第91話 亡国の王子、劇を見てきた。
「夜会五日前にここに来るなんて、ずいぶん余裕あるじゃない?」
教会の図書室。
いつもの黒髪眼鏡が、本から顔を上げてこちらを見た。
「ドロシーさんに言われたくないんですけど!?」
というか、第五皇女宮も絶対忙しいでしょ!?
ちなみに夜会準備で第七皇女宮も修羅場なのだが、今日は侯爵たちと観劇だったので、直帰の許可をもらっているのだ。
その分、明日の仕事が増えることは言うまでもない。
「私、夜会関係ないから」
「ぐ、ずるい」
「何が」
「なんでもありません……」
言えない。
まさか、「いや、あなた第五皇女殿下ですよね?」とは、口が裂けても言えない。
それを言ったら、俺たちの読書友達という関係は終わってしまう。
あと、たぶん怒られる。
「……まあ」
ドロシーさんが、ぺらりとページをめくりながら呟く。
「次の夜会は相当荒れると思うから、がんばんなさい」
「関係ない人から出るコメントじゃないですよね?」
「偶然小耳に挟んだだけよ」
偶然ってすごい便利な言葉ですよね。
俺も最近よく使います。
「……ちなみにどう荒れるんですか?」
一応聞いてみる。
もしかしたら、俺の知らない情報が出てくるかもしれない。
「料理のメニューがいつもと違うわよ」
「え、なんでです?」
「皇帝陛下が参加すると、特別な料理が出るの」
「本当に!?」
それは重要情報だ。
皇帝陛下の好みのメニューが出るとかだろうか、それとも普通に豪華になるんだろうか。
思えば、これまでの夜会で俺はほとんど何も食べられていない。
貴族に話しかけられ、皇族に絡まれ、気付いたらタイミングを逃してた。
今回こそは――。
「本当だけど」
ドロシーさんが、心底呆れたような目でこちらを見た。
「荒れる理由はそこじゃないに決まってるでしょ、馬鹿なの?」
「自分で料理の話したくせに!」
なんで期待させたんですか!?
……でも、特別メニューは本当なんだ。
よし、今回は絶対に何か食べよう。
「あなた、本当に緊張感ないわね」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
ちょっとは悪いと思ってほしい。
この理不尽っぷりは本当にあの人たちの姉妹だなと思うが、こんなことで実感したくない。
「で」
本のページをめくる手を止めずに、ドロシーさんが続けた。
「どうして、のんびり教会来てるの?」
「今日は侯爵と観劇だったので直帰なんです」
エクター侯爵の娘さんと一緒に劇を見ながら解説するというお誘いに結局行ってきた。
夜会直前の、情報収集と交流という意味では普通にお仕事である。
なお、娘さんは意外と劇に詳しくて、むしろ俺が解説を聞く側だったのだが、それはまた別の話。
「なんで下級官吏が侯爵と観劇してるの?」
「……なんでですかね」
それは俺も聞きたい。
「ふーん」
ドロシーさんが少し考える。
「今やってるものだと……『十二夜』あたり?」
「そうです」
さすがに詳しいな。
いや、当たり前っちゃ当たり前なんだけど。
「面白かった?」
「久しぶりに観劇行きましたが、面白かったですよ」
帝都の劇場に行ったのは初めてだったし、面白かったのも本当である。
侯爵には「また頼むよ」と言われたけど、無料だったので正直ちょっと嬉しい。
「あらあら」
そこへ、お茶を持ったヘレナさんが図書室に入ってきた。
「『十二夜』の話?」
「あ、はい」
「私もあれは観てみたかったのよねぇ」
ヘレナさんが、少し残念そうにお茶を並べる。
劇の内容を非常に雑に言うと、正体を隠した主人公が別人として貴族に仕える恋愛喜劇である。
そういえば、ヘレナさんは恋愛小説結構好きだもんね。
……。
「今度、一緒に行きますか?」
「いいの?」
ヘレナさんの表情が、ぱっと明るくなる。
「はい」
これくらいは、いいだろう。
「例のお願いについて、夜会が終われば進むと思うので、そのお礼にでも」
夜会さえ終われば……いや、エレオノーレ殿下が勝つ前提だけど、皇帝も治療を受け入れるはずだし。
お待たせしている分、何かお礼はしたいと思っていたところだ。
殿下かリズにお願いすれば、チケットもたぶんどうにかなると思うし。
「あら、だったら楽しみにしておくわね」
ヘレナさんが、手を合わせて本当に嬉しそうに笑う。
よかった。
たまには、素直に喜んでもらえることをしたい。
この人へは、返しても返し切れない借りがあるんだし。
「私には?」
「え?」
いつの間にか、ドロシーさんが本から顔を上げて、こちらをじっと見ていた。
「私にお礼は?」
「え、ドロシーさんも観劇行きたいんですか?」
意外。
お誘いしても絶対「行かないわよ」って即答するタイプだと思ってたのに。
「私、拘束時間長いから観劇あまり好きじゃないのよね」
「じゃあ、今の『私には』は一体なんだったんですか!?」
なに!?
行きたいわけじゃないなら、何の抗議だったの!?
「あらあら」
ヘレナさんが楽しそうに笑う。
「じゃあ、ドロシーちゃんも一緒に三人で観劇行きましょ?」
「まあ」
ドロシーさんが、少しだけ考えるそぶりだけ見せてから。
「ヘレナさんがそう言うなら」
「俺、もう何もわからないんですけど!?」
「何か問題ある?」
「いや、ないですけど……」
ないですけど。
さっきまで行きたくないって言ってませんでした?
「じゃあ、次は三人で」
ヘレナさんが、嬉しそうに紅茶を注ぎ足してくれる。
「はい」
「チケットは良い席でお願いね」
ドロシーさんが既に本に視線を戻したまま、しれっと要求してくる。
「だいぶわがままですね」
「何よ」
「ナンデモナイデス」
うん。
この約束を守るためにも、この後もっかい職場帰って夜会の情報整理しよ……
たぶん、エレオノーレ殿下もリズもまだいるだろうし。




