた。私だって怖かった。魔族と戦うのが怖くなかったわけではない。正直言って、血を見るのも苦手だ。
治療している最中に、その人が目の前で息を引き取ってしまうことだってあった。何度経験しても慣れることなんてなかった。
だから、魔王討伐の旅に出ると決めたとき、私の中にも迷いはあった。それでも、ルークを信じた。
「大丈夫ですから」
私は、そう答えた。
「ルークなら、きっと魔王を倒してくれます」
今思えば、ずいぶん大胆なことを言ったと思う。根拠なんてなかった。ルークが本当に魔王を倒せるなんて、誰にも分からなかった。
それでも、私は信じたかった。あの日、私の前に立ってくれたルークを。自分が傷ついてでも、誰かを守ろうとするルークを。どれだけ苦しい状況でも、前へ進もうとするルークを。
そして、私たちは本当に魔王を倒した。
魔王が倒されたことで、世界の瘴気そのものが減っている。浄化を必要とする場所も、以前と比べればかなり少なくなったと聞いている。魔物たちの活性化も収まってきた。
町の近くまで魔物がやってくることも減り、魔物や魔族に襲われる人の数も少なくなっているらしい。
それを聞いたとき、私は心の中でほっとした。
私たちは、ちゃんと世界を変えられたのだ。魔王を倒したことは本当に大きかったのだと思う。
「ルーク……」
勇者パーティーのリーダー。私たちをまとめ、誰よりも前に立って戦った人。
私は木になったまま、ルークのことを考える。ルークの存在は、私たちのパーティーにとってとても大きかった。
エレナがどれだけ強くても、フィリーがどれだけ賢くても、私が聖女としてどれだけ傷を治せても、ルークがいなければ魔王討伐はできなかった。バラバラだった私たちのスキルを、個性を、ルークが1つにまとめあげた。
今、木になっても、パーティーに入ると決めたあのときの選択を、私は後悔していない。
ただ、1つだけ。ずっと心残りだったことがある。
ルークのボロボロだった体は、私が治してあげたかった。
魔王との戦いで失われた両手。失われた右足。そして、感覚を失った左足。
私は聖女だった。傷を治す力なら、誰にも負けないと思っていた。骨が折れても治せる。内臓が傷ついても治せる。普通なら助からないような傷でさえ、私の力なら治せる。
だから、ルークの体だって治せると思っていた。
「大丈夫です。私が治します」
そう言ったものの、結局はできなかった。魔王の呪いが強すぎた。どれだけ魔力を流しても、失われた部分を元に戻すことができない。治療を繰り返しても、呪いが邪魔をしてしまう。
1人になったあと、何度も泣いた。
どうして私は聖女なのに、ルークを治せないのだろう。どうして、あの人だけがこんな体にならなければならなかったのだろう。
私の治癒力がもっと強ければ。そんなことばかり考えていた。
ルークは、そんな私を責めなかった。
「セシリアが気にすることじゃない」
そう言って笑っていた。
「俺は生きてる。それだけで十分だろ」
でも、私は納得できなかった。生きているだけで十分。私にはそう思えなかった。
自分の力だけでは体を動かすこともできない。そんなルークを見ていると、胸が痛かった。
だから、ずっと思っていた。
いつか必ず、ルークの体を元に戻したい。
それが、私の心残りだった。
エルフの始祖の力で、ルークの体は元に戻った。私の力ではなかった。それでも、ルークは元の体を取り戻した。
両手がある。
右足がある。
左足にも感覚が戻っている。
嬉しかったのと同時に、悔しかった。でもやっぱり嬉しかった。
もうルークの隣にはいられない。もう一緒に冒険することも、おしゃべりすることもできない。
それでも、ルークの体は元に戻った。ずっと願っていたことが叶った。それだけは、喜んでいいこと。
ハッピーエンドではない。私はルークと離れ離れになった。それでも、ルークの体を元に戻すという最低限のことは達成できた。ルークは私たちと出会う前の状態に戻った。それだけのこと。
「……これで、よかったんです」
私は自分に言い聞かせる。
風が吹く。葉が揺れる。
現実って、こんなものなのかもしれない。全部が自分の思い通りにうまくいくわけじゃない。
誰も傷つかず、誰も悲しまず、最後には全員が笑える。そんな結末ばかりじゃない。何かを手に入れるためには、何かを失わなければならないこともある。
ルークの体を取り戻した。その代わりに、ルークのそばにいられなくなった。
幸せなのか、不幸なのか。私には分からない。ハッピーエンドとバッドエンド。そのどちらでもない。私の結末は、その真ん中にあるのだと思う。
「ルーク……」
どうか、自分を責めないでください。私たちは自分の意思で選んだのだから。無理やり選ばされたわけではない。
私たちは、あなたに元の体で生きてほしいと願った。それだけです。
だから、どうか強く生きてください。
「大好きですよ、ルーク」
その気持ちだけは、今も消えていない。




