第十二章「アリサ誘拐」
翌日から、俺たちは山麓の集落に、仮の本営を置いた。
ガロンは王都へ伝令を走らせ、技術者の招聘を依頼した。
石工、鍛冶、木工、運搬人足。
それぞれの専門家が、街道を北上してきた。
俺は、廃都ヘイソク城の城門の前、見えない壁の手前を、線路の予定地に定めた。
城門までの距離は、馬で五分。徒歩でも、十分とかからない。
その短い区間に、俺は線路を、敷くつもりだった。
線路の長さは、六百歩。
歩幅にして、約四百メートル。
信号機を、二箇所に立てる。
その間を、一台の小さな台車に、人が乗って走る。
そういう、ささやかな鉄道だった。
俺は、設計図を、地面に枝で描いて、技術者たちに見せた。
「これは、何のための、施設ですか」
石工の親方が、首を傾げた。
「閉塞王の魔法を、解除するためのものだ」
「魔法を、線路で?」
「魔法は、論理の塊だ。論理は、目で見て、手で触れる形にすれば、人に伝わる」
石工は、よく分からないという顔をした。
でも、俺の手帳の図面は、職人にとっては、明瞭だった。
彼らは、すぐに、それぞれの作業に取り掛かった。
工事は、日中、猛烈な勢いで、進んだ。
石工は枕木の据え付けを担当した。
鍛冶は、鉄のレールを、何本も、鍛えた。
木工は、信号機の柱を、削った。
俺はその全部を、現場で監督した。
二日目の夜、事件は、起きた。
俺がガロンと、明日の進捗計画を確認していた、その時。
仮本営の天幕の隅から、双子の槍兵の片方が、顔を青くして駆け込んできた。
「リツ様!」
「どうした」
「アリサ様が、消えました!」
俺は、ペンを取り落とした。
「いつだ」
「夕刻、信号機の柱を見に行かれたきり、お戻りに、なりません」
「捜索は」
「今、双子の片割れとガロン殿の部下が駆け回っております」
「分かった」
俺は立ち上がった。
「ガロン、地図を出してくれ。彼女が、最後にいた場所から」
その時、天幕の入口の布が、ばさり、と外から開かれた。
一人の男が、入ってきた。
黒装束。顔の半分を、布で覆っている。
手に、何かを、握っていた。
それは、アリサの、銀の連結器の首飾りだった。
「閉塞王、より、伝言だ」
男の声は低く、抑揚がなかった。
「鉄路の使徒よ。お前の建設は、止めろ」
「アリサを、どうした」
「あの娘は預かっている。お前が線路を城門に通そうとするのを止めれば、返す」
「条件、ですか」
「条件、だ」
俺はしばらく男の顔を、見ていた。
布で覆われた半分の顔の目の表情を、読もうとした。
その目は怯えていた。
使い走りだ。
黒部老人本人ではない。
奴に、何かを命じられて、ここに来ている。
「黒部に、伝えろ」
「クロベ?」
「お前の主にだ。
線路の建設は、止めない。アリサも、必ず、取り戻す」
「条件を、呑まないと?」
「呑まない」
俺は低く答えた。
「アリサの命を、人質にしている時点で、奴は、自分の魔法の意味を、放棄している。
奴の魔法は、本来、安全を守るためのものだ。
いま、それは、人を傷つける道具に、堕ちた」
男は、しばらく俺を、無言で、見ていた。
それから、何も答えず、布をひらりと翻して、夜の闇に、消えていった。
俺は、立ち尽くしていた。
ガロンが、肩に手を置いた。
「リツ様、本気でございますね」
「本気だ」
「アリサ様、御救出は、いかが、致しますか」
「彼女は、必ず、自分で、戻ってくる」
「と、申しますと?」
「彼女は、信号守だ。八百年、祝詞を、唱えてきた一族の末裔だ。
あの祝詞は、奴の魔法の、本来の論理を、示している。
彼女が奴の前で祝詞を唱えれば、奴の魔法は内側から揺らぐ」
ガロンは深く頷いた。
「リツ様、信じておられるのですね」
「信じている」
「アリサ様の、力を」
「アリサの、というよりは」
俺は、空を見上げた。
「彼女の、八百年の、一族の力を、信じている」
でも、俺の心は、震えていた。
彼女の身に、もし、何か、あったら。
彼女を、ここに、巻き込んだのは、俺だ。
彼女は、俺について、王都へ来た。
彼女が、俺に、護衛を申し出たのは、彼女の、誇りだった。
その誇りに、俺は、応えなければならない。
俺は、手のひらに、汗が滲んでいるのに気付いた。
運転席で、緊急停止のレバーに手をかける時に、似た汗だった。
誰かの命が、自分の判断ひとつで、揺れる時の、汗。
俺はそれを、十三年で、何度か、流したことがある。
線路に立ち入った人を見つけて、非常制動をかけたとき。
車内で具合の悪い乗客が出て、次駅まで運ぶか停車するか、判断したとき。
その時の汗が、いまここに、戻ってきている。
判断は、もう下した。
線路の建設は、止めない。アリサも、必ず、取り戻す。
その方針を、自分の判断で、引き受けた。
引き受けた以上、揺らがない。
揺らげば、現場の全員が、揺らぐ。
現場の責任者が、いちばん、揺らいではいけない。
その鉄則を、俺は、十三年、自分に叩き込んできた。
俺は、ガロンを、見た。
「ガロン」
「は」
「彼女が戻って来ない場合に備えて、第二案も用意しておく」
「と、申しますと」
「奴の城内に、信号守の祝詞を、複数の声で、響かせる方法を、考える。
彼女一人ではなく、多くの声で、唱える。
声の数が増えれば、奴の魔法に、複数の進入を示せる」
「複数の声、ですか」
「うん」
俺は、低く言った。
「奴の魔法は、孤立した一個人の、停滞を、世界に投影したものだ。
それを揺るがすには、複数の人間が繋がっているということを、奴に見せる必要がある」
ガロンは頷いた。
「了解しました。村と、辺境伯領と、王都に、伝令を出します」
「頼む」
俺は、手帳を、開いた。
建設工程表に、新しい一行を、書き加えた。
「明日中に、第一信号機、設置完了。
明後日、台車試運転。
二日後、本運行」
「ガロン」
「は!」
「夜を徹して、工事を、進める」
「了解!」
ガロンは、駆け出していった。
俺は、天幕の外に出た。
夜空に、星が、瞬いていた。
俺の知らない星座。
でも、その星々の下で、アリサは、生きている。
俺はそれを信じる。
風が、山肌を撫でた。
遠くで、夜鳥が、低く鳴いた。
城門の方角に、目を凝らした。
廃都の輪郭が、闇の中に、黒く、聳えていた。
その中に、彼女が、いる。
俺は、声に出した。
「次の閉塞、進行よし」
俺の声は、夜に、吸い込まれた。
でも、その声を、彼女はたぶん聞いている。
信号守の血が、その祝詞を、聞き取る。
俺はそれを信じる。
信じる、と決めた。
夜半、再び、技術者たちが集まった。
ろうそくと、たいまつの明かりの下で、工事が、再開された。
石を打つ音、鉄を打つ音、木を削る音。
それぞれが、夜の闇の中に、響いた。
俺はその音を、しばらく聞いていた。
奇妙なほど、その音は、心地よかった。
誰もが、自分の場所で、自分の仕事を、している。
それがたぶん世界が動くということだ。
黒部老人が、止めようとしているもの。
彼が、置いて行かれることを、何より恐れていたもの。
それが、いま俺の前で、夜を徹して、動いている。
俺は自分の作業に、戻った。
信号機の柱の、最後の調整。
木の表面を、指で撫でる。
ささくれが、二か所、残っていた。
俺は、小刀を取り出し、丁寧に、削った。
削った木屑が、火の粉のように、足元に落ちた。
明日、これを、線路の脇に、立てる。
そして、明後日、台車を走らせる。
俺の小さな、しかし、最初の、運行が、始まる。
その先に、彼女の救出が、ある。
その先に、奴の論理の、解除が、ある。
俺はまだ走り始めたばかりだ、と自分に、言い聞かせた。
工事の音の合間、俺はふと城門の方を、もう一度見た。
廃都の中で、ろうそくが、ひとつだけ、灯っているように見えた。
錯覚かもしれない。
でも、その小さな光が、彼女の祈りの灯火だと、俺は、信じた。
夜更け、双子の兄が、俺のそばに、湯気の立つ碗を持ってきた。
「リツ様、温めますると、よろしいかと」
「ありがとう」
俺は、両手で、碗を受け取った。
湯の温かさが、指先から、肘までを、ゆっくり這い上がってきた。
冷えていたのは、夜気のせいだけではなかったのだと、その時、気付いた。
俺の指は、考えていたよりずっと、冷たかった。
俺は、責任の重みで、自分の体温を、ひそかに削っていた。
双子の兄は、俺の顔を、しばらく無言で、見ていた。
「リツ様。我ら兄弟は、半年前、家族を、閉塞王の魔法で、亡くしました」
「……そうか」
「だから今夜の工事は、我ら兄弟の復讐の現場でもございます」
彼の声は、低かった。
「ですが、リツ様。我らは、復讐は、致しません」
「なぜ」
「リツ様が、復讐ではなく、再開だと、おっしゃったから」
彼は深く息を吐いた。
「アリサ様は、必ず、戻られます。我らも、お力添え致します」
俺は、答える代わりに深く頭を下げた。
湯気が、頭の前で、ふわりと揺れた。
その夜、線路の枕木が、半分、敷かれた。
まだ、信号機は、立っていない。
しかし、夜が明ける頃には、第一信号機が、線路の脇に、立っているはずだった。
俺は目を閉じた。
明日が、長い一日になる。
俺は、自分にそう言い聞かせて、わずかにまどろんだ。




