第七章「指差喚呼で盗賊が無力化された」
夜中、俺は遠くで人の声を聞いた。
最初、夢かと思った。
でも、声は近づいてくる。
怒鳴り声。鉄の擦れる音。馬の嘶き。
俺は飛び起きた。
扉が、外から強く叩かれた。
「リツ様!リツ様、起きてください!」
アリサの声だ。
息が切れている。
俺は毛布を蹴り上げ、扉を開けた。
「盗賊です。北から、十二人ほど、村に向かっています」
俺は、頭の中で素早く整理した。
夜半、十二人。村に何人いる?二、三人で守れる規模じゃない。
逃げる時間もない。
子供と老人を倉庫に隠し、働き手だけで、防衛するか。
でも、それでは、必ず死人が出る。
俺は外に出た。
月明かりの下、村の外れに、たいまつの群れが揺れていた。
近づいてくる。早い。
村長が、震えながら言った。
「ど、どうする……」
俺は、しばらく考えた。
いや、考えるより先に、体が動いていた。
俺はたいまつの群れに向かって、ゆっくりと歩き出した。
「リツ様!」
「リツ様、危のうございます!」
アリサと村長が、後ろから叫んだ。
俺は答えなかった。
ただ、歩いた。
村の入口、石積みの低い壁の前で、俺は立ち止まった。
たいまつの群れが、もう、十数歩先まで迫っている。
先頭に立つのは、大柄な男。
顔の半分を、深い傷で歪めている。
手には、刃の欠けた剣。
「ふん、村のじいさんが出てきたか。死にたいか」
男の声が、夜の中に響いた。
俺は、その声を聞きながら、頭の中の手順を呼び出していた。
信号確認。前方、敵影、十二。
進路、進入禁止。
列車防護無線、発報。
声に出す。
「前方、敵影、十二」
「進路、進入禁止」
「列車防護、発報」
俺は、たいまつの群れに、まっすぐ指を差した。
その所作は、業務上、何千回もやってきた、ただの安全確認だった。
次の瞬間。
たいまつの群れが、見えない壁にぶつかった。
先頭の大男が、跳ね飛ばされた。
彼の剣が、宙を舞い、後方の砕石の上に落ちた。
馬たちが、いっせいに棒立ちになり、悲鳴を上げる。
その後ろの盗賊たちも、何かにつまずくようにして、互いに衝突した。
俺の声が、空気をこじ開けた。
まるで、目の前に、見えない閉塞信号機が、突如として現れたかのように。
「な、なんだ、これは!」
大男が、地面の上で叫んだ。
「腕が、上がらん!」
「動けん、動けん!」
俺は、もう一度、指を差した。
「停止信号、現示」
「対向列車、進入確認」
「全員、その場、待機」
その所作と発声に従って、盗賊たちは、地面に縫いつけられたように、動けなくなった。
アリサが、俺の背後で、両手を口に当てて立ち尽くしていた。
「列車防護無線……古代の最強防護術……」
彼女の声は、震えていた。
俺は、ゆっくり盗賊たちに歩み寄った。
大男は、俺を睨んでいた。
でも、その目には、既に恐怖が浮かんでいた。
「お前……何者だ」
「ただの運転士だ」
「運転士だと?」
「鉄路の使徒、と呼ばれているらしい」
大男は、息を呑んだ。
彼の体が、震え出した。
恐怖だ、と俺は最初思った。
でも違った。
彼は、泣いていた。
「俺たちは、ガレリア辺境伯領の、元兵士だ」
大男が、しわがれた声で言った。
「閉塞王の軍に、領主一族を殺されかけた。生き残った我らは、土地を追われ、盗賊に堕ちた。
他に、生きる道がなかった。
あんたみたいな、本物の鉄路の使徒が現れるなんて、思いもしなかった」
俺は、彼の前にしゃがんだ。
そして、大男の肩に、手を置いた。
「立てるか」
「立て、ません。リツ様。我らは、罪を犯しました。村を、襲おうとしました」
「立てる人間は、立て。立てない人間は、座っていろ。話を聞こう」
大男は、地面の上で、深く頭を下げた。
「お慈悲を」
「俺は罰さない。罰は、君たちが、これから作っていく未来だ。
ただ、ひとつ条件がある」
「何でも、致します」
「君たちの主人だった、ガレリア辺境伯領まで、案内してくれ」
俺は立ち上がった。
月明かりの下、十二人の盗賊改めの男たちが、みな、地面に膝をついていた。
彼らの後ろで、馬が静かに首を垂れている。
アリサが、俺の隣に駆け寄ってきた。
「リツ様、なぜ……」
「君の村は、北の街道が封鎖されている。封鎖を解くには、辺境伯領の状況を直接見る必要がある」
「リツ様お一人で、行かれるのですか」
「いや」
俺は、アリサを見た。
「君も来てくれ。信号守の知識が、必要だ」
アリサが、ぴたりと、息を止めた。
「行きます」
彼女は、迷いなく、答えた。
その夜、村は静かになった。
盗賊たちは、村の外れで、火を焚いて見張りをした。
彼らは、敵から、護衛に変わっていた。
大男は、自分の名を告げた。
「俺はガロン。元、ガレリア領、第三衛兵団の伍長です」
「ガロン。よろしく頼む」
「は!リツ様、終生、お側に」
彼は、地面に額をつけた。
俺は、その所作に、苦笑するしかなかった。
俺は、ただ、業務上の安全確認をしただけだ。
それで、強キャラの臣従が手に入った。
なろう小説か何かか、と思いながら、俺は空を見上げた。
俺の知っている星座とは、違う星空が、そこにあった。
でも、同じくらい、綺麗だった。
ガロンは、自分たちの仲間を順に俺に紹介した。
弓使いのトーレ。元厨房番のヤン。馬丁のロドリ。槍使いの双子の兄弟。
みな、痩せていた。長い逃亡生活で、頬は深く落ち、髭は伸び放題だった。
彼らは順番に俺に頭を下げ、それぞれ、自分の前職を告げた。
軍の中で、それぞれが、誰にも気づかれない場所にいた者たちだった。
厨房の竈を毎朝整える者。馬の蹄鉄を毎晩磨く者。武器庫の在庫を週ごとに数える者。
俺は、その全員と、初めて会ったのに、初めて会った気がしなかった。
彼らもまた、誰にも気づかれない仕事を、ただ続けていた人間たちだった。
俺は、ガロンに、ひとつだけ問うた。
「君たちの主君、ガレリア辺境伯は、まだ生きているか」
「半年前までは、生きておられた。だが、最後の戦いで、城は半ば落ちた。今はわからん」
「半年か」
「閉塞王の魔法で、街道が封鎖されたのが、その後だ。誰も、辺境伯領に出入りできない」
「閉塞王の魔法というのは、具体的に、どうなる」
「街道に近づくと、見えない壁にぶつかる。馬は嘶き、人は前に進めない。
時には、進もうとした者が、その場で倒れて、二度と起き上がらないこともある」
「なるほど」
俺は短く頷いた。
頭の中で、彼の言葉を、業界用語に翻訳していた。
永久閉塞区間。
誰も入れない、出られない、進入禁止が永続する区間。
もしそれが、本来の閉塞信号の誤運用なら──仕組みさえわかれば、解除できる。
俺はそれを、まだ口には出さなかった。
仮説の段階で、希望を抱かせるのは、現場の禁忌だ。
ガロンは、俺の顔色を見て、わずかに身を引いた。
「リツ様、何か、お考えが」
「まだ、わからない。だが、あの『見えない壁』には、必ず、仕組みがある。仕組みがあれば、必ず、解除の手順がある」
「解除……できるのですか」
「やってみないと、わからん。だが、君たちの故郷を見るまで、結論は出さない」
ガロンは、深く頷いた。
彼の目には、何かが灯っていた。
半年ぶりに、誰かに、希望を許可された目、と俺には見えた。
明日、俺はガレリア辺境伯領へ向かう。
なぜか、まだ何が起きるかわからないのに、心は静かだった。
たぶん、十三年の業務が、俺をそういう人間にしていた。
次の閉塞、進行よし。
その一言が、心の中に、いつも灯っていた。
夜が更けても、俺はなかなか眠れなかった。
毛布の中で、星空をもう一度、目に焼き付けた。
明朝、俺は知らない土地へ向かう。
知らない領主に会う。知らない政治、知らない戦の中に、首を突っ込む。
俺はこれまで、政治とも、戦とも、無縁の人生を送ってきた。
ただ、線路の上だけが、俺のすべてだった。
その俺が、なぜ、こんな大それたことに巻き込まれているのか。
答えは、たぶん、シンプルだ。
目の前で、誰かが倒れている。誰かが空腹で泣いている。
それを見て、見ないふりができないだけだ。
貨物列車に跳ねられる前、俺は男の子を線路から引き上げた。
あのときも、考えていなかった。
ただ、体が動いた。
業務の場面で運転席を離れるな、と俺は十三年、自分に叩き込んできたはずだ。
それでも、足は走った。
その走った足の延長線上に、いま、俺はいる。
たぶん、俺はずっと、こういう人間だったのだ。
ただ、自分でそれを認めるのに、十三年と、一回の死が、必要だっただけだ。
明日からは、もう、運転席の外に出る。
外に出て、線路を敷く側に回るのかもしれない。
俺は目を閉じた。
干し草の匂いの中で、ゆっくり、ゆっくり、眠りに落ちていった。




