第5話 亡国の王子、晩御飯を食べる。
「いらっしゃいませ~」
扉を開けた瞬間、間延びした声が出迎えてくれた。
ふわふわした茶色い癖毛の女給さんがたくさんの杯を持ちながら立っている。
歳は俺より少し下くらいだろうか。
あと、すごい。
胸が。
すごい。
人類の夢が詰まっている。
「お一人様ですか~?」
「あ、はい。一人です」
「は~い、こちらどうぞ~」
“麦穂亭”
思っていたより普通の酒場だった。
リズがおすすめしてくる店なら、もう少し格式高い感じを想像していた。
「ご注文は~?」
「おすすめは何ですか?」
「えへへ~、今日は鳥の丸焼きとスープが美味しいですよ~。あとはエール冷えてますよ~?」
女給さんがにこにこしながらメニューを指差してくれる。
名札には『アンナ』と書いてある。
……名札が胸で押し上げられているけど。
「じゃあそれ全部ください」
「は~い、かしこまりました~」
アンナちゃんがふわふわと去っていく。
すごく、いい。
なんかもう、見ているだけで一日の疲れが溶けていく気がする。
これが噂に聞く「癒し」というやつか。
さすが帝都、文化レベルが高い。
「おいおいおい、早くもアンナちゃんに惚れちゃったか~」
「ここに来た客は全員惚れるから気をつけろよ~」
横から声が飛んできた。
見ると、隣のテーブルにいた二人の男が、片手に杯を持ったままこちらをからかっている。
うーん、いい。
庶民っぽくてすごくいい!
一人は、年は結構上だろうか。顔立ちは整っているのに全体から漂う空気がものすごく駄目な大人だ。
もう一人は、短く切った髪に妙に人懐っこい笑みの若い男。腰に剣を下げているから騎士かな。
「まあ、惚れても仕方ない可愛さと癒しでは?」
「はははっ!兄ちゃん、素直だな!」
「いいね!楽しそうな兄ちゃんだ!」
男たちは愉快そうに笑ってくれる。
「マーリンさんとケイさん、また初めてのお客さんに絡んでるんですか~?」
アンナちゃんが、エールの入った木杯を持って戻ってきてくれた。
「はい、エールです~」
「ありがとうございます」
「私はアンナです~。何かあったら呼んでくださいね~」
「ロビンです」
「ロビンさんですね~。覚えました~」
覚えられた。
嬉しい。
単純かもしれないが、嬉しいものは嬉しい。
マーリンと呼ばれた男が、こちらを見る。
「ロビン、ね。俺はマーリン。こっちはケイだ」
「ご飯美味しかったら、この店によく通うつもりなのでよろしくお願いします」
「おいおい、もっと緩くいこうぜ、ロビン!」
ケイと呼ばれた男が人懐っこく声をかけてくれる。
……うん、まあ、そうだな。
「わかったよ、マーリン、ケイ」
「よっしゃ、新たな常連に乾杯だ!」
「「乾杯!!」」
ゴクゴクゴク。
「「「アンナちゃんお代わり!」」」
この二人も酒つえぇな?
◇
「で、ロビンは官吏か?」
マーリンが楽しそーな顔でこちらを指さしてくる。
な、なぜわかった!?
「わかる?」
「服が新しい。手にインクがついてる。商人にしては荷物がない。皇城勤めの新人文官あたりだろ」
「……」
うわぁ。
この人、駄目な大人に見えて観察眼が鋭い。
いや、世の中には、能力があるのに生活が駄目な人間がいる。
たぶん目の前のこれがそうだ。
「わかった!アレだろ?今日第七皇女殿下が雇ったって噂の新しい秘書官ってお前か!?」
ケイが楽しそうに乗ってくるが、え、そんなに噂になってるの?
「……正解」
「え、マジ?」
「え、なんか逆にごめん」
適当だったのかよ!?
「いや、いいけどさ。どんな噂?」
気になるじゃないか。
「城の噂ならケイに聞いたら全部知ってるぞ」
マーリンが楽しそうにくつくつ笑いながら言う。
あー、そういうやつね。わかった。
「本人に言うこっちゃねぇけど、第七皇女殿下のとこの秘書官ってコロコロ辞めるから、新人が入ると何日で辞めるかだいたい賭けが始まるんだよ」
そんなに辞めるんかい!
「お労しい話だな、ロビン」
「マーリンもそう思う?」
「俺は一週間に賭けたから当たったら奢ってやる」
「おい」
「ちなみに私は一か月だからがんばってね、ロビンさ~ん」
通りすがりにアンナちゃんまで参戦していく。
「俺は二週間!」
「僕は一日だよ!」
「俺様は十日だ!」
この店、味方がいねぇ!
「ちなみに俺は三日に賭けたからよろしくな、ロビン!」
目の前でケイがすげぇいい笑顔で言ってきやがる。
「ケイ、その賭けに俺も参加させろ」
「本人の参加はさすがにルール違反だろ!」
マーリンとケイが大笑いしながらエールを煽る。
チクショウ、見てろよ、こいつら。
「まあ、皇城勤めは面倒だよなー」
マーリンが杯を揺らしながら言う。
「俺もたまに行くけど、空気が固い」
「へえ、マーリンが入っても追い出されないの?」
「仕事でな」
「何してんの?」
「魔術関係の雑用」
なるほど。
言われてみれば、マーリンの指先には細い魔力の癖がある。
よく見ると、めちゃくちゃ制御が上手い。
少なくとも、ただの街角魔術師ではない。
……。
普通の下級官吏は初対面の相手の魔力制御を観察しない。
俺は何も見ていない。
「ケイも城勤め?」
誤魔化すようにケイに視線を向ける。
「俺?騎士団」
「ああ、やっぱり」
「やっぱり?」
「いや、城勤めで剣持ってりゃ、騎士でしょ」
「あははは、そりゃそうか!」
ケイは……たぶん、かなり強い。
「ま、もし暴漢に襲われたら大声上げな。酒のよしみで聞こえる範囲内にいたら助けてやる」
あ、やっぱり襲われる前提なの?
チクショウ。
エールを飲み干す。
飲まないとやってられん。
「ロビンさん、おかわりどうします~?」
すかさずアンナちゃんが近づいてきてくれる。
「じゃあ、エールをもう一杯と……ケイ、おすすめのツマミある?」
「お、いいね。アンナちゃん、煮込み三人分!」
「は~い、じゃあ、ロビンさんのだけ少しだけ多めにいれてあげますね~」
「ありがとう」
「ふふ、初出勤祝いで~す」
優しい。
ここは良い店だ。
鳥の丸焼きも美味しかった。
とても良い。
「アンナちゃん、俺のエールも多めに」
「マーリンさんはもう飲みすぎです~」
「まだ水みたいなもんだ」
「水を飲んでください~」
「厳しい」
「日頃の行いですね~」
アンナちゃんがマーリンを適当にかわしながら、くるくる他のテーブルに向かっていく。
癒やしだ。
癒やしがここにある。
目の前でケイが笑いながら杯を掲げる。
「まあ、ロビンがとりあえず初日を生き抜いたことに」
「賭けてる奴ら、全員外れたら俺に奢れよ?」
「おお、最長で賭けてるやつが大穴で一年だ!」
「それを超えたら酒場の全員で奢ってやる!」
「昼行燈と噂の第七皇女宮に!」
「仕事が暇そうで羨ましいロビンに!」
「美人のメイドさんがいると噂の職場に!!」
「ロビンががんばってはたらくことに」
「乾杯!!!」
酒場全体の盛り上がりに合わせて、マーリンとケイと杯を打ち合わせる。
誰かと一緒に飲む酒は、宿で一人で飲む酒より美味い。
そして、たぶんこの光景が、俺が求めていた“平穏な生活”の一部なんだろう。
なんだか少し、目頭が熱くなりかけたが、きっとエールのせいだ。
……にしても、本当にこの国、噂が自由過ぎない?不敬罪とか大丈夫?




