第九章「定時運行革命」
翌朝から、俺は城の一室を作戦室として使い始めた。
壁には、領内の巨大な地図が貼られた。
地図の上には、俺が描いた色分けの矢印が、走っていた。
赤は人。青は物資。緑は伝令。
俺はガロンを物流の現場責任者に任じ、アリサを記録係に任じた。
兵士たちは荷馬車隊として再編成された。
城の厨房は炊き出し基地に転換された。
「全ての荷馬車に、出発時刻と到着時刻を、書き付けた紙を持たせる」
「ぜ、全部の馬車に、ですか」
「ああ。それを、俺たちは『時刻表』と呼ぶ」
俺は、まず制度を作った。
俺は、誰が、いつ、どこから、どこへ、何を、どれだけ運ぶかを、紙に書いた。
そして、それを全員に配布した。
文字が読めない者には、絵で示した馬車の位置と、太陽の高さで、出発の時刻を伝えた。
最初の数日、現場は混乱した。
「おい、なんで、こっちが先に出発するんだ」
「南区は、午後でいいんじゃねえか」
「俺の馬車に、なんで重い荷を積ませる」
不満は、いっぱいに上がった。
俺はその一つ一つに、丁寧に、答えた。
「南区が午後だと、夕方までに到着できない。夕方を過ぎると、夜盗が出る」
「君の馬車は、軽い馬だから、重い荷を積んでも、他の馬より速く動ける」
「東街道は、雨期に弱い。雨の予兆がある日は、迂回路を使う」
全部、運転士の業務上の判断と、同じ思考だった。
ただ、それを、馬車に置き換えただけだ。
三日が経った。
領内の物流が、目に見えて、回復し始めた。
倉庫から消えていた塩が、戻ってきた。
飢えていた村に、麦が届いた。
兵士たちの食事が、まともになり、士気が上がった。
「リツ殿!」
ヴェルナーが、興奮した足取りで、作戦室に駆け込んできた。
「東の港湾から、商船が三隻、入った。半年ぶりだ!」
「街道の安全が確認されたと、伝令が間に合ったのですね」
「ああ。商船が入れば、海路で、より広範囲の物資が、領に届く」
彼の頬は、わずかに紅潮していた。
半年間、絶望に蒼白だった顔に、血が戻り始めていた。
その日の夜、城の広間では、ささやかな宴が開かれた。
俺は隅の席で、葡萄酒を一杯だけ受け取った。
兵士たちが、口々に俺の名を呼んだ。
「リツ殿!」
「いや、使徒様!」
「定時の聖者だ!」
誰かが、それを節をつけて歌い始めた。
吟遊詩人の女が、隣で、即興で詞を継いだ。
彼女の名は、シエラと言うらしい。
城仕えの語り部の家系で、辺境伯一族の歴史を歌う家だという。
「リツ様の御業は、すでに、王都にまで届いてございます」
シエラは、俺の隣にしゃがみ、囁いた。
「半年止まっていた領が、たった三日で動き始めた。これは、奇跡として、語り継がれましょう」
「奇跡じゃない。仕組みだ」
「仕組み、と仰いますか」
「うん。仕組みは、誰でも作れる。仕組みを作る人間が、たまたま、いなかっただけだ」
シエラは、目を細めた。
「リツ様。その御言葉を、そのまま歌に致します」
彼女は、柔らかく頷いた。
宴の最中、ヴェルナーが、隣の席にやってきた。
「リツ殿。先ほど、北の隣領から、使者が来た」
「隣領、とは」
「半年前、我が領が落ちかけた時、援軍を寄越さなかった、貴族たちです」
ヴェルナーは、皮肉そうに口角を上げた。
「彼らは、我が領を見捨てて、自分たちの領を守った。当時、彼らはそれを賢明な判断だと信じていた」
「それが、いま」
「我が領が復興しているのを見て、不安になっているそうだ。
我が領が復興すれば、我が領の交易拠点になる隣領は、置き去りにされる。
彼らは、いま、自領の貴族街で、ぎりぎりと歯を噛み締めている」
俺は、葡萄酒の杯を、軽く回した。
「閣下、そういう話を、俺に聞かせるのは、なぜですか」
「リツ殿に、世間の機微を、知っていただきたいから」
ヴェルナーは、低く笑った。
「あなたが作ったのは、ただの物流網ではない。あなたは、この世界の力の流れを、書き換え始めている」
俺は答えなかった。
彼の言葉の重さは、頭ではわかった。
でも、心は、まだ追いついていなかった。
数日後、王都から、騎馬の使者が来た。
白い装束、金糸の縫い取り、王家の紋章。
使者は、ヴェルナーに巻物を差し出し、ヴェルナーは深く一礼した。
巻物の文言は、シエラが俺に読み聞かせてくれた。
「鉄路の使徒、王都へ参上せよ」
「閉塞王と対峙する勇気はあるか」
「王、卿の到着を待つ」
俺は、巻物を受け取った。
手の中で、羊皮紙の重みが、思ったよりずっとずしりとした。
俺は、王というものに、会ったことがない。
もちろん、前世でも、ない。
「閣下」
俺はヴェルナーに尋ねた。
「俺は、王都に行くべきですか」
「ご決断は、リツ殿にお任せします」
「閣下のご意見を、お伺いしたい」
ヴェルナーは、しばらく、俺を見ていた。
「私は、行くべきだと思います」
「理由は」
「閉塞王は、いずれ、再びこの領を脅かす。今は止んでいるが、それは、奴がもっと大きな獲物を探しているからです。
奴を倒さなければ、我が領の再生は、最終的には保たれない」
俺は頷いた。
俺自身も、同じ結論だった。
閉塞王、という存在の正体を、俺は、まだ知らない。
でも、その魔法の運用を見れば、こちらの世界の鉄路文明の知識を、何らかの形で、誤って継承している人物だと、推測できる。
俺と同じ起源の知識を持っている。
でも、誤って使っている。
その「誤り」を正すことが、たぶん、俺の役目だ。
俺は使者に、短く答えた。
「お受けします」
使者は深く頷き、馬を引いて、王都へ戻っていった。
その夜、俺は手帳に、新しいページを開いた。
行先表示器の方角に、王都、と書き付けた。
所要時間、未定。
ふと、廊下から、誰かの足音が聞こえた。
軽い足音。アリサだった。
彼女は俺の部屋の前で立ち止まり、扉越しに、小さく囁いた。
「リツ様、王都へ参られるのですか」
「ああ」
「わたくしも、御供を」
「危険だ」
「八百年、わたくしの一族は、鉄路の使徒を待ちました。やっとお会いできた御方を、お一人で、危険な王都に行かせるなど、わたくしの一族の名折れです」
扉の向こうで、彼女は深く息を吸った。
「お側で、信号守としての務めを、果たさせてください」
俺は、しばらく考えた。
考えた末、俺は短く答えた。
「わかった。一緒に来てくれ」
扉の向こうで、ほっと、彼女が息を吐く音が聞こえた。
翌朝、出立の準備をする俺の元に、ガロンが膝をついた。
「リツ様。我ら盗賊改めの十二人、御供を」
「ガロン。お前たちは、領内の物流を維持しろ」
「閣下からのご命令も、その通りでございます。されど」
彼は、深く頭を下げた。
「お一人にだけは、護衛を。私と、双子の槍兵を」
俺はガロンの肩に手を置いた。
「三人だけでいい。残りは、領を頼む」
「は!」
馬を引き、城門へ向かう途中、俺はふと立ち止まった。
城壁の修復現場で、若い職人が、石を積み上げていた。
彼の手つきは、不慣れだった。
俺はその場に近づき、壁の石の組み方を、指で差した。
「ここは、互い違いに積む。直線で揃えると、地震で崩れる」
「は、はい!」
職人は、慌てて石を積み直した。
俺はそれを確認して、頷いた。
「よし」
短い、一言。
でも、その一言で、職人の手の震えが止まった。
彼は、肩の力を抜いて、もう一度、石を積み上げ始めた。
俺はそれを見届けて、また歩き始めた。
たぶん、こういう小さな確認が、十三年、俺がやってきたことの正体だった。
城門で、ヴェルナーが待っていた。
「リツ殿。ご無事で」
「閣下も、ご健勝で」
「王都に着いたら、北塔の宮廷魔術師、エヴァン老師を訪ねてください。
彼は、八百年前の鉄路文明の研究家です。閉塞王に関する、最も古い記録を、彼が持っています」
「エヴァン老師、了解しました」
俺は手帳に書き留めた。
ヴェルナーは、最後に、俺の手を握った。
骨ばった、強い手だった。
「リツ殿。我が領を救ってくれた礼を、私は、まだ十分に言えていない」
「いえ、閣下」
「いつか、必ず」
彼は、それだけ言って、頭を下げた。
俺もまた、頭を下げた。
馬の背に乗り、王都への街道に踏み出す。
アリサが、俺の隣の馬に乗った。
ガロンと槍兵の双子が、後方に控えた。
馬の蹄が、整地されたばかりの石畳を踏む音が、規則的に響く。
俺はその音に、耳を澄ませた。
ガタン、ガタン、と、線路の継目板の音に、似ているような気がした。
俺は知らなかった。
その王都で、待っているのが、誰なのかを。




