第十三章「鉄路復興計画」
夜明け前、俺は工事現場で、第一信号機の最終調整をしていた。
信号機の柱は、磨かれた木の柱だった。
頂部に、銀の板が、嵌め込まれている。
俺はその銀の板に、指先で、模様を刻んだ。
円の中に、十字。
それは、進行の現示を、表す印だった。
模様を刻み終えた瞬間、銀の板が、薄く、青い光を放った。
信号機が、灯ったのだ。
「お、おお……」
石工の親方が、息を呑んだ。
「リツ様、信号機が、灯りました」
「うん」
俺は、淡々と頷いた。
「これが、第一信号機。
もう一台、第二信号機を、四百メートル先に、立てる」
工事の進捗を、俺は手帳に、書き込んだ。
四時三十二分、第一信号機、設置完了。
予定より、二時間早い。
その時、俺の背後で、急き立てた声が、上がった。
「リツ様!」
ガロンが、駆け込んできた。
「街道に、見覚えのない一行が」
「敵か」
「いえ、王都の方角からです。先頭は……」
彼は息を切らしていた。
「ヴェルナー閣下、です」
俺は、振り向いた。
街道の彼方から、土煙が、立ち上っていた。
馬の隊列。先頭に、見慣れた、辺境伯の旗。
ヴェルナー本人が、馬を駆って、こちらに向かって来ていた。
彼の隊列は、想像していたより、ずっと、大きかった。
兵士、技術者、そして、農民まで、混じっている。
全員が、何かを、抱えていた。
石。木材。鉄の延べ棒。
線路の、資材だった。
「リツ殿!」
ヴェルナーは、馬から飛び降り、俺の前に立った。
「あなたが、線路を敷いていると聞いた。
我が領の技術者、農民、兵士、合わせて、五百人。
全員、御供に、参った」
「閣下、これは……」
「五百人の手があれば、線路は、半日で、長くなる」
俺はしばらく言葉が出なかった。
彼の背後の隊列を、見ていた。
農民の中に、子供を背負った母親がいた。
兵士の中に、初めて剣を持った若者がいた。
みな、一様に、目を、強く光らせていた。
復讐ではない。
再開を、求める目だった。
俺は、ヴェルナーに、頭を下げた。
「閣下。お願いします。
第二信号機の設置と、台車の組み立てを、五百人の手で、進めてください」
「お任せください」
ヴェルナーは、振り返り、隊列に、号令を発した。
五百人が、いっせいに、動き出した。
石は、定められた位置に並べられた。
木材は、信号機の柱に、加工された。
鉄は、レールの形に、鍛えられた。
俺はその全部を、現場で確認した。
工事は、午後には、信号機二台の設置を、終えた。
夕方には、台車の試運転を、終えた。
夜には、線路全体の、最終点検を、終えた。
四百メートルの、ささやかな線路。
だが、それは、八百年ぶりの、本物の鉄路だった。
その夕刻、もう一つの隊列が、街道を、北上してきた。
王都の旗。先頭は、宮廷魔術師、エヴァン老師だった。
彼の馬車には、書物の山と、奇妙な装置が、いくつか積まれていた。
「リツ殿、お待たせした」
「老師。何故、こちらに」
「閉塞王の魔法を、内側から、解読する装置を、持参した」
エヴァン老師は、馬車から、銀の杯のような装置を、取り出した。
「これを、線路の中央に、置いていただきたい。
奴の魔法と、共鳴する」
「共鳴、とは」
「奴の魔法の論理が、こちらの正しい論理と、ぶつかる時、
その差分が、可視化される。
奴の論理の、どこが、間違っているのかが、見えるようになる」
俺は、装置を受け取った。
手のひらの上で、それは、奇妙に温かかった。
その夜、俺は仮本営の天幕でヴェルナーとエヴァン老師、ガロンとシエラと戦略を練った。
シエラは自分の歌で王都中の人々を、城門に集める役を引き受けた。
ヴェルナーは、五百人の人足を、束ねる役を、引き受けた。
ガロンは、台車の運行を、引き受けた。
エヴァン老師は、装置の操作を、引き受けた。
俺は、信号機の操作と、運行の指揮を、引き受けた。
計画は、こうだ。
明朝、線路の上を、台車が、走る。
信号機が、進行を、示す。
その光景を、城門の中から、閉塞王に、見せる。
奴は自分の魔法とぶつかる、正しい鉄路の運行を目撃する。
その時、奴の論理は、内側から、揺らぐ。
揺らいだ瞬間に、信号守の祝詞を、複数の声で、唱える。
奴の魔法は、解除される。
計画書を、俺は、手帳に、整理した。
一行ずつ、声に出して、復唱した。
「第一信号機、進行現示」
「第二信号機、進行現示」
「台車、出発進行」
「閉塞、解除」
声に出す度に、信号機の青い光が、テントの外で、薄く瞬いた。
深夜、俺はふと天幕の外に出た。
遠くで、廃都の中に、ろうそくの光が、揺れていた。
昨日と、同じ位置だった。
俺は、そちらに、声を、投げた。
「アリサ。明日、迎えに行く」
声は、夜気の中に、消えた。
その時、廃都の中で、ろうそくの光が、ゆらり、と二度、瞬いた。
二度目は明らかに、応答だった。
俺は息を吸った。
彼女は、生きている。
信号守の祝詞を、まだ唱え続けている。
俺は、手帳に、最後の一行を、書き付けた。
「明朝五時、本運行、開始」
ペンを置いた。
天幕に戻る途中、俺は、もう一人、見覚えのある若者と、すれ違った。
黒髪、痩せた頬、賢そうな目。
顔つきが、奇妙なほど、前世の小宮に、似ていた。
「あ、あの……リツ様、で、よろしいでしょうか」
俺は、足を止めた。
「君は」
「ノエル、と申します。王都の機関学院の、一年生でございます。
エヴァン老師の、御供で、参りました」
「ノエル」
「リツ様の、御業、お側で、見て、学ばせていただけませんでしょうか」
俺はしばらく彼の顔を、見ていた。
小宮、ではない。
でも、似ている。
たぶん世界に、似た人間は、何人もいる。
誰かが、誰かを、思い出す。それは、悪いことじゃない。
「いいよ。明日、現場で、頼む」
「は、はい!」
ノエルは、深く頭を下げた。
彼の目はいつかの小宮の目に、似ていた。
誰かを、助けたい、と思う、その目だ。
そういう目をしている若者はたぶん運転士に、向いている。
「ノエル」
「は!」
「鉄路を、学ぶというのは、覚悟が、要るぞ」
「と、申しますと?」
「定時で走るということは、毎日、誰にも気付かれない仕事を続けるということだ。
誰にも、感謝されない。誰にも、気付かれない。
それでも、自分の仕事を、信じ続ける。
その覚悟が、あるか」
ノエルはしばらく考えていた。
目を、伏せた。それから、上げた。
「リツ様。私は、貴族の三男坊でございます。
家督は、継げません。剣の腕も、ありません。
ただ、線路に、強い憧れが、ございます」
「線路に」
「機関学院で、八百年前の鉄路文明の記録を、読みました。
あの時代の人々は、誰一人、置いて行かれない世界を、作ろうとしていた。
線路は、その象徴だったと、私は、信じております」
彼の声は、若く、まっすぐだった。
俺は頷いた。
ノエルの言葉に、なぜか、胸の奥が、軽く揺れた。
誰一人、置いて行かれない世界。
その理想はたぶん黒部老人が、本当に、求めていたものでもある。
彼が歪んだ形で世界を止めようとしているのは、置いて行かれることを誰よりも恐れたからだ。
ノエルは、その理想を、別の方向で、信じている。
止めるのではなく、線路を伸ばすことで、誰も置いて行かれない世界を、作る方向で。
同じ理想の、二つの解。
俺は、ノエルの解の方が、好きだ、と素直に思った。
俺は彼の肩に、手を置いた。
「明日、現場で、信号機の操作を、君に任せる」
「え、私が、ですか」
「失敗してもいい。失敗しても線路は止まらない。次の閉塞で必ず修正できる。
大事なのは、操作したという、その事実だ」
「は、はい!」
ノエルの頬が、紅潮した。
火照った頬を、夜気が、冷ますのが、見えた。
俺は、天幕に、戻った。
明日の朝、俺は、線路の上に立つ。
線路の先には、廃都の城門があり、その中には、彼女がいる。
俺はもう走る側ではない。
線路を敷いて、運行を再開する側に、立っている。
毛布の中に潜り込んでも、すぐには、寝付けなかった。
頭の中で、明日の手順を、何度も繰り返した。
第一信号機、進行現示。
第二信号機、進行現示。
台車、出発進行。
閉塞、解除。
ひとつでも、間違えれば、奴の魔法は、揺るがない。
ひとつでも、欠ければ、信号守の祝詞は、効果を発揮しない。
俺は目を閉じた。
まぶたの裏に、前世の運転席の景色が、浮かんだ。
四時五十二分の発車。
黒部老人の声。
ホームの男の子。
貨物列車の警笛。
その全部が、いまこの瞬間に、繋がっていた。
俺の十三年は、無意味では、なかった。
たぶん明日、それが、証明される。
長い夜が、明けようとしていた。




