第8話 亡国の王子、秘密を知る。
「つっっっっかれたぁぁぁぁぁ……!」
皇女が。
第七皇女殿下が。
帝国皇女エレオノーレ・フォン・ライヘンバッハが。
部屋の中央に置かれていた長椅子へ、ほぼ倒れ込むように沈んでいる。
さっきまで夜会で「美しい第七皇女」として立っていた無表情皇女が、今、長椅子に顔を埋めている。
これは、見ていいものなのか?
見たら消される類のものでは?
「リズぅ。靴。あとお茶。あとお菓子。あと世界平和」
「靴は今。お茶も今。お菓子もありますが、世界平和は在庫切れです」
「使えない」
「メイドに世界平和を求めないでください」
「じゃあ、枕」
「はいはい」
リズが慣れた手つきで殿下の靴を脱がせ、足元に小さな柔らかい台を置く。
慣れている。
あまりにも慣れている。
つまり、これは初めてではない。
俺は今、皇女の秘密の儀式を目撃しているのかもしれない。
「はぁぁぁ……夜会きらい……」
エレオノーレ殿下が長椅子に沈み込んだまま、天井を見上げている。
ついさっきまで、貴族たちの前で淡々と返礼していた第七皇女殿下はどこへ行ったのか。
今そこにいるのは、綺麗なドレスを着たまま溶けかけている何かだった。
「あの」
「なにー?」
返事がゆるい。
あまりにもゆるい。
どうしよう。
俺の中の『皇族とはこうあるべき』みたいな知識が、いま音を立てて崩れている。
「これは……」
「見ての通りよ」
「見ての通り、とは」
「疲れたからだらけてるの」
「皇族がですか?」
「皇族も疲れるのよ!」
怒られた。
いや、正論ではある。
皇族だって疲れるだろう。
でも、だからといって、長椅子に沈む皇女は珍しいと思う。
たぶん。
少なくとも、うちの王族にはいなかった。
いたらたぶん大臣が泣いていた。
「ほら、あなたも立ってないで座ったら?」
「え?」
長椅子に寝そべったまま、エレオノーレ殿下がこちらを見る。
「今日はもう仕事終わりでしょ?」
「い、いえ、私は立ったままで」
「真面目ねぇ……」
真面目とかそういう問題じゃない気がする。
「殿下、その前に髪飾り外しますよ」
「お願いー……」
リズが慣れた手つきでエレオノーレ殿下の髪飾りを外していく。
さっきまで完璧に整えられていた銀髪が、するりと肩に落ちた。
うわ、なんか一気に雰囲気変わったな。
夜会の時の「近寄りがたい皇女」が消えて、年相応の綺麗な女の子になった。
……いや、綺麗なのはずっと綺麗だったんだが。
なんというか、壁がなくなった感じだ。
「視線が気になるんだけど」
「すみません」
「別に怒ってない」
「はい」
「でも、お菓子はあげない」
「欲しいとは言っていません」
「そう」
エレオノーレ殿下は、なぜか少し考えてから、皿に残っていた小さな焼き菓子を一つ摘まんだ。
そして、俺の方に差し出す。
「やっぱり一つあげる」
「よろしいのですか?」
「夜会がんばったから」
おお。
上司からの報酬。
「ありがとうございます」
受け取って食べる。
うん。
美味しい。
甘い。
疲れている時にちょうどいい。
「美味しいです」
「でしょ」
また少し得意そうな顔。
この人、好きなものを褒められると嬉しいタイプか。
なるほど。
「でも、その……よろしいのですか?」
「何が?」
「私に見せてしまって」
これは聞いておくべきだと思った。
目の前の姿は、明らかに皇族の顔ではない。
リズや“わかっている”メイドたちは慣れているらしい。
だが、俺は昨日来たばかりの新人秘書官である。
普通、こういう秘密は見せない。
まして、教会の証明書だけで採用された身寄りなしの新人秘書官である。
その新人に、皇族が無防備な姿を見せる理由はない。
いや、ないよな?
俺なら見せない。
「……」
エレオノーレ殿下は、少しだけ黙って、クッションから顔を上げる。
目元は少し眠そうだ。
「あなた、今日の夜会の私を見て、どう思った?」
「どう、とは」
「素直な感想でいいわよ」
――正直危ないな、と思った。
「意図的に存在感を消しているように見えました。無口で、無表情で、無害だと見えるように振る舞っていたかと」
「やっぱりわかった?」
「少し」
この人は有能だ。
それでいて、有能であることを隠している。
だが、それはたぶん、隠さなければならないからだ。
皇帝が病に伏せり、皇位継承争いが激しくなっている帝国。
そんな場所で、第七皇女という微妙な立場にいる彼女が目立てば、何が起こるか分からない。
「存在感が薄いって便利なのよ。何かしても、周囲が勝手に“まさか第七皇女が”って思ってくれるから」
今、さらっと怖いことを言わなかったか?
「殿下」
「何?」
「何かしているんですか?」
「してない」
「目を逸らしながら言わないでください」
「してないことになってる」
「より怖いです」
リズが静かにお茶を置いた。
それから、新しい菓子皿も。
長椅子に寝転がったままの物体が上半身だけ起こし、菓子を一つつまむ。
動作が早い。
獲物を捕らえる小動物みたいだった。
「まあ、そんな状況で秘書官がコロコロ辞めるのってまあまあ大変でね?」
「それはわかります」
そりゃそうだ。
でも、そんな半分溶けた状態で真面目な話をしないでほしい。
「だから、あなたを確保するためにも先に『こちらが信頼している』と見せるのもアリかなって」
「そんなに大した人材ではないと思いますが……」
「一つ、仕事ができる」
「普通です」
普通でいたいです。
「二つ、夜会での対応も良かった」
「がんばりました」
本当にがんばりました。
「三つ、念のため教会に確認したら『信用できます』って署名して返してきたわよ」
「それは初耳なんですが」
……本当に教会にはお世話になりっぱなしだな。
今度改めてお礼しにいかないと。
「四つ、長く働いてもらうならいずれ知ることになるから、早い方がいい。隠す方が面倒」
「理由の最後がひどい」
「大事」
「大事ですか」
「とても」
どうやら、第七皇女宮では「面倒だから隠さない」が合理的理由として採用されるらしい。
すごい職場だ。
「……まあ、ロビンの気持ちもわかるけどね」
横でお茶を入れていたリズも補足してくる。
「ただ、ロビン。あなたって情で縛られるタイプでしょ?」
「……つまり」
「そう、殿下のこの姿見せられたら、ほっとけなくなるタイプでしょ?」
まあ、それはそう。
今、リズに渡された焼き菓子食べてる姿、かわいいし。
「なんか不敬なこと思ってない?」
「思ってません」
「ほんと?」
「本当です」
「むぅ」
むぅ。
むぅって言った。
第七皇女が。
第二皇女と第六皇子の前で表情一つ変えなかった人が、今むぅって言った。
この世界、まだ知らないことが多すぎる。
「さ、殿下。そろそろロビンは宿に帰してあげましょう」
「まあ、そうねぇ。私も眠たいし」
そう言って殿下は、ふわ、と可愛らしくあくびをする。
皇女のあくび。
今日は見てはいけないものを見すぎている。
もし明日処刑されるなら、理由が多すぎて分からない。
「まあ、そんなわけでとりあえず明日以降も来てもらえると助かるんだけど」
「……わかりました」
「あと、他言無用ね」
「もしかして、この秘密を知ったからには……みたいな話はあります?」
「ある」
「あるんですね」
「漏らしたら怒る」
「処刑ではなく?」
「怒る」
「怒られるだけです?」
「リズが」
「処刑の方が優しい可能性が出てきたんですが」
リズの方を見ると、すっごいいい笑顔が返ってきた。
「安心して。痛くはしないわ」
「怖い怖い怖い」
怖がる俺と楽しそうなリズを放置して、殿下がまた一つ焼き菓子をつまんで一口で食べる。
もぐ。
表情が少しだけ緩む。
……これはずるい。
「見すぎ」
「失礼しました」
とりあえず今日はもう帰って寝よう。
……これ以上この部屋にいると、どんどんだらしなくなる皇女のドレスの裾から、本当に見えてはいけないものまで見えてしまいそうだし。




