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亡国の王子ですが、のんびりしようと下級官吏になったら、なぜか昼行燈と噂の第七皇女の秘書官になりました  作者: 萩原梓荻(旧:萩原詩荻)
第四章 皇帝レオンハルト

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第83話 メイド、潜入する。

 ――魔導局。


 兵器、結界、通信、魔導具。


 帝国を支える魔導技術研究の中枢であり、その内部について知る者は少ない。


 そんな魔導局の廊下は、皇城のどこよりも息苦しい。


 壁も、床も、扉も、ただの石造りに見えるけど、いくつもの罠が仕込まれている。


 侵入者を感知するもの。


 許可のない扉を開けた者を記録するもの。


 通路の魔力の流れを乱した者を知らせるもの。


 正直、嫌になる。


 魔術は使った瞬間、探知の網に引っかかるから使えない。


 変装も、認識阻害も、全部だめ。


 だが、しかし。


 第三皇子の演習場に入れなかった屈辱はこちらで果たさせてもらう。


 八つ当たり?


 知ったことではない。


 それくらいのやる気がないと、正直やってられない。


 幸い、非常時の逃走経路にはケイが待機済。


 周囲の安全確認に第二皇女宮の人間も駆り出されている。


 取っ掛かりを手に入れて以来、ずっと潜入する準備も進めていた。


 今夜ほど豪華な潜入は、たぶん今後そうそうない。


 それでも……何もなければ、それでいい。


 無駄足だったとみんなで笑えばいい。


 目指すのは最上階の魔導局長執務室。


 二階。


 三階。


 研究室の前を通るたび、扉の小窓から妙な光が漏れている。


 一つの部屋では、なぜか鍋が浮いていた。


 ……誰かの夜食だろうか。


 四階。


 ここから先が局長区画、のはず。


 事前に入手した図面にも詳細は載ってなかった。


 だからこそ、行くしかない。


 あと少し。


 あと、階段一つ。


 ――その時。


「……おい」


 すぐ背後から声をかけられ、背筋が凍るような感覚に襲われた。


「おっと、動くなよ」


 首筋の後ろに、何か冷たいものが当てられている。


 ゆっくり、視線だけで振り返る。


「……マーリン」


「よう、リズ」


 麦穂亭で見慣れたはずの男が。


 見たことのない冷たい眼で、そこに立っていた。


「いい飲み仲間だと思ってたんだけどな」


 声はいつも通りだった。


 だらしなくて、軽くて、酒場で聞く声と同じ。


 だからこそ、わかる。


 今のマーリンは、本気だ。


「一応、理由だけは聞いておいてやる」


 ……一応、ね。


 逃げる?


 無理。


 私はこの状況からマーリンを制圧できるような化物じゃない。


 建物の外のケイに騒ぎを起こしてもらう?


 無理。


 何か怪しい動きを見逃してくれる状況ではない。


「……」


 ここで一手間違えたら――私は、死ぬ。


 麦穂亭で同じテーブルを囲んだ程度の縁で、見逃してくれると思うほど甘くはない。


「何も言わないなら、それはそれでいい。せめて、身元不明にしてやるよ」


 グッと首筋の後ろに押し当てられたものに力が入るのがわかる。


 これ以上の時間稼ぎも無駄。


 ここで嘘を言っても、たぶん無駄。


 誤魔化しも、脅しも、泣き落としも、この男には通じない。


 だったら。


「……皇帝陛下の病について、調べに来た」


 マーリンの顔から完全に表情が消えた。


「……」


「……」


 沈黙。


 数秒。


 もしかしたら一瞬だったのかもしれない。


 けれど、やけに長く感じた。


 どこかで、何かが唸る音だけが響く。


「……本当か?」


 マーリンの声は変わらない。


 けど、一言以上を聞いてくれるだけの興味は引けたらしい。


「その更に先にある理由は、たぶん一致しないけど」


 私はエルのために動いている。


 カミラ殿下も巻き込んでいる。


 皇位継承争いから完全に切り離すことはできない。


 でも。


「ここを調べに来た理由は本当」


「……」


「……」


 マーリンの眼が、じっと私を見ている。


 生きた心地がしないまま時間が流れ――


「……わかった」


 首筋の後ろの気配が、ふっと消えた。


「俺一人じゃ入れない区画がある。手伝え」


「……いいの?」


 思わず聞き返していた。


 ここは、あんたの職場でしょう?


 この上にあるのは、あんたの上司の執務室でしょう?


「いいわけねぇだろ」


「じゃあ、なんで」


「ちょうど俺一人じゃ手詰まりだったからな。物理的な鍵ならリズの方が得意だろ?」


 ……まさか、マーリン。


「もしかして、皇帝陛下の病について何か調べてたの?」


「んー、調べてたっつーか、何から調べようか考えてたっつーか。医療は専門じゃないからなぁ」


 マーリンが、魔導具らしきものを懐にしまいながら、頭をぽりぽり掻く。


 その雰囲気は、だいぶ普段のものに近かった。


 でも。


「マーリン、わかってるの?」


「ん?」


「その台詞、『第四皇子を疑ってる』とほぼ同義だよ?」


「えー、だって、そもそも俺はどの皇子にも皇女にも興味ねぇし」


「うっわ、そんなこと言っていいの?」


 言っちゃダメに決まってる。


「あれ、お前と飲んでる時には言わなかったか?」


 マーリンが、心底不思議そうに首を傾げた。


「何を?」


「俺が忠義を誓ったのは、皇帝陛下だけだ」


 ……ああ、そういえば。


「……言ってたわね」


 昔、麦穂亭で酔っぱらってソーセージを振り回しながら言ってたことあったわ。


 ただの酔っ払いの戯言だと思って聞き流していた。


「はは、最近、リズは麦穂亭に来る回数減ってたからな」


「ロビンに気を遣ってあげてるのよ」


 私がいたら言えない愚痴もあるだろうってね。


「なんだ、じゃあ、リズは俺の発言忘れてたまま、さっきの理由言ったのか?」


「嘘ついてたら殺してたでしょ」


「まあな」


 さらっと言わないでほしい。


 こっちは九死に一生を得た気分なんだから。


「ほら、こっちだ」


 マーリンは無防備に背中を向けて、階段を上り始める。


 ……。


「目的地は?」


「俺は最上階」


「私と同じね」


「そりゃよかった。じゃあ、こっからは俺が止まれって言ったら止まれ。走れって言ったら走れ。死ぬなって言ったら死ぬな」


「最後のは難しいわね」


「そこは即答しろよ」


 マーリンが呆れたように言う。


 こんな状況なのに、少しだけ笑ってしまった。


「努力するわ」


「上等だ」


「マーリン」


「あ?」


「信じるわよ」


 マーリンは少しだけ振り返って、いつものだらしない笑みを浮かべた。


「麦穂亭に誓ってやるよ」


 神でも。


 皇帝陛下でもなく。


 麦穂亭に誓う。


 ――いいじゃない。


「すごく信じられるわ」


「ハハ、だろ?」

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