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亡国の王子ですが、のんびりしようと下級官吏になったら、なぜか昼行燈と噂の第七皇女の秘書官になりました  作者: 萩原梓荻(旧:萩原詩荻)
第四章 皇帝レオンハルト

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第87話 亡国の王子、理解したくない。

「一体……何を言っているんですか」


 エレオノーレ殿下が、呆然と呟いた。


「そうだなぁ……どこから話そうか」


 オスカー殿下は、少し困ったように笑う。


 ――難しい本の内容を、妹にどう説明しようか迷っている兄のように。


「じゃあ、エル。なぜ、最近になって急に乾燥基準が厳しくなったか、までは調べたかい?」


「え?」


 エレオノーレ殿下が虚を突かれたような声を出す。


「うーん、じゃあ、その薬草がどこで生まれたものかは知ってるかな?」


「いえ、そこまでは……」


 ……え?


 いや、そこまでは調べなかったけど。


「数年前、帝国が併呑したとある国の薬草だよ。非常に効用も高いが、それまでは帝国では知られてなかった薬草なんだ」


「……なんの話ですか?」


「まあまあ。最後まで聞いてくれ」


 オスカー殿下は、まるで講義をしているような穏やかな口調だった。


「……」


「だが、帝国領になってからは違った。帝国は、薬効を調べ、流通網を整え、帝国中で使えるようにした」


 帝国の方針でもある他国を滅ぼし、技術、人材、資源をかき集める流れ。


 薬草は、その中に含まれるものの一つだったという話だ。


「そうして使用例が増え、長期服用する人も増えた。だから、ようやく見えたものがある」


 ……それで、基準が改正されたのか。


「昔の人たちが間違ってたわけじゃない。世界の方が変わったんだ」


 ――その言葉だけなら。


 すごく、よく分かる。


 その土地だけで使われていた薬草が、帝国全土で使われるようになったから、判明した知識がある。


「国も同じだと思わないかい?」


 言っている意味は分かる。


 小さい国であった時と、大きな国に吞み込まれたあとでは変わらざるを得ないことがある。


 そう繋がることも分かる。


 でも、理解したくない。


「父上は偉大な皇帝だ。いくつもの国を下し、帝国へ組み込んだ結果、帝国は世界最大の国となった」


 オスカー殿下の声には、皮肉も嫌悪もない。


 本当に、功績として父親を評価している声だった。


「加えて、父上の合理的な官僚制と属国運営で、帝国は素晴らしい繁栄を迎えている。そうだね、エル?」


「……そうですね」


 エレオノーレ殿下が、慎重に答える。


 実際、それを否定するのは難しい。


 俺は帝国が嫌いだ。


 だが。


 街には物が溢れ、仕事があり、灯りが点って、子どもが遊び、酒場では今日も誰かが飲んでいる。


 帝国は強く、豊かで、巨大で、恐ろしくよくできている。


 それが、どれほどの犠牲の上に立っているとしても。


「うん、でも――世界は変わった。世界最強の国となった帝国は、方針を変えるべき時代に来ている」


「……そういう面も、あるかもしれません」


「うんうん。伝わってよかったよ」


 エレオノーレ殿下の返答を受け、オスカー殿下はほっとした声を出す。


 妹が自分の話を理解してくれたことを喜んでいる兄の顔に見えた。


「これ以上、戦争を続ける必要はない。土地を整え、人材を育て、魔導技術をさらに高める。帝国は次の段階へ進むべきなんだ」


 ……。


 もっと早く、そう言ってくれる人が皇帝になったら。


 そう思わないと言えば、嘘になる。


 帝国がこれ以上、国を滅ぼさなくなるのなら。


 それは、俺にとっても――。


「だがね」


 オスカー殿下の笑みが、ほんの少しだけ寂しそうになった。


「父上に何度そう申し上げても、受け入れてもらえないんだ」


「お父様は、なんと?」


「『儂が死んでから好きにしろ』って笑ってたよ」


 ……うわぁ、すごく言いそう。


「でもね、それじゃあ困るんだ」


 オスカー殿下は苦笑いのような表情で続ける。


「歴史を紐解けば、晩節を汚した名君など枚挙に暇がない」


「……まさか」


 エレオノーレ殿下の目が見開かれる。


「であれば」


 オスカー殿下は、本当に当然のことを説明するように言った。


「敬愛する父上が判断を誤る前に」


 穏やかに微笑む。


「判断できないようにして差し上げるのも、家族愛というものではないかな?」


 ――俺は、あの日、玉座に残ると言った父上に何も言えなかった。


 この人の父親は、まだ生きていて。


 まだ、話ができて。


 ドロシーさんは、面倒でも、馬鹿だと思っても、元気でいてほしいと言っていた。


 それなのに。


 そんなものが。


 そんなものを家族愛だと。


 よりによって本気で父親を心配するエレオノーレ殿下とカミラ殿下の前で!


「動くな」


 耳元で、低い声がした。


 いつの間にか、ケイが真横にいた。


 扉の傍にいたはずなのに。


 足音も、気配も、なかった。


「そのまま、握った手を解け」


「……」


 自分が拳を握った自覚も、一歩踏み出していた自覚もなかった。


「皇族へ暴力を振るうというのであれば、見逃せない」


 酒場で聞くのと、同じ声だった。


 でも、酒場では一度も聞いたことのない温度だった。


「ロビンくん」


 カミラ殿下が、こちらを見ずに言う。


「大人しくしてなさい」


 足を戻す。


 握っていた拳を、ゆっくり開く。


 何をしようとしていたのか、自分でもよく分からない。


 一度、息を吸う。


 吐く。


 もう一度吸う。


「……申し訳、ありません」


 ケイの手が、一度だけ俺の肩を軽く叩いて、離れた。


 ……ありがとう。


 今度、肉奢る。


 カミラ殿下はそれ以上何も言わなかった。


 オスカー殿下も俺のことを気にせず、チラリとカミラ殿下を見る。


「カミラ姉さんなら、僕が言いたいことはわかるでしょう?」


「……」


 カミラ殿下はすぐには答えずに、手にしていたカップを置き、弟の顔をじっと見る。


「……言いたい意味だけは、わかるわ」


「よかった」


 オスカー殿下が、本当に嬉しそうに笑った。


 同じ言葉を話せる相手を見つけた、みたいな顔で。


 何もよくねえよ。


 エレオノーレ殿下は、振り返らなかったが、深く息を吸ったのが分かった。


「オスカー兄様の主張は、理解しました」


「伝わってよかったよ」


 オスカー殿下が、ほっとしたように笑う。


「やっぱりエルは賢いね」


 ……エレオノーレ殿下。本当に、それでいいんですか?


「オスカー兄様は、故意にお父様の病状を悪化させていたということでよろしいですね」


「……」


 オスカー殿下が、初めて言葉に詰まった。


 俺も頭が真っ白になったし、カミラ殿下とケイも「え?」って顔してる。


「僕の話を、聞いていたかい?」


 かろうじて問い返したオスカー殿下は偉い。


「はい」


「父上自身も、帝国のためなら同じ判断をすると思うよ」


 ……たしかに。


 あの皇帝なら、自分自身が帝国にとって邪魔だと本気で判断したら。


 笑って、自分を処分しろと言いそうな気がする。


「それでもです」


 それでも、エレオノーレ殿下の姿勢は揺らがなかった。


「うーん。やっぱり、まだエルには少し早かったかな」


 オスカー殿下は困ったように頬を掻いた。


「そういう問題ではありません」


「僕としては、これからの帝国に必要な話をしているつもりなんだけど」


「それは理解しました」


「なら――」


「オスカー兄様は」


 エレオノーレ殿下は。


 兄の目を、真っ直ぐ見た。


「家族を傷つけた。だから許さない。そういう話です」


 難しい理屈は、一つもなかった。


 帝国の未来も、名君の晩節も、関係なかった。


「家族を傷つけた……ねぇ」


 オスカー殿下が、小さく繰り返す。


 その表情は、どこか妹の成長を喜ぶ兄のようにも見えた気がしたのだが……


 そのまま、その碧い目が、俺を見た。


「?」


 ……なんで?


 目が合ったのは、本当に一瞬だった。


「ま、意味もないか」


 オスカー殿下はすぐに視線を戻し、いつもの顔で肩をすくめた。


「それで?」


「……何がですか?」


「許さないとして、どうするんだい?」


「それは、お父様に報告して決めていただきます」


「父上に?」


「はい」


「その父上の判断力を問題にしているんだけどなぁ」


「少なくとも、オスカー兄様が勝手に判断することではありません」


「なるほど」


 エレオノーレ殿下の即答に、オスカー殿下は楽しそうに頷いた。


「それは一理あるね」


 そこは認めるんだ。


 ……この人、もしかして一度も嘘はついてないし、理論だけで話してる?


「それまでは、私の部下がいったんあなたを拘束するわ」


 カミラ殿下の声に、ケイが静かに一歩前に出る。


「何の理由で?」


「皇帝陛下暗殺未遂、とかでどう?」


「成立するとお思いで?」


 ……たぶん、成立しない。


 俺でも法的に争える余地はいくつも思いつく。


 たぶん、オスカー殿下なら『皇帝暗殺未遂』には当たらない理屈をいくらでも組み立てられるだろう。


 けど、『疑いがかかったという事実』だけで十分なのが宮廷政治というものだ。


「さあ?」


 カミラ殿下が、にっこり笑った。


「どんな理由が成立するかは、あとでドロテアに聞きなさい」


「うわぁ」


 オスカー殿下が、初めて少しだけ嫌そうな顔を見せる。


「ドロテアも怒りそうだ」


「当たり前よ」


「当たり前です」


 姉妹の声が、綺麗に重なった。

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