第3話 息子の嫁を追い出したのは私です。
招待状は、月の頭にまとめて届く。
伯爵未亡人として社交の場に呼ばれること自体は珍しくない。ヘーゲンドルフ夫人の茶会、フォルスター子爵夫人の刺繍会、ツィンマー男爵夫人の読書会。季節の変わり目には慈善の晩餐会もある。どれに出て、どれを断り、どの順に返事を出すかは、家の格と相手との関係で決まる。
決まるはずなのだが、その判断を、最後にいつ私がしたのか思い出せない。
封を開けて、白い便箋を広げて、返事の文面を考える。「謹んでお受けいたします」の一行で済むはずが、筆が止まる。この茶会には誰が出るのか。前回はどんな話題が出て、私は何を着ていったのか。手土産は何がよいか。以前はそんなことを考える必要がなかった。机の上に、返事の下書きと、出席者の簡単な覚書と、手土産の候補が並べてあったから。
あの子が並べていたのだ。
エーデルが嫁いできた五年前、私は息子に言った。ヴァイセンブルク家の娘では釣り合わない、と。持参金は少なく、家は没落寸前で、社交界での存在感もない。息子はただ「決まったことだ」と答え、私は渋々受け入れた。受け入れたという言い方は正確ではない。認めなかっただけだ。挨拶には応じたが、「お母様」と呼ばれるのは遠慮してほしいとも、先代の奥様の部屋には入らないでほしいとも伝えた。
あの子は頷いて、客間を自室にして、それきり何も言わなかった。
代わりに、私の社交の段取りを覚え始めた。最初は手伝いのつもりだったのだろう。だがいつの頃からか、招待状の返事も、出席者の事前調査も、手土産の選定も、全て済んだ状態で私の机に載るようになった。
私はそれを「嫁の務め」だと思っていた。いや、思っていたというより、考えもしなかった。机の上に準備が並ぶのは、この屋敷では当たり前のことだ。雨の日に傘立てに傘があるのと同じ程度の、疑問を挟む余地のない日常。その日常を誰がこしらえていたのか、私は一度も問わなかった。
それどころか、あの子が出した手土産に「もう少し上等のものにしなさい」と言い直したことがある。言い直しただけで、自分で選び直すことはしなかった。注文をつけるだけなら、誰にでもできる。
薬が切れている。
関節の痛みは、冬に限らず湿気の多い日にも出る。三年前に夫を亡くしてから悪化して、医師のグレーフェ先生に煎じ薬を処方してもらっている。薬棚を開けると、壺に残りがわずかしかない。次の分がいつ届くのか、私は知らない。届く手はずが整っているのかどうかすら。
「マルタ、グレーフェ先生への連絡は誰がしていたの」
「奥様です。薬の残量と、先生の往診日程と、お届けの手配まで」
「全部あの子が?」
「ええ。残りが二週間を切ると、先生に書状を出していらっしゃいました。今月のお届け分は、奥様が出ていかれる前に手配済みだそうです」
出ていく前に。あの子は離縁を告げられた後でさえ、私の薬の手配を済ませてから馬車に乗った。
それを知っても、私の中に湧いたのは感謝ではなく、居心地の悪さだった。あの子にそこまでさせていたのかという後ろめたさと、それでも「私が間違っていた」とは認めたくない硬さが、胸の中で押し合っている。間違っていたのはあの子の出自であって、働きぶりではない。そう分けて考えれば、矜持は守れる。守れるはずなのに、薬壺の底を見ると喉の奥が苦い。
茶会に出られなかった。返事を出しそびれたからだ。正確には、返事の書き方が分からなかった。出席の旨を伝えるだけではない。前回お会いした際のお話の続きを楽しみにしております、のような一文を添えるのが礼儀なのだが、前回何を話したか覚えていない。あの子が毎回、帰りの馬車の中で「本日はこのような話題が出ました」と簡潔にまとめてくれていたのだ。私はそれを聞き流して、次の茶会の前日に「で、前回は何の話だったかしら」と訊いていた。
三日後、ヘーゲンドルフ夫人から手紙が届く。「お加減でも悪いのですか。このところお見かけしませんが」。丁寧な文面の裏に、社交の場から消えた人間への冷やかな観察が透ける。私はかつて、同じ目で他の夫人を見ていた。あの人は最近来ないわね。何かあったのかしら、と。その目が、今度は自分に向いている。
返事を書こうとして、また筆が止まる。何を着ていけばいいか分からない。前回の茶会で何が話題になったか覚えていない。あの子がいれば、全部教えてくれた。
あの子は気が利くだけが取り柄だと思っていたのに、気が利く人間がいなくなったら、何もできない。
そう呟いて、自分の言葉に怯んだ。それは反省ではなかった。今の私が欲しいのは、謝罪の相手ではなく、もう一度机の上に準備を並べてくれる人間だ。それが分かっている。分かっていて、変えられない。
招待状の束をめくる手が止まった。一番下に、先月のものが一通、返事も出されずに残っていた。あの子が最後に準備してくれたものだった。




