第72話 亡国の王子、呼び出される。
「そろそろ第二皇女宮行ってきますね……」
朝から一時間かけて心の準備をした結果、ようやく立ち上がれた。
正確には、リズに「まだ行かないの?」と三回言われたからである。
昨日の俺、許さない。
ケーキと晩御飯は美味しかったけど、それはそれとして今日の俺に面倒ごとを丸投げするのはどうかと思う。
「生きて帰るのよ」
リズが楽しそうにひらひら手を振っている。
「縁起でもないこと言うな!」
「勧誘されても靡かないようにね」
「靡きませんよ!」
長椅子からエレオノーレ殿下が釘を刺してくるが、俺だってそこまで馬鹿じゃない。
別にカミラ殿下が嫌いなわけではない。
むしろ、話していて面白い人だとは思う。
思うんだけど。
「あの人、絶対昨日の夜に行かなかったこと弄ってきますよね?」
「弄るでしょうね」
「『あらぁ、夜這いに来てくれてもよかったのに』くらいは言うわね」
「やっぱり行きたくない!」
エレオノーレ殿下までリズと一緒になってからかってくる。
「仕事でしょ」
「仕事ですけど!」
仕事なら何でも耐えられると思うなよ!
下級官吏にも心はある!
「はぁ……じゃあ、行ってきま――」
ばたばた。
どたどた。
……ん?
廊下の向こうから、勢いのある足音が聞こえてくる。
しかも、速い。
チラッと見ると、エレオノーレ殿下が長椅子から執務机に瞬間移動している。
ってことは。
「エル!」
バァン!
扉が思いっきり開かれた。
「……カミラ姉様」
入ってきたのは、予想通りと言えば予想通りのカミラ殿下だった。
今日も赤いドレスが華やかで目のやり場に困る。
眼福ではあるが、扉と下級官吏には優しくない。
というか、これから会いに行こうとしてた人が来たんだけど、俺の一時間の心の準備は何だったの?
「昨日の件でしたら、今ちょうどこちらから――」
「それどころじゃないわよ!」
エレオノーレ殿下の言葉を、カミラ殿下がばっさり遮った。
は?
それどころじゃないってことは昨日の話より大事な何かが起きたってこと?
…………ヤダー!聞きたくない!!
「ほら!」
カミラ殿下が勢いよく後ろを振り返った。
「……」
そこには、ものすごく帰りたそうな顔をした文書係さんが立っていた。
かわいそう。
たぶん、カミラ殿下に引きずられるようにここまで来たんだろうな。
「……皇帝陛下より、エレオノーレ第七皇女殿下宛にお手紙です」
「……お父様から?」
エレオノーレ殿下とリズの表情が固まった。
皇帝陛下から直々の手紙。
それだけで、第七皇女宮の空気が一段重くなる。
俺は帰っていいですか?
カミラ殿下だけは、既に一周して諦めたような顔をしている。
「私のところにも来たわ」
カミラ殿下が、自分の手に持っていた封書をひらひらと振る。
「たぶん、中身はほとんど同じよ」
「……なるほど」
「では、私はこれで失礼いたします」
文書係がものすごく綺麗な一礼をして、逃げるような速さで退室した。
賢い。
俺も一緒に失礼したい。
「リズ」
「はい」
リズが封を確認し、エレオノーレ殿下へ渡す。
「本物です」
「そう」
エレオノーレ殿下が文書を受け取る。
そのまま封を切り、中身に目を通して――。
「……」
黙るのやめて。
何か言って。
せめて「面倒ね」くらい言って。
「……カミラ姉様が急いで来られた理由が、よく分かりました」
「でしょ?」
カミラ殿下が深くため息を吐いた。
「ねえ、エル」
「はい」
「お父様にバレてると思う?」
「……微妙なところかと」
「よねぇ」
エレオノーレ殿下が手紙を畳みながら答える。
「だからこそ、それを確かめるためということでは?」
「そのあたりかしらねぇ。はぁ、気が重いわ」
お二人が真面目な顔で話している。
俺にもわかるように言ってほしい。
いや、やっぱり言わないでほしい。
聞いたら逃げられなくなる気がする。
「ちなみに、完全に一緒?」
カミラ殿下が、自分の手紙をエレオノーレ殿下へ差し出す。
「見ても?」
「今更ね」
エレオノーレ殿下は受け取り、二通を並べて確認する。
「……一言一句同じですね」
「はぁ……」
カミラ殿下が本当に嫌そうに額を押さえた。
「ということは、うちは秘書官を選べるけど、エルのところはロビンくんで確定ね」
「そうですね」
は?
今なんて?
今、ものすごく嫌な単語が聞こえた気がするんですけど?
「私は先に戻って準備してから向かうわ」
「はい。私もすぐに向かいます」
「急ぎましょう」
「ええ」
カミラ殿下が踵を返す。
「ロビンくんも」
「え?」
カミラ殿下が、妙に慈愛に満ちた笑顔で俺を見る。
「頑張ってね」
「何をですか!?」
「じゃあね!」
「説明してくださいよ!?」
カミラ殿下は答えず、ひらひら手を振って、来た時と同じ勢いで執務室を出ていった。
バタン。
「……」
「……」
「……」
しばし沈黙。
俺とリズはゆっくりエレオノーレ殿下を見る。
「殿下」
「なに?」
「どんな手紙だったんですか?」
「見る?」
「見たくないですけど、見ないのも怖いです」
「じゃあ、はい。リズも一緒に読んでいいわよ」
エレオノーレ殿下が差し出した手紙をリズと一緒に読む。
読みたくないないなー。
だけど読まないともっと怖い。
えーと。
『第二皇女カミラ及び第七皇女エレオノーレは、至急、皇帝私室へ参上せよ。なお、各々秘書官を一名ずつ同行させること』
「「…………」」
思わず隣のリズと顔を見合わせてしまった。
気のせいかな?
『秘書官を一名ずつ』
……。
…………。
え?
「というわけよ」
「というわけ!?」
なんで!?
「がんばってね、ロビン」
リズがとてもいい笑顔で俺の肩をぽんと叩く。
「他人事!?」
「他人事だもの」
「言い切った!」
その笑顔は完全に送り出す側の笑顔だ!
「だって私はメイドだもの」
「今日だけ秘書官ってことにならない!?」
「ならないわね」
「なんでだよ!」
「そもそも、うちに秘書官一人しかいないでしょ」
エレオノーレ殿下が当然のように言う。
「第二皇女宮が羨ましい!!」
「あっちはあっちで誰を連れていくか揉めてそうね」
「贅沢な悩みですよ!」
選べるだけいいじゃん!
第七皇女宮には人材が足りない!
なんで俺一人なの!?
こういう時に選択肢がないじゃん!
……あれ、この状況って前任の三人を辞めさせたジルベルト殿下のせいでは?
「仕方ないでしょ。第二皇女宮よりお金ないんだから」
リズが肩をすくめて楽しそうに言う。
チクショウ!
俺の平穏はどこ行った!?
いや、まだ間に合う!
「今から早退してもいいですか!?」
「駄目」
エレオノーレ殿下がすでに諦めたような顔で俺の希望をぶった切る。
「即答!」
「皇帝陛下からの呼び出しよ?」
「体調不良ということで!」
「仮病は許さないわ」
殿下がクッションを抱えたまま、きっぱりと言った。
こういう時だけ上司の顔しないでください。
「叫んでないで早く準備しなよ、ロビン。ほら、上着」
リズがどこからか俺の上着を持ってきた。
用意が良すぎる。
「ネクタイも着けてあげる」
「着けたら逃げられなくならない?」
「そもそも逃げられないわよ」
着けられた。
襟元まで整えられた。
もう完全に出荷前の牛とかの気分である。
「ほら、行くわよ」
殿下も立ち上がる。
さっきまでクッションに沈んでいた生物が、一瞬で完璧な第七皇女へ戻った。
ずるい。
俺にはそんな変身機能ないんですよ。
「諦めなさい」
「嫌です!」
「ほら」
「待って!心の準備!」
第二皇女宮に行くのに、心の準備は一時間かかった。
皇帝の私室なら最低でも一週間くらいは準備させてほしい。
父上。
兄上。
帝国の皇帝に呼び出された下級官吏は、どうすればいいでしょうか。
王族教育で習った記憶がありません。
「リズ、留守番よろしく」
「いってらっさーい」
リズの見送りが軽い。
もっとこう、あるでしょ。
無事を願うとか。
せめて心配そうな顔をするとか。
「……リズ」
「なに?」
「生きて帰ってきたら、晩飯奢って」
「いいわよ」
「高いの頼んでもいい?」
「生きて帰ってきたらね」
「条件が不吉!」
今度、ケイとリズがデートしてたって麦穂亭で言いふらしてやる。




