第65話 亡国の王子、未来を聞かれる。
「そういえば、リズは今日お休みですか?」
第七皇女宮の執務室。
いつもなら、書類を捌きながら俺を酷使したり、エレオノーレ殿下へお茶を出したりするメイドの姿がない。
いや、エレオノーレ殿下はいつも通り長椅子でだらけているし、俺はいつも通り仕事をしているし、リズがいない日はこれが初めてってわけでもないんだけど。
「ええ、今日はお休みよ」
いつもどおり、長椅子を生息地にしているごろごろ皇族が、気の抜けた声で返事をする。
「へえ」
「……」
「……」
俺も休もうかな。
でもなあ、今日はリズの分の仕事もあるしなぁ。
「まあ、たまには休ませないとね」
「そうですね」
殿下の言うとおりで、リズは普段から働きすぎだと思う。
いや、俺も働かされすぎている気がするけど、あの人は俺を働かせながら自分も平然と三倍くらい働いている。
どうなってるんだ、あの長身黒髪美人メイド。
「ねえ」
「はい」
ふと、呼びかけられて顔を上げると、殿下がこちらを見ていた。
何だろう。
お菓子のお代わりだろうか。
机の引き出しには焼き菓子が入っているが、これは俺の分なので、できれば守りたい。
「もし、私が皇帝の座を狙うって言ったらどうする?」
違った。
お菓子とは比べ物にならないくらい重い話が飛んで来た。
「えーと……」
えー……皇帝かぁ。
ライヘンバッハ帝国のすべてを動かす者。
その言葉が、こんなにも気の抜けた長椅子の上から出てくるとは思わなかった。
昔なら、たぶん誰が帝位につくと、どの国がどう動くかみたいな話を父上や兄上に聞かされただろうけど。
今の俺の立場だと……
「仕事増えます?」
「そこなの?」
殿下が一瞬で半眼になった。
だって、第七皇女宮の仕事ですら、書類に殺されかけているのだ。
皇帝。
つまり、帝国最大の決裁印係。
怖い。
「いや、大事ですよ」
「大事だけど、もっと他にあるでしょ」
「他?」
他ねぇ……。
思っても言えないことの方が多いかな!
少なくともアルバートとしての感想を間違っても言うわけにいかないからね!
「『驚きました!』とか。『お支えします』とか。『ついに本気を出されるのですね』とか無いの?」
エレオノーレ殿下が不満そうに頬を膨らませた。
いや、かわいい顔をされても困る。
だって、正直に言うと、そこまで驚いてないし。
なぜ、昼行燈と呼ばれてる第七皇女宮にこれだけ仕事があるのか。
なぜ、ドロテア殿下にもジルベルト殿下にも「貸し」を作る形で物事を終わらせたか。
そういうことに想像を巡らせながら、色んな書類や空気を見てたら気付く。
……考えないようにしてたけどね!
「えーと……エレオノーレ殿下が本気でやりたくて、無理しないのであれば、いいんじゃないですか?」
「軽くない?」
「正直、実感がないというか」
王族教育も受けた。
国を動かす仕事の重さも、それなりには知っている。
でも、自分が王になりたいと思ったことは一度もない。
むしろ、そういうものから逃げたくて、今こうして下級官吏をやっているわけだしね。
帝国の大きさ考えれば、シャーウッドより仕事多いのも目に見えてるし。
「あ」
「何?」
「給料上がります?」
「……まあ、私が皇帝になったら上げてあげるけど」
「おお」
皇帝直属秘書官。
響きだけなら高給取りっぽい。
いや、下級官吏じゃなくなるのかな。
大陸の地図を書き換える書類とか持ってこられそう。
それは嫌だなぁ。
「もしかして、そうなったら今よりできる施策とか増えます?」
「まあ……帝国全土のことを考えることになるでしょうね」
「全土」
「税制も、軍も、外交も、開発も、地方統治も」
帝国全土。
そこには、かつてシャーウッド王国と呼ばれた土地も含まれる。
俺は、この五年間その土地がどうなってるかという情報から目を逸らして生きてきた。
怖かったからだ。
でも。
生きている人には生きていてほしい。
できれば、明日が今日より少しだけマシならいい。
それくらいの願いなら。
この人が皇帝になることで、少しは届くのだろうか。
問題は。
「仕事量ヤバそうですね」
「がんばって」
「さすがに無茶苦茶言わないでください!」
今でさえ、書類に圧し潰されそうになる日があるのだ。
これがこのまま皇帝になんてなられた日には、いくらなんでも無理です!
「えー、具体的にはどのくらい無理だと思う?」
「最低でも人事に詳しい人、財務に強い人、軍部に強い人、あとリズを増やす必要があります」
「リズは増えないわよ」
「でも増えないと回らないですよ」
「困ったわね」
困りましたね。
助けて、リズ。
「まあ、どっちにしても、これから今よりもっと面倒なことになるわ」
「でしょうね」
「あなたにも、面倒をかけると思う」
「今も十分かかってますよ」
「真面目に言ってるの」
「俺も割と真面目です」
第六皇子の不倫調査をして、第五皇女の監査を受けて、第三皇子に殴られた。
これ以上何があるというのか。
もう流石にないと思う。
まあ、それでも。
「微力ながら、邪魔しないようには頑張ります」
「……邪魔しないように?」
「応援しますって言ったら期待値上がりそうなので」
「もう上がったわ」
「下げてください」
「無理」
「理不尽」
殿下がクッションを抱えたままではあるが、笑顔になったので、まあ良しとしよう。
「あなたが逃げないなら、それでいいわよ」
「逃げませんよ」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんなの?」
「状況によります」
正体がバレたら、逃げないと死ぬので逃げます。
殿下の邪魔になるしね。
「そこは嘘でも逃げませんって言い切りなさいよ」
「皇帝を目指す人の隣で嘘はよくないかと」
「変なところだけ誠実ね」
褒められてるのか、呆れられてるのか分からない。
たぶん両方だ。
「あ」
そこで俺は、ふと気付いた。
「もしかして、リズが今日いないのって」
「普通に休みよ」
「あ、はい」
いや、なんかそのための裏方仕事でもしてるのかと深読みしてしまった。
ちょっと恥ずかしい。
「観劇に行くって言ってたわ」
「へえ?」
「ええ。新作の恋愛劇ですって」
ああ、見たいって言ってたやつか。
「一人で?」
「さあ」
「気になりません?」
「気になるけど、聞いたら負けな気がするじゃない」
「わかります」
絶対教えてくれないし。
変に聞くと、逆にこっちの話を掘られそうで怖い。
「まあ、そんなわけだから」
殿下がクッションに顔を埋め直す。
「今日はもう少しだけ、二人でだらだらする日よ」
「仕事は?」
「そこにあるわ」
「やらないんですか?」
「やりたくない」
「でしょうね」
「やって」
「二人でだらだらする日では?」
「私はだらだら担当」
「二人の定義がおかしい!」
結局、いつも通りだった。
でも、最後に一個だけ分けてくれた高そうなお菓子はとても甘かった。




