三の恐れ
戦に行っている利賀の隊が戻ってくるという連絡が入ったのは、秋が始まった月の中旬の事だった。
──志乃へ
千葉軍が引き上げている。もうすぐ帰れそうだ。
握り飯を用意しておけ。
いつもより短かったその知らせは、志乃や女房達を大いに喜ばせた。
もうじき長嗣が帰ってくる。そう期待し、領地の奥方達にも会って知らせた。
負け戦に、見事利賀軍は買ったのだ。
女達で帰ってくる夫のために、それぞれが豪華な料理を用意し始めた。志乃も例外ではなく、長嗣要望の握り飯と、豪華な料理を用意するつもりだ。
戦場はここからさほど遠くなく、二日ほどで長嗣は帰ってくる。
志乃は女房達と一緒に食材を用意し、翌朝。早朝から食事の準備を始めた。
志乃は、あの乱暴者で大ざっぱな夫に早く会いたかった。
***
不安を感じたのは、夢中で女房達を手伝いながら握り飯を作っていた時。とうに昼間を越え、夕方にさしかかっていた頃だ。
「長嗣から今日の文は届きました?」
「あ、そういえばまだですね」
鯛をさばいていた女房が、思い出したように答えた。
おかしい。いつもなら遅くても昼間には届くはずなのだ。
しかし、志乃は不安を凪払った。
帰路についたのなら文は送っていないのかも。
大ざっぱな長嗣が毎日文を送っていたのは、志乃を心配させないためで、戦が終わったのなら必要ないと思ったのかもしれなかった。
志乃は小さな不安を胸の奥に押し込め、握り飯を大量に作った。──しかし、領地に帰ってきた利賀軍の中に、長嗣の姿は見えなかった。
志乃に挨拶をするために屋敷へと来た隊に長嗣はいず、ここまで指揮してきたのだろう無精ひげが特徴の長嗣の臣下・会田宗一郎は、戦に勝利したというのに暗い顔をしていた。
「ご苦労様でした。勝利、おめでとうございます。お疲れでしょうし、ご家族が待っているでしょうから、どうぞご帰宅下さい」
疲れて帰ってきた彼らに、開口一番に長嗣の安否など聞いてはいけない。
聞きたいのは山々だが、帰宅を待つ家族もいて、疲れ果てている彼らを早く休ませるべきなのだ。
そうして労いの言葉をかけて帰宅を許すが、兵士達は伺うように会田を見た。
会田は「ありがたくお受けしろ」と簡潔に答え、兵士達は一礼して帰宅して行った。
最後に、志乃と会田だけが玄関に残された。
志乃は会田を部屋の一つへ通し、向かい合って座る。
「一体、何があったのですか。長嗣は、長嗣はどうしたと言うのです」
なるべく落ち着いた声音で尋ねると、会田は俯きながら答えた。
「長嗣様は……、現在行方不明です」
「行方不明!?」
なるべく冷静な対処をしようと決めていた志乃だが、心の暴走を止められず、思わず高い声で叫んでしまった。
すぐに失態に気づき、声を落としてそろりと問う。
「……どうして行方不明に? 戦には勝利したのでしょう?」
「千葉軍が退却し、我々も勝利を手にして帰路についていました。しかし今朝、こちらへ向かう途中で千葉軍の待ち伏せにあいまして」
「千葉軍!? 退却したのではなく、待ち伏せていたのですか?」
ついつい高い声で叫んでしまうが、もう仕方ないと志乃は諦めた。
「はい。なんとか千葉軍の残党も撃破し、相手の大将の首も長嗣様が取りました。しかし、捕まえていた千葉兵士がいきなり暴れ出し、長嗣様に飛びかかって……」
会田は悔しそうに拳を握りしめた。
主を守れなかった事を悔いているのだろう。
「近くの土手から二人とも転がり落ちてしまったのです。かなりの高い急斜面の場所でして、長嗣様を捜索しましたが、見つけたのは岩に頭をぶつけて死んだ千葉兵士だけです」
「遺体が見つからなかったという事は生きているのでしょう?」
すがるように尋ねるが、会田は首を縦にはふってくれない。
「もちろん、わたしは生きていると信じています。しかし、場所が広すぎて、どこへ落ちてどこにいらっしゃるのかが全くわからないのです」
志乃の顔が一気に青ざめる。
「故に、長嗣様は現在安否もわからない行方不明となっております」
蒼白な顔で「お許し下さい」と平伏した会田を見て、志乃は静かに立ち上がった。
現在は飾りとして置かれていた元山模の宝刀を手にとり、乱暴に鞘を凪捨てて鈍い光を放つ刃を素早い動きで会田の首にあてがう。
「今の話、嘘を申しているならこの首を今跳ねますよ」
志乃は山模の頂点に立っていた武家の娘で、今は利賀領主・長嗣の妻だ。
自分の誇りにかけて、真偽を問う必要がある。
「奥方様のお怒りはもっともです。どうぞ主を守れなかったわたくしの首をおはね下さい」
そのまま二人の間に沈黙が流れ、志乃はゆっくりと刃を会田の首から外し、落ちた鞘に収めて元の場所に戻した。
「……長嗣は必ず生きています。捜索隊を手配して下さい」
志乃は諦めたくはなかった。
まだ夫を──長嗣を亡くしたくはなかった。




