第73話 亡国の王子、皇帝に会う。
「……長いですね」
「まだ十分くらいよ」
「十分もです」
「短いでしょう」
俺には長いんです。
皇帝私室前。
先にカミラ殿下と秘書官が入っており、俺とエレオノーレ殿下が前室で待たされているところである。
なんで俺、帝国皇帝の私室前にいるんだろう。
ちなみにこの十分間で、心の中では三回くらい逃亡計画を立てたけど、皇城の門を出る前に捕まるという結論が出た。
帝国怖い。
「――失礼します」
私室の扉が開き、カミラ殿下が出てきた。
その後ろから、先日の交流会でご一緒した秘書官も出てくる。
表情は崩れていないが、なんとなく魂が抜けている。
同志よ。
またみんなで飲みに行きましょうね。
「次は、エレオノーレ第七皇女殿下。ご入室ください」
私室から最後に出てきた老侍従さんが、静かに告げる。
帰りたい。
だって、この老侍従さん絶対強い。
ローラントと同じ気配するもん。
「……はい」
殿下が一歩踏み出して、その後ろに俺が着いた瞬間。
「エル」
カミラ殿下が、こっそりと近づいてきて、耳打ちするように囁く。
「バレてるかは微妙だと思うわ。頼むわよ」
「……」
エレオノーレ殿下は小さく頷くだけで答えた。
……うん、カミラ殿下の声は素敵ですね!
それ以上考えたくない!
「では、こちらへ」
老侍従に案内され、殿下の後ろから扉を抜ける。
ああ、この先にいるのがヘレナさんやアンナちゃんだったらどれだけよかったか!
◇
皇帝の私室は、思っていたよりずっと質素だった。
豪華な装飾はあるが、必要最低限。
大きな窓から差し込む光が、寝台の上で身体を起こしている人物を静かに照らしている。
銀髪碧眼。
顔色も悪く、痩せ細っているように見えるが、それでも目には強い光がある。
――こいつが。
数多の国を滅ぼし、帝国の版図を過去最大にしつつも大きな反乱を起こさせていない戦争と内政の怪物。
世界最強の帝国を、世界最強たらしめた男。
レオンハルト・フォン・ライヘンバッハ。
ライヘンバッハ帝国の皇帝か。
「エレオノーレか」
低い声が、部屋に響いた。
その瞬間――病人に見えなくなった。
怖っ。
なんだ、この圧。
「お呼びにより参上いたしました。お父様」
エレオノーレ殿下が、完璧な礼をする。
俺も、殿下の半歩後ろで頭を下げた。
「うむ。座れ」
「失礼いたします」
エレオノーレ殿下が皇帝陛下の正面に用意された椅子へ座る。
俺はその後方。
秘書官ですからね。
後ろで黙って立っているのが仕事です。
「お加減はいかがですか」
「見てのとおりだ」
殿下の言葉に皇帝陛下が口元を歪める。
「お前が心配するようなことではない」
「そういうわけには」
「よい」
短く遮られ、会話が途切れる。
そこで遮るなら何しに呼んだんですかねぇ!?
「最近、エレオノーレは忙しくしているようだな」
「私が、ですか?」
「例えば、ジルベルトが少し真面目になったらしいな」
「……そうなのですか?」
「知らんのか」
「存じ上げませんでした」
エレオノーレ殿下の無表情すげー。
頑張ってください!
「ドロテアの監査も乗り切ったと聞く」
「未熟な部分については、ドロテア姉様に今後もご指導頂ける約束になってますので」
「ふん」
ドロシーさん助けて!
貴女のお父様怖いです!
「グスタフには秘書官を殴らせたらしいな」
俺!?
皇帝陛下まで知ってるの!?
「……私が殴らせたわけではありません」
「先日呼んだグスタフが楽しそうに『エルのところの細いのは根性があった!』と話しておったぞ」
「ご迷惑をおかけしたのであれば申し訳ありません」
「別に構わん。久しぶりにあやつが楽しそうだった」
グスタフ殿下!?
マジで余計なこと言わないでください!
「カミラとは何やら企んでおるようではないか」
「……情報がお早いですね」
「儂の城だぞ?」
「失礼いたしました」
そうだよね。
皇城なんだから皇帝陛下が一番情報持っててもおかしくないよね。
「エレオノーレ」
「はい」
「以前のお前は、もう少し大人しかった」
「今も大人しいつもりですが」
「そうか?」
「はい」
エレオノーレ殿下の表情は変わらない。
いつもの完璧な皇女の顔。
それを見た皇帝陛下が、ゆっくりと目を細めた。
「よく出来ておる」
「……」
皇帝陛下とエレオノーレ殿下の視線が交わる。
……。
うわぁ……。
「だが」
皇帝陛下の圧がさらに強くなる。
「最近のお前は、少々動きすぎだ」
「……」
空気が少しだけ重くなった。
「皇帝の座が欲しくなったか?」
――直球。
先日、殿下は「私が皇帝の座を狙うって言ったらどうする?」と言っていた。
さすがにその発言自体を知るわけではないだろうが、動きからそこまで推測したということか。
もしくは全員に聞いているのか。
「はい」
エレオノーレ殿下は、迷わなかった。
……あー、言っちゃった。
言っちゃったよー。
でも、俺も微力ながら邪魔しないように頑張るって言っちゃったしなー。
「そうか」
皇帝陛下が小さく頷く。
「驚かれないのですね」
「なぜ驚く?」
「私は第七皇女です」
「だからなんだ」
「皇位継承順位としては高くありません」
「順番など関係ない」
怖いことをさらっと言わないでください。
「……そうですか」
「兄弟全員に同じ質問をしたぞ。誰が何を言っていたか聞きたいか?」
「結構です」
「皆、好き勝手言いおったわ」
皇帝陛下が、口元を緩めた。
「子というものは、親の思い通りには育たんものだな」
「……申し訳ありません」
「褒めておる」
「そうでしたか」
「お前はカミラに似てきたか?」
「それは少し嫌です」
「そうか。カミラが聞いたら怒るぞ」
「聞こえない場所で申しましたので」
「なるほど。皇女として正しい」
正しいんだ。
皇女教育って怖いな。
「ただし」
皇帝陛下の目が、また鋭くなる。
「遊ぶなら最後まで遊べ」
「……はい」
「中途半端に盤へ手を出す者が、一番邪魔だ」
「肝に銘じておきます」
「ならばよい」
皇帝陛下が疲れたように長く息を吐く。
その様子だけを見ると、やはり相当良くないのだと見える。
老侍従さんがわずかに動いたが、皇帝陛下は手だけで制した。
「エレオノーレ」
「はい」
「お前だけ先に退室しろ」
――え?
「……え?」
「二度は言わん」
皇帝陛下の目が、俺へ向いた。
「秘書官は残れ」
エレオノーレ殿下が振り返る。
その瞳が揺れているように見えたけど。
揺れているのは俺かもしれなかった。




