第6話 亡国の王子、夜会に出る。
「あなた、今夜の夜会に出なさい」
……は?
エレオノーレ殿下の一言に俺は朝から固まらざるを得なかった。
「……もう一度お聞きしてもよろしいでしょうか」
「今夜の夜会、出席しなさい」
うん、聞き間違いじゃなかった。
昨日飲みすぎたせいかと思った。
――よし。
落ち着け。
相手は皇族。
俺は下級官吏。
ここで「嫌です」と言えば、たぶん空気が死ぬ。
場合によっては俺も死ぬ。
「恐れながら、殿下。服がございません」
完璧な返答だった。
自分の頭の回転を褒めたい。
夜会には礼服が必要だ。
一方で、昨日まで無職だった俺が礼服など持っているはずがない。
つまり、出席は不可能。
勝った。
「リズ」
「はい、これ礼服。サイズが自動調節される魔術かかってるから安心して」
逃げ道、塞がれた。
「逃げ道がない!!」
用意周到すぎる!
たぶん俺が「服がない」と言うことまで読まれていた。
「あると思ってたの?」
「少しくらいは!」
「正直なのは好きよ」
美人メイドに好きと言われても嬉しくない場面がある。
今、まさにそれだ。
「あの、なぜ私を?」
「秘書官だから」
せめてもの抵抗で殿下に聞いてみるが、こちらを見ることすらなく、即答される。
「私は昨日配属されたばかりの新人です。夜会に同行させるには時期尚早かと」
「その意見はもっともね」
「では」
「でも出なさい」
「なぜ!?」
思わず声が上ずってしまった。
失礼に当たってしまったかもしれないが、視界の端でリズが楽しそうに笑っている。
助けてよ。
「……………カミラ姉様のリクエストよ」
終わった。
エレオノーレ殿下が微妙に言いづらそうに言った理由は、終わりの宣言であった。
殿下が言うカミラ姉様とは、第二皇女殿下である。
ちなみに、ライヘンバッハ帝国では、皇帝の子は男女に関係なく生まれた順で第一、第二と呼ばれ、そのまま継承順位にも反映される。
つまり、一番目に生まれた皇族が男なら第一皇子、女なら第一皇女、と呼ばれる。
即ち――カミラ殿下とは皇位継承権第二位の存在であり、逆らったら死ぬ存在だ。
「あの、なぜ一秘書官ごときの同行をリクエストなさるんですか?」
「……若い男性を雇うと、毎回リクエストされるのよ」
あ、はい、そういうことですね。
噂は聞いている。
怖い。
お会いする前から怖い。
「……夜勤手当は出すわ」
「ありがとうございます」
せめてもの救いだ。
「リズ」
「はい、殿下」
「夜会の出席者一覧を」
「こちらに」
やはり用意されていた。
チクショウ、初めから逃げ道なんてなかったんだ。
「目を通しておいて」
「かしこまりました」
俺は書類を受け取る。
夜会の出席者名簿。
爵位。
所属派閥。
直近の接触記録。
家族構成。
借金の有無。
……借金の有無?
「リズ」
「何?」
「この名簿、情報量おかしくない?」
「必要最低限よ」
「最低限とは」
「夜会で話しかけられた相手が、何の目的で来たのか判断するために必要な情報」
「怖い」
夜会ってそういう場所だったなぁ。
昨日の酒場が恋しい。
なぜ俺は平和な酒場から、皇族の夜会に飛ばされているのか。
人生、温度差が激しい。
◇
夕方になり、礼服に着替える。
「……うわ」
袖を通した瞬間、布がわずかに動いた。
肩幅。
袖丈。
腰回り。
裾の長さ。
すべてが勝手に調整されていく。
怖い。
いや、魔術としては高度だが、仕組みはわかる。
対象者の体型を計測し、布地に織り込まれた術式が微調整するのだろう。
ただ、わかることと気味が悪くないことは別である。
袖の長さ、肩の幅、すべてが計ったようにフィットしている。
さすが技術先進国。
普通に感心する。
「あら、いいじゃない」
扉の隙間から覗き込んでいたリズが、満足げに頷いた。
「当然のように覗かないでくれる?」
「殿下も気に入ると思うわ」
「気に入るとか気に入らないとか、そういう問題じゃなくない?」
「あら、重要よ。今夜のあなたは殿下の付属品なんだから」
「ついに人として扱われなくなった」
「秘書官は備品よ」
なんて職場だ。
◇
夜会の会場は、皇城の西翼にある大広間だった。
高い天井。
巨大なシャンデリア。
壁に飾られた歴代皇帝の肖像画。
楽団の音色。
絹の衣擦れ。
香水の匂い。
酒杯の触れ合う音。
笑い声。
その全部が、懐かしくて、吐き気がするほど面倒くさい。
夜会は剣を持たずに笑顔で戦争する場所。
その戦場を歩くエレオノーレ殿下は、淡い色のドレスを纏っている。
装飾は上品で、派手すぎない。
髪もいつもより整っている。
ただ立っているだけで絵になる。
綺麗だな、と、率直に思った。
それを口に出すほど命知らずではないが。
「エレオノーレ殿下、ご機嫌麗しゅう」
「本日はお姿を拝見できて光栄です」
貴族たちが次々と声をかけてくる。
殿下は最低限の返礼だけを返す。
「ええ」
「ありがとう」
「そう」
短い。
とても短い。
だが、無礼ではない。
相手も慣れているのか、それ以上踏み込まない。
なるほど。
会話を広げない。
存在感を薄くする。
周囲に「この人と話しても意味がない」と思わせる。
地味だが、宮廷で生きる技術としてはありだ。
――だが、相手がそれを尊重してくれるかは別の話だ。
「おやおや」
その声が聞こえた瞬間、周囲の空気が少しだけ変わった。
軽い声。
けれど、周囲が一斉に道を空ける。
「エルじゃないか」
自然に割れた人の輪の向こうから現れたのは、銀髪碧眼の美青年だった。
エレオノーレ殿下と同じ、皇族の証。
緩く結ばれた髪。
整った顔立ち。
人好きのする笑み。
そして、両脇に華やかな女性たち。
なるほど。
たぶんこの人が。
「ジルベルト兄様」
エレオノーレ殿下が短く答える。
ジルベルト・フォン・ライヘンバッハ第六皇子殿下。
「聞いたよ。新しい秘書官を入れたんだって?」
「ええ」
「へえ」
ジルベルト殿下の視線が、すっとこちらへ滑ってくる。
値踏みするというより、暇つぶしの玩具を見つけたような目だ。
「君か」
「ロビンと申します」
礼法通り、余計なことは言わない。
「ロビン。ふうん、覚えやすい名前だ」
「恐れ入ります」
「どこの出だ?」
「戦火で家を失った身です。教会に身元を保証していただいております」
「ふうん、身寄りなし」
「はい」
「困った。そうなると、弱みを見つけるのが大変そうだな」
周囲から小さな笑いが漏れた。
うん。
このやり取りは、たぶん普通に見世物なのだ。
これが夜会。
これが皇族。
帰りたい。
「ははは、冗談だ。エルのところは退屈だろう?退屈したら、いつでも俺のところに来るといい」
「お気遣い、痛み入ります」
うわぁ。
この人、面倒くさい。
本人は軽口のつもりかもしれない。
だが、周囲は皇子の言葉として受け取る。
軽い石を投げたつもりでも、投げた人間が皇子なら、当たった方は骨が折れる。
一方で、エレオノーレ殿下は動かない。
表情も変えない。
当然だ。
こういう時は、怒ってはいけない。
昔、教師が言っていた。
怒っていいのは、勝てる時だけだ。
正しい。
けど、誰か助けて、と思ったところに――
「ちょっと、ジルベルト、エル。私を差し置いて楽しそうなことしてるじゃない?」
少し離れたところから艶のある声が滑り込んできた。
もうちょっと優しい助けが欲しかったとか思っても許されるだろうか?




