第5期 第9話 「はじめまして、パパとママ」
十月下旬。
午前二時四十分。
静まり返った寝室。
「……ユウキ。」
小さな声で名前を呼ばれる。
ユウキはゆっくり目を開けた。
「どうした?」
マミはお腹を押さえながら、少し苦しそうに息を整えていた。
「もしかして……。」
「痛い。」
その一言で、ユウキの眠気は一瞬で吹き飛んだ。
時計を見る。
午前二時四十三分。
「陣痛?」
「たぶん。」
病院でもらった陣痛記録アプリを開く。
間隔を測る。
十分後。
また痛みが来る。
「病院に電話しよう。」
ユウキは落ち着こうと深呼吸し、産婦人科へ連絡した。
助産師の声が聞こえる。
「間隔が短くなってきていますね。」
「すぐに来てください。」
「分かりました。」
用意していた入院バッグを持つ。
「ゆっくりでいい。」
「焦らなくて大丈夫。」
ユウキは何度もマミへ声をかける。
マミは痛みの合間に、小さくうなずいた。
「大丈夫。」
「一緒だから。」
病院へ到着。
助産師が車椅子を用意して待っていた。
「マミさん。」
「こちらへ。」
診察の結果。
「子宮口が少しずつ開いています。」
「入院しましょう。」
いよいよだった。
夜明け。
分娩室の前。
ユウキはマミの手を握っていた。
「痛い……。」
「うん。」
「頑張って。」
「ここにいる。」
何も代わってあげられない。
それが、もどかしかった。
時間はゆっくり過ぎていく。
朝七時。
昼十一時。
陣痛は少しずつ強くなる。
マミは何度も深呼吸を繰り返した。
助産師が優しく励ます。
「赤ちゃんも頑張っています。」
「もう少しですよ。」
ユウキはタオルでマミの額の汗を拭く。
「ありがとう。」
「ありがとうなんて。」
「一緒に頑張ろう。」
マミは苦しそうに笑った。
「うん。」
午後三時。
医師が静かに告げる。
「もうすぐです。」
「赤ちゃんも順調。」
「あと少し頑張りましょう。」
分娩室の空気が少し変わる。
ユウキはマミの手をぎゅっと握る。
「大丈夫。」
「会える。」
「もう一回。」
「大きく息を吸って。」
助産師の声が響く。
マミは力いっぱい頑張る。
「そのまま。」
「あと少し!」
ユウキは何度も声をかける。
「マミ!」
「頑張れ!」
そして。
午後三時四十六分。
部屋に、小さな泣き声が響いた。
「おぎゃあ。」
その瞬間。
時間が止まったようだった。
医師が笑顔になる。
「元気な女の子ですよ。」
マミは涙を流しながら笑う。
「生まれた……。」
ユウキも声にならなかった。
目から涙があふれ続ける。
助産師が、小さな赤ちゃんをそっと抱き上げる。
「おめでとうございます。」
「元気な赤ちゃんです。」
小さな命。
閉じたまぶた。
小さな手。
小さな指。
「こんなに。」
「小さい。」
ユウキは震える声でつぶやいた。
マミも優しく微笑む。
「会えたね。」
助産師が赤ちゃんをマミの胸へそっと抱かせる。
赤ちゃんは泣き止み、小さく目を開けた。
「こんにちは。」
マミが涙を流しながら話しかける。
「頑張ったね。」
「会いに来てくれてありがとう。」
ユウキも赤ちゃんの小さな手に指を添える。
すると。
ぎゅっと握り返してくれた。
「……。」
「握った。」
ユウキは笑いながら涙をぬぐう。
「こんにちは。」
「お父さんだよ。」
少しして。
医師が穏やかに言う。
「お父さん。」
「へその緒を切ってみますか?」
「え?」
ユウキは驚きながらもうなずく。
「はい。」
慎重にハサミを持つ。
小さく深呼吸をして。
ぱちん。
「これで。」
「本当に家族ですね。」
医師が微笑んだ。
夕方。
病室。
赤ちゃんは静かに眠っている。
「名前。」
ユウキが小さく言う。
マミは優しく赤ちゃんを見つめる。
「覚えてる?」
「花園高校。」
「桜の肌着。」
「春。」
ユウキは微笑んだ。
「うん。」
二人は何度も話し合ってきた名前を、静かに口にする。
「陽菜。」
春のあたたかな陽射しのように。
人の心を優しく照らす子になりますように。
そんな願いを込めて。
「よろしくね。」
「陽菜。」
赤ちゃんは眠ったまま、小さく笑ったように見えた。
病院の窓から夕焼けが見える。
高校一年生。
前後の席から始まった恋。
遠回りした初恋。
夫婦になった二人。
そして今日。
父と母になった。
新しい家族の物語が、静かに始まった。
――第10話「ようこそ、陽菜」へ続く。
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