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亡国の王子ですが、のんびりしようと下級官吏になったら、なぜか昼行燈と噂の第七皇女の秘書官になりました  作者: 萩原詩荻
第一章 第六皇子 ジルベルト殿下

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第7話 亡国の王子、からかわれる。

「ちょっと、ジルベルト、エル。私を差し置いて楽しそうなことしてるじゃない?」


 艶のある声。


 その声が届いた瞬間、ジルベルト殿下の周りにいた女性たちが、ほんの少しだけ姿勢を正す。


 周囲の貴族たちも、笑顔のまま呼吸を整える。


 空気が、少しだけ華やぐと同時に、引き締まる。


 春の花畑に猛獣が入ってきたかのような空気、とでも言えばいいのだろうか。


「カミラ姉さん」


 ジルベルト殿下の視線の先から現れたのは、エレオノーレ殿下と同じ、銀髪碧眼の美女。


 だが、印象がまるで違う。


 エレオノーレ殿下が静かな月だとすれば、この人は燃え盛る炎だ。


 派手で、綺麗で、目を逸らせない。


 黒と深紅を基調にしたドレスを身にまとい、扇を片手にゆっくりと歩いてくる。


 その歩き方だけで、周囲の貴族たちが一歩下がる。


 カミラ・フォン・ライヘンバッハ第二皇女殿下。


 皇位継承権第二位。


 そして噂によると、超有能な超肉食系。


 恋愛も仕事も狩る側。


「エルが新しい秘書官を連れていたから、少し挨拶をしていただけだよ」


 ジルベルト殿下が、軽い笑みのまま肩をすくめる。


「あら、そう?私には、新しい玩具をつついているように見えるけれど」


「ひどいなぁ」


「ひどいのは、あなたの日頃の行いでしょう?」


 周囲から、控えめな笑いが漏れる。


「それで?」


 その一言だけで、喉が詰まりそうになった。


 カミラ殿下の視線が、こちらへ滑ってくる。


「あなたがエルの新しい秘書官ね?」


「はい、ロビンと申します。エレオノーレ殿下の秘書官を務めております」


 礼法通りに一礼する。


「あら、声は悪くないわね」


「恐れ入ります」


「顔を上げなさい」


「はい」


 顔を上げる。


 俺を上から下まで遠慮なく眺められている。


 その視線は、値踏みというより鑑定に近い。


 商品を見る商人。


 人材を見る支配者。


 ……こわぁ。


「ふうん……」


 カミラ殿下がわざとらしく一歩こちらへ近づいてくる。


 近い。


 近いです。


 皇族の距離ではない。


 いや、皇族だから距離を詰めても誰も止められないのか。


 ひどい制度だ。


「よく見ると、顔もいいじゃない」


 周囲がざわりとした。


 やめて。


 そういう評価を公衆の面前で投げないで。


「恐れ入ります」


「あら、照れないのね」


「恐れ多いので」


「つまらない返しね」


 無茶を言わないでほしい。


「平穏を目指しておりますので」


 面白い返しができたらしく、カミラ殿下が美しく笑う。


「皇城の夜会に連れて来られている時点で、平穏とはだいぶ距離があると思うけれど?」


 では、私に話しかけないで下さい。


 って言えたらどれだけ良かったかなぁ!


「珍しいじゃない。エルが若い男を雇うのは」


 そこで、カミラ殿下がわざとらしくエレオノーレ殿下に視線をやる。


「そうでしたか」


「最近は私に声を掛けられるのが嫌で、若い男雇わないようにしてたんじゃないの?」


「特に考えておりませんでした」


「ええ、知ってる。だから面白いのよ」


 会話が怖い。


 姉妹の会話なのに、短いやり取りの中に何か見えない刃物が混ざっている。


 一方で、ジルベルト殿下は面白そうに眺めているだけだ。


 おい、元凶。


 少しは責任を持て。


「ねえ、ロビンくん」


 カミラ殿下がゆったりした動きで俺の礼服の袖を軽くつまむ。


 やめてください。


 マジでみんな見てます。


「はい」


「今夜空いている?」


 周囲の空気が止まった。


 第二皇女殿下。


 夜会のド真ん中。


 妹と弟の前。


 貴族たちの前。


 その状態で、新人秘書官に向かって「今夜空いてる?」である。


 胃からキリリと音がした気がする。


「あら、固まっちゃった」


「カミラ姉さん、さすがに気の毒だよ。ロビンくんが泣いてしまう」


 ほら、ジルベルト殿下ですらフォローに入ってくれるレベルじゃないか!


 ありがとう!!


「泣いちゃうほど純情なの?」


 ちょっと上目遣いで見てくるカミラ殿下がお美しいです!!


 ……いや、あの、俺の社会的寿命の残り時間はどれくらいでしょうか。


「恐れながら、本日はエレオノーレ殿下の随行として参っておりますので」


「つまり、エレオノーレが許せば空いている?」


 あ、ミスった、俺?


「……そのとおりです」


 詰んだ?


「じゃあ、エル。この子貸して?」


 助けて、エレオノーレ殿下!


「……カミラ姉様。それは、私の秘書官です」


 あ、庇ってはくれそうな雰囲気!


 ありがとうございます!


「そうね」


「必要なら、ご自身で官吏をお探しください」


「冷たいわねぇ。少し借りるくらい、いいじゃない」


「昔から姉様に貸したものが返ってきた覚えがありません」


「あら、言うようになったじゃない」


 カミラ殿下が艶やかに笑った。


 ジルベルト殿下も面白そうに笑っている。


 周囲の貴族たちはとても楽しそうに見ている。


 こいつら、娯楽に飢えすぎだろう。


 もっと歌とか踊りとか見ろ。


 楽団が一生懸命演奏しているぞ。


「まあ、今日は顔を見ただけでいいわ」


 カミラ殿下がとても楽しそうな顔で一歩だけ下がる。


 これは生き延びたのでは?


「ロビンくん」


「はい」


「エルに飽きたら、私のところへいらっしゃい」


「身に余るお言葉です」


「断り方も無難。いいわね」


 カミラ殿下が楽しそうに胸に手を当てる。


 仕草がいちいち絵になる。


 怖い。


「では、また今度。ジルベルト、あまりエルの玩具を壊さないように」


「玩具とはひどいな、カミラ姉さん。俺は可愛い妹に挨拶をしただけだ」


「あなたの挨拶は、だいたい迷惑なのよ」


「ははは、そこまでかな?」


「そこまでよ。エルも、たまには顔を出しなさい。あなたが出てこないと、つまらないもの」


「善処します」


「それ、出てこない人の返事よ」


「そうかもしれません」


「もう」


 カミラ殿下は最後まで楽しそうに笑い、貴族たちの輪の中へ戻っていった。


 玩具呼ばわりはともかく、壊すなと言ってくれるのは素直にありがたい。


 少なくとも命の危険度が下がる。


「ロビンくんも大変だね」


 ジルベルト殿下が妙に親しげに笑いかけてくるが、あなたも原因の一人です。


「身に余る光栄です」


「ふふ。まあ、頑張りなよ」


 軽く言って、ジルベルト殿下も両脇の女性たちを連れて去っていった。


 ……台風が二つ通り過ぎた。


 もう帰っていいですか。



 その後の夜会は、思っていたより何事もなく進んだ。


 いや、まあ最初の台風が強烈すぎたともいうけど。


「ロビン殿、とおっしゃいましたか」


「はい」


「第七皇女殿下付きの秘書官とか。ずいぶんと大変なお立場ですな」


「身に余る職責と存じます」


「ははは、謙遜を」


 謙遜ではなく事実である。


「今後とも、殿下をよろしくお願いしますぞ」


「微力ながら尽力いたします」


 こういう無難な返答を、次から次へと繰り返す。


 笑う。


 礼をする。


 余計なことは言わない。


 相手の胸元と袖と目線と指輪を見る。


 どこの家か。


 どれくらい金があるか。


 どの程度飲んでいるか。


 何を探りに来たのか。


 殿下が会話をしている時には、名簿の内容を思い出しながら相手の細かい情報を小声で伝える。


 父上も兄上も、王族とはつくづく面倒な仕事だと言っていた。


 全面的に賛成である。


 なのに俺は今、なぜか帝国で皇女と一緒に夜会に出ている。


 人生は本当に意味がわからない。


 ――ふと、楽団の曲が変わる。


 会場の空気が少し緩む。


 夜会が終盤に入った合図だ。


「殿下、そろそろ」


 エレオノーレ殿下が短く頷き、周囲へ別れの挨拶を済ませる。


 短い。


 だが、無礼ではない。


 むしろ、そういう人として受け入れられている。


 これも一つの技術なのだろう。


 会話を広げない技術。


 気配を消す技術。


 宮廷という戦場で、目立たず生きる技術。


 ……なのに、俺を連れてきたせいで今日は少し目立った気がする。


 すみません。


 俺のせいではないはずだが、なんかすみません。



 第七皇女宮に戻った時には、日付が変わりかけていた。


 廊下の魔導灯は昼間より柔らかく、侍従やメイドの姿も少ない。


 執務室の扉を開けると、リズが待っていた。


「お疲れ様です、二人とも」


 リズの声を聞いた瞬間、少しだけ安心してしまった。


 夜会に出ただけなのに、一週間分くらい働いた気がする。


「……リズ。付近に人は?」


 エレオノーレ殿下が、なにかを確認するようにリズに尋ねる。


「私とロビン。それから“わかっている”メイドが二人だけです」


 ん?


「周囲は?」


「確認済みです。盗み聞きの類いもありません」


 え?


「そう」


 ほんの短い間。


 何かを迷うような、確認するような沈黙。


 殿下がこちらをチラリと見て、ゆっくりと息を吐いた。


「……なら、もういいわね」


 え、なにが『もういい』んです?


 “わかっている”ってことは“わかってない”側があるのでは?


 ちょっと!?俺は、“わかってない”側ですよ!?

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