第89話 亡国の王子、奢る。
「おつかれー……」
麦穂亭の扉を開けた瞬間、酒と肉と、誰かの馬鹿笑いの匂いがした。
ああ。
これだよ、これ。
こういうのでいいんだよ。
「やあ、ロビンくん。今日は早いね」
奥の卓で、ギルさんがひらひら手を振る。
あなたも早いですね。
秘書官さん泣いてません?
「色々あって早上がりです」
「へえ。いい職場だねぇ」
「それは否定しません」
早上がりさせてくれる職場は良い職場である。
その隣にはケイ。
そして。
「お、ロビン!聞けよ!俺今日めっちゃ働いた!」
俺が疲れた元凶の一人でもあるマーリンが、満面の笑みで手を振っていた。
「知ってるよ!知りたくなかったけど知ってるよ!」
「え、なんで知ってんの?」
「なんでだろうね!?」
本気で不思議そうな顔すんの腹立つからやめろ!
「へえ、マーリンが働くなんて珍しいね?」
ギルさんが面白そうに身を乗り出してくる。
「そうなんだよ、ギル。職場に泥棒が入ってさー。犯人探しで新発明試し放題でさぁ」
「へえ、マーリンの職場に泥棒?そりゃ大変だ」
「ほんとほんと。まったく、ひでぇことする奴がいるよな」
お前だ。
鏡見ろ。
「俺、マジでマーリンの飲み仲間やめたくなったわ」
ケイが、死んだ目でエールを飲んでいる。
「わかる」
心の底からわかる。
建物の外で待たされた挙句、機密書類の束を押し付けられた男の言葉は重い。
「なんだよぉ。働いた俺をもっと労えよぉ」
マーリンが卓に突っ伏して拗ねるが、おっさんが拗ねても可愛くない。
だが、まあ、実際。
こいつがいなかったら、たぶんあの書類には辿り着けなかった。
リズも、無事に帰ってこられなかったかもしれない。
……いや、帰ってこられなかったかもしれない原因も、半分くらいこいつっぽいけど!
でもまあ。
「労ってもいい」
「お?」
「今日は一杯奢ってもいい」
「おお!」
マーリンの顔が一気に明るくなる。
「マジか!サンキュー、ロビン!」
「だが、その前に一発殴らせろ」
「ロビン程度で俺を殴れるわけないだろ」
「事実だけどドヤ顔で言うな!」
知ってるけどそれでも殴りたい時ってあるじゃん!?
「ロビンさ~ん?」
ギクリ。
背後から、聞き慣れた優しい声がした。
振り向くと、アンナちゃんがお盆を抱えて、にこにこ笑っている。
「麦穂亭は~、暴力禁止ですよ~?」
「……はい」
「マーリンさんも~、ロビンさんをイジメちゃだめですよ~?」
「はい」
即座にマーリンがピシっとした。
ざまあみろ。
「でもさぁ」
ケイが、肘を机について俺を見る。
「ロビン、意外と我慢利かないんだなー。ちょっと驚いたぞ、俺」
「う」
痛いところを突かれた。
「なになに?」
ギルさんの目が輝いた。
「ロビンくんが我慢できなかったのかい?何に?」
「仕事の話。言えねぇやつ」
ケイがさらっと流す。
こういうところはちゃんとしてるんだよな、こいつ。
「まあ、俺だったから良かったけどさ」
ケイがエールを一口飲んで、肩をすくめる。
「他の騎士なら、腕の二本や三本、あの場で折られててもおかしくなかったぞ?」
「腕は二本しかないんだよ?」
「じゃあ三本目は脚だな」
「具体的にしないで!?」
怖いわ!
……でも。
あの時、ケイが止めてくれなかったら。
「……ごめん。ありがとう、助かったよ」
「じゃあ?」
ケイが、にっと笑って手のひらを上に向けて差し出してきた。
……うん、まあ。
あの時、心の中で約束したしな。
「わかったよ、奢るよ。肉もつける」
「よっしゃ!」
「「アンナちゃーん! ロビンの奢りで一杯!」」
ケイとマーリンの声が、綺麗に重なった。
連携が早すぎる。
「は~い。ロビンさん、今日は太っ腹ですね~」
奥からアンナちゃんが、にこにこと笑いながら返事をする。
「マーリンとケイにちょっと仕事で世話になってね」
「美しき友情ですね~、じゃあ新メニューもつけておきますね~」
「その新メニューって、サービス?」
「はい~」
よかった。
「ロビンさんのお財布にサービスしてもらいます~」
「俺がサービスする側!?」
アンナちゃん!?
「いいじゃねぇか、ロビン」
ケイが無駄に素早く肩を組んでくる。
やめろ。
避けられなかったし、暑苦しい。
「命の恩人に酒の一杯や二杯くらい」
「二杯に増やすな」
「じゃあ三杯?」
「なんで増えるの!?」
「腕三本分?」
理屈がめちゃくちゃだ。
「またロビンくんは、なんか妙な事に首突っ込んで危ない羽目にあったのかい?」
ギルさんが、楽しそうに杯を揺らした。
「否定したいけど否定できない!」
本当に否定できない。
自分から首を突っ込んだ覚えは一度もないのに、気付いたら首まで浸かってる。
なんで?
「俺みたいに、もっと平穏に生きなよ」
「あなた本当に平穏に生きてます?」
俺、『ジルベルト殿下の交友関係録』読んだんだぞ?
あなた、亡国の元公爵夫人匿ってますよね?
「生きてるとも」
ギルさんが、実に爽やかに笑った。
「美しい女性を愛でることに、人生を捧げてるからね」
「ちょっと羨ましいのが嫌だ!」
なんだその人生!
皇族が送っていい人生じゃないだろ!
でも、平和そうに見える。
「ロビンくんもどうだい?」
「何がですか?」
「美しい女性を愛でる人生」
「俺がそんな人生送ったら、たぶん三日で死にます」
エレオノーレ殿下に怒られるか。
リズに弱みを握られるか。
ドロシーさんに冷たい目で見られるか。
ヘレナさんに叱られてしまう。
どれも嫌だ。
「大丈夫。最初はみんな初心者さ」
「初心者とか上級者とかあるんですか、それ」
「あるとも。ロビンくんさえやる気があるなら俺が指導してあげよう」
「遠慮しておきます」
この人、本当に第六皇子なんだよな?
よく今まで生きてるな。
「お待たせしました~」
アンナちゃんが杯を五つ持ってやって来た。
「ロビンさんの奢りです~」
「「サンキュー、ロビン」」
ケイとマーリンが受け取る。
……ん?
「アンナちゃん、待って」
「は~い?」
「なんで五つ?」
ケイとマーリンと俺の分で三つでは?
「私と~、ギルさんの分です~」
「ギルさんとアンナちゃんまで!?」
「え~、ダメですか~?」
上目遣いでそう言われると、弱い。
「……いいよ」
「わ~い」
アンナちゃんの笑顔に、財布のことなんてどうでもよくなる。
ま、今日くらいはいいだろ!
「じゃあ、ロビンくん。俺もありがたく頂くよ」
ギルさんが爽やかに笑う。
「ちゃんと味わって飲んでください」
「じゃあ、奢ってくれた代わりに今度ロビンくんに良い店を教えてあげよう」
「怪しい店じゃないですよね?」
「楽しい店だよ」
「遠慮しておきます」
「真面目だなぁ」
油断すると、この人にはどこへ連れていかれるかわからない。
場合によっては、エレオノーレ殿下に怒られてしまう。
それは困る。
「おら、ロビン。奢り主が音頭取れ」
「ぬるくなる前に飲もうぜ」
「ロビンさん、ごちそうさまです~」
「よし、じゃあ美味い飯と酒を出してくれる麦穂亭に」
「「「「「かんぱーい」」」」」
飲んで!食って!今日は寝る!




