第4話 亡国の王子、勤務する。
深呼吸。
さて。
やるか。
仕事は好きではない。
ていうか好きな奴はおかしいと俺は思っている。
だが、できないわけではない。
幼少期から「王子たるものこれくらいできて当然です」と言われ、泣きながら分厚い報告書を読まされた俺だ。
子どもにやらせることじゃない。
思い出したら腹立ってきた。
なお、その知識を帝国の下級官吏として活用する日が来るとは、当時の教師も思っていなかっただろう。
先生。
すみません。
俺、今、帝国皇女の秘書官として働いてます。
人生ってすごいですね。
書類の山を前に、まずざっと外側を見る。
日付。
差出部署。
決裁印の位置。
封蝋の有無。
文面の癖。
使われている敬称。
文書というものは、内容を全部読まなくても、外側だけでかなりわかる。
緊急を装った催促。
重要そうに見えるだけの定例報告。
明らかに他部署が押し付けてきた面倒事。
そして、たまに混ざる地雷。
やめろ。
……だが、紙の山には意外と本音が滲む。
例えば、第七皇女宮は予算を削られているという事実。
人員も少ない。
備品の補充は遅い。
警備計画は最低限。
あちこちから少しずつ「第七皇女なら文句を言わないだろう」と削られている感じだ。
なるほど。
舐められているわけか。
「エレオノーレ殿下」
「何?」
暫く仕事をしたのち、書類を持って近づくと殿下がペンを止めずに返事をした。
おお、普通に仕事している。
いや、当然と言えば当然なのだが、前評判のせいで妙に感心してしまう。
「こちら、ご確認をお願い致します」
持っていったのは二枚の書類。
殿下が視線を上げる。
その隣からリズも覗き込んできた。
「一枚目は備品費の増額申請に見えますが、実際には人員増の要求です。通すと後で面倒になります」
「……」
「二枚目は警備配置です。人員自体は足りていますが、通用扉の配置が薄いです。結果として、毎日特定の時間だけ警備交代が三分ほど空いています」
「三分」
「はい。たかが三分ですが、慣れた者なら十分です」
何に十分かは言わない。
言わなくていい。
俺は一般人。
暗殺や潜入の話なんてわかりません。
「……リズ」
「はい。確認します」
リズの目は、先ほどまでのからかうようなものではなく、完全に仕事人のそれだった。
怖いタイプの同僚だ。
でも有能なのは助かる。
有能な同僚は神である。
こっちの仕事を増やしてこなければ。
「他は?」
「こちらが殿下の決裁が必要なもの。こちらがリズに確認してもらいたいもの。こちらは捨てていいと思われる文書です」
「捨てていい理由は?」
「同じ内容の要望書が三通あります。差出人の名は違いますが、筆跡と句読点の癖が同じです。たぶん一人が複数人を装って出しています」
「内容は?」
「殿下に新しい庭園を作ってほしいそうです」
「捨てて」
「はい」
哀れな庭園は捨てられた。
紙の上で。
「……他は?」
「終わりです」
殿下とリズが、俺の座っていた机に目を向ける。
やめて。
見ないで。
机の上は平べったくしたけど、横と後ろには書類が未だ山となってるの。
「……終わったの?」
「今日中の分は」
「……早くない?」
「分類だけですので」
「普通、分類だけでももう少しかかるわ」
「ありがとうございます?」
褒められたのか、警戒されたのか、判断に困る。
たぶん両方だ。
やばい。
また基準を間違えたかもしれない。
だが、少なくとも、兄上はもっと早かった。
父上はさらに早かった。
あの人たちは紙を見た瞬間に「これは捨てろ」と言っていた。
怖い。
王族やめて本当によかった。
「あなた」
「はい」
エレオノーレ殿下が、こちらを見る。
表情は薄い。
けれど、ほんの少しだけ、何かを測るような目だった。
「本当に平穏に暮らしたいの?」
「はい」
「その能力で?」
「普通です」
「……そう。普通の範囲を広げすぎると、普通という言葉が泣くわよ」
普通、泣かないでくれ。
俺はお前と共に生きたい。
「……今日のところは帰っていいわよ」
「本当ですか?」
自分でも分かるくらい声が明るくなった。
殿下が納得したのか、していないのかはわからない。
ただ、少なくとも「この新人は便利そう」とは思われた気がする。
「もうすぐ定時だしね」
言われて、窓を見る。
外は少し赤くなり始めていた。
え、もう?
書類を見ていると時間の感覚がなくなる。
恐ろしい。
書類とは魔物である。
しかも倒しても経験値が入らない。
「いいんですか?」
「ええ。初日から倒れられても困るわ」
「お気遣いありがとうございます」
「明日からはもう少し仕事増やすわね」
つらい。
初日だけ配布される新入職員向け気遣いだった。
「ご飯食べて帰るならおすすめ教えてあげよっか?」
苦笑しながら横からリズが言ってくれる。
「あ、それは是非」
素直に嬉しい情報だ。
そうそう、新しい職場の初日の会話ってそういうものじゃん!
「“麦穂亭”ってとこが美味しいわ。地図書いたげる」
「ありがと」
◇
「では、失礼いたします」
廊下に出た瞬間、肩から力が抜けた。
皇城の廊下は広い。
無駄に広い。
いや、皇族が住み、官吏が働き、兵士が巡回する場所なのだから、必要な広さなのだろう。
廊下を歩き、階段を降り、門を抜けると、帝都の空気が少しだけ軽く感じた。
馬車が行き交う。
商人が声を張る。
子どもが走る。
どこかの屋台から、焼いた肉の匂いが漂ってくる。
夕方の風が心地よい。
あー、疲れたなぁ。
でも、悪くない疲れだ。
ちゃんと働いて、ちゃんと評価されて、ちゃんと定時に帰る。
これ、けっこう平穏な生活に近いんじゃないか?
背伸びをぐっとすると、腹が鳴った。
よし。
「さ、リズおすすめの晩飯を確認してみるか」
まずは晩御飯だ。
美味しくて安いお店だといいなー。




