四の涙
数日経っても、長嗣は帰ってこなかった。
捜索隊も何度も行かせたが、一向に見つかる気配がない。
しかし、志乃が諦めないので周りは何も言わない。奥方達との集会も一度開いたが、たいした話はなかった。大島妻が夫の無事を残念そうにし、志乃に気遣った他の奥方が注意をしていた。
しかし、さすがに二十日を越えると、周りが諦めた──哀れみの視線を向けるようになってくる。
「おかわいそうに……」
志乃に直接言う者はいないが、噂話をしてそう言っている人を何度か見てしまう。
こんな寒い季節、二十日も行方知れずなのだから、もう生きてはいないだろう。
志乃以外は全員そう思っている。
料理を用意したのに帰ってこなかったあの日。広い部屋に並べられた豪華な料理の前で、志乃は一人座っていた。
長嗣の為に用意した料理は、彼を待つ間にすっかり冷めてしまう。
吹き抜ける風が寒すぎて、頬を伝う涙が川を流れる真水のように冷たかった。
──もう、あんな寂しい思いはしたくない。
諦めるくらいなら待つ。泣くくらいなら笑う。何もしないよりは、動いていた方がましなのだ。
そうして待って、1ヶ月を過ぎた。その時期になると、冬が本格的にやってきた。
時には雪が降り、雨が降った日などは想像を越える冷え込みようだ。ちらほらと、沈黙を守ってきた者たちから提案を聞くようになった。
次の当主決めだ。
しかし、まだ志乃は決める気にはなれなかった。せめて年が明けるまでは待たせてほしい。そんな思いで、志乃は長嗣がいつ帰ってきても言いように屋敷を綺麗にする。
当主が務める事も、会田に教わりながら志乃が指揮した。
年が明けたら当主を決めよう。まだ子がいないので、誰か他の者が就くことになる。そうしたら、志乃は髪を剃って寺に行こうと決意した。
あと1ヶ月あまり、長嗣と共に暮らしたこの屋敷にいたかった。
***
その報告は、あまりにも非現実的で、伝えに来た兵士も、戸惑っている様子だ。
「もう一度、もう一度お願いできますか。今、何と言ったのです」
思ったより硬い声音になる。ぬか喜びは出来ない。きちんと報告を聞かなければ。──長嗣が生きていただなんてそんな事、真偽を確かめるまでは下手に喜べない。
「橋田長嗣様が今朝、利賀領地に近い村におられました。医者の話によりますと怪我をされ、意識が先日戻ったそうです」
「本当に長嗣様でしたか?」
「わたしが確かめに行った所、確かに長嗣様でした。今こちらに向かわれています」
そう行って兵士は白い封筒を志乃へ差し出した。そこには相変わらずの乱雑な字で「志乃へ」と書かれている。
志乃はそれを受け取り、封を切って目を通した。
──志乃へ
待たせてすまなかった。今帰る。
短い文面を読み終わり、志乃は文をたたんだ。
長嗣が生きている。
志乃は思わず力が抜けて体勢を崩した。喜びよりも、安堵の方が強い。
よかった。生きていた。
次第にこみ上げる何かを吐き出そうと眉を寄せると、大粒の涙が溢れた。
「奥方様、ようございましたな。ささ、長嗣様をお出迎えいたしましょう」
会田が気遣うように志乃に言う。そんな会田に、志乃は何度も何度も頷いた。
***
志乃、帰ったぞ。
その言葉を、わたしがどれだけ待ちわびたことか。何日何時間、その言葉を願ったか。
馬に乗って兵士を従えて帰ってきた夫は、かなり顔が青白かった。
着ている服は迎えの兵士達が持って行ったのだろう汚れ一つなく綺麗だ。
しかし、手綱を持つ手はやや危うく、慎重に馬を進めているようだった。
志乃は屋敷の入り口で、町をゆっくりとした調子で横断する長嗣を、辛抱強く待った。屋敷を預かる者が、取り乱すわけにはいかない。
ようやくこちらまでたどり着くと、長嗣は家来に手伝ってもらいながら足を地につけた。少し足を引きずって、志乃と対面する。
「帰ったぞ、志乃」
まるで何事もなかったかのように笑う長嗣に、志乃も笑顔を見せた。
直後に頬を濡らす自分の涙に驚きながら、志乃は言葉を返した。
「ご無事で何よりです。お帰りなさい」
止まらない涙を拭かない志乃に、長嗣は苦笑を浮かべて、大きな指で乱暴に拭う。
空からはらはらと降る雪が、まるで天からの贈り物のようで、拭われて止まったはずの涙が、一粒頬を伝った。
2012.01.07 天嶺 優香
完結。長さ的に短編ものとして作成したため、いろんな所を端折ってます。じっくり書くのではなく、さっと書いてさっと終わらせる。そんな形式が好きだったころのものですので、物足りなさは……ごめんなさい。




