第61話 亡国の王子、決着を見る。
「私の、負けだ」
ローラントの声が、静かな演習場に落ちた。
石畳は砕け、あちこちに剣の跡が刻まれている。
そしてローラントは、壁際で倒れたまま、折れた剣の柄だけを握っていた。
正直、何が起きているのか俺にはほとんど分からなかった。
でも。
ローラントが負けたということが未だに信じられなかった。
「ふん!」
グスタフ殿下は、ローラントの首元に突きつけていた大剣を、ゆっくりと下ろした。
「見事だった!鍛え直してまた来い!」
「まだ戦う気か?」
「当然だろう!」
当然じゃないと思う。
というか、終わったんだったらローラント!怪我!
慌てて、観客席から演習場へ降りて近づく。
「大丈夫か?」
「骨は何本かいっているかもしれませんが、死にません」
「それは大丈夫の範囲じゃねぇんだわ!」
この世界、強い人間の大丈夫基準が壊れている。
大丈夫という言葉に謝ってほしい。
「正体は聞かん」
グスタフ殿下が、大剣を肩に担ぎ直しながら言った。
「約束だからな」
「ありがとうございます」
本当にこの人、約束に誠実だな。
木っ端下級官吏との口約束なんてどうとでもできる立場だろうに。
皇族とは思えん。
「だが、正体とは別に一つだけ聞いてもいいか!?」
聞かんって言った直後に聞くんですか。
約束とは。
「なんだ」
ローラントが、どうにか座り込みグスタフ殿下を見上げながら答える。
「五年前、どうして出てこなかった?」
質問を投げたグスタフ殿下の表情からは、笑みが消えていた。
――その質問が出てくるということは、つまり、この人はもうほとんどローラントの正体に勘付いているのだ。
「……」
「貴様がいたなら、俺が知らんはずがない。剣を交えれば絶対に分かる。なのに、いなかった」
グスタフ殿下が、真っ直ぐにローラントを見据える。
「なぜだ」
重い沈黙が流れる。
ローラントが、俺を確認するように窺うが……そうだな。
それでも「正体は聞かない」と言ってくれるこの人にはもう隠すだけ損だろうと思い、頷いて返す。
「……帝国側の謀略により、不在にしていた」
ローラントがあの時のことを思い返すように、静かに言った。
「王都を離れ、国境沿いの街で帝国の侵攻を知り、王都へ戻った時には……全てが終わっていた」
「……そうか」
グスタフ殿下が、本当に悔しそうな表情になる。
「それは、惜しいことをしたな」
その言葉に、ローラントが目を伏せた。
「私も、そう思う」
「……」
二人の間に沈黙が流れる。
俺なんかにはわからないけど。
この二人、五年前に戦っていたら、どうだったんだろうな。
「……貴殿の問いに答えた代わりに、一つ頼みがある」
ローラントが、改めてグスタフ殿下をしっかり見ながら、言う。
「なんだ、貴様ほどの強さの男の願いなら大半は叶えてやる!言え!!」
グスタフ殿下、簡単にそんなこと言っちゃダメですって。
だから、第三皇子宮の秘書官が疲れ果てた顔するんですよ。
「シャーウッド王国民の中に、貴殿へ挑みたい者がいる」
「俺に?」
「ええ」
「なぜだ?」
「王都を落としたのが、貴殿だからだ」
「なるほど!」
納得するのが早い。
「挑む機会を与え、殺さない程度にあしらってやってほしい」
……。
ローラント。
それを頼むためにグスタフ殿下の質問に答えたな?
交渉としては正しい。
お互い、すでに「今ここにいる騎士はシャーウッド王国の人間である」前提で話してるしな。
この状況にならないと言えなかった願いだ。
「……ふうん?」
グスタフ殿下が、興味なさそうに顎を撫でる。
「そいつら、暇なのか?」
暇て。
「……暇、という言葉で片付けるには酷だが、ばらつきはある」
「ふむ」
ローラントは、少しだけ言葉を選んでから続けた。
「だが、たしかに声高に叫ぶ者には職のない者が多い。日々の糧が安定せず、守るものを持てぬ者ほど、復讐に縋りやすい」
それは……わかる。
俺だって、ヘレナさんたちに助けられなければ、そちら側だった可能性は高い。
「なるほど!」
本当に分かりましたか、グスタフ殿下?
「つまり、体力が余ってるんだな!」
「今、そういう話してました!?」
思わず二人の会話に口を出してしまった。
「恨みも怒りも、体力が有り余っているから面倒な形で噴き出すのだ!」
それはそうかもしれない。
いや、そうなのか?
俺がおかしいのかもしれない。
「ならば簡単だ!」
グスタフ殿下は、割れた石畳の上で、心底楽しそうに笑った。
「毎朝走らせろ!飯を食わせろ!剣を握らせろ!倒れるまでしごけ!三か月もすれば、余計なことを考える暇はなくなる!」
「たしかに余計なこと考える体力は消えそうですね!?」
「ついでに使えるやつは兵にする!使えないやつは鍛えて使えるようにする!」
「選択肢が一つしかない!」
グスタフ殿下の中では、どうやら最終的に全員鍛えるらしい。
怖い。
「どうせうちの部隊じゃ街の喧嘩自慢やら、食い詰めた腕自慢やら、騎士団で扱いに困った馬鹿やらを拾って鍛え直しているからな!」
「第三皇子直属ってそんな採用方法なんですか!?」
「強ければ使う!弱ければ鍛える!それだけだ!」
「出身地とか経歴とかどうするんです?」
「帝国の飯を食うなら帝国の法を守れ。俺の部下になるなら俺の命令を守れ。それだけだ!」
「官僚制とは」
帝国は技術先進国で、官僚制も発達している。
そう聞いていたはずなんだけどなぁ。
「その代わり、負けた後でまだくだらん復讐に固執するようなら、叩き潰す」
「……」
「俺に挑むのは許す。俺に負けるのも許す。だが、負けた後も他の誰かを巻き込んで死に場所を探すなら、許さん」
その言葉は、思ったよりずっと重かった。
乱暴で、滅茶苦茶で、政治的に危なっかしいのに。
でも、たぶん。
この人は、この人なりに線を引いている。
「……そうか」
ローラントが、小さく息を吐いた。
「それは、ありがたい」
その声は、とても静かだったけど、俺には分かった。
たぶん、少しだけ力が抜けたのだ。
無謀なことをしていたかもしれない連中が、殴られて、走らされて、飯を食わされて、働かされることになる。
あまりにも雑だ。
けど、死ぬよりずっといい。
恨みを抱えたまま暗い部屋で武器を研ぐより、強い奴にぶっ飛ばされてブツブツ言いながら飯を食った方がたぶんまだマシだ。
そういう救い方も、あるのかもしれない。
「感謝する」
「礼はいらん!本当に強い奴と戦えたからな!」
グスタフ殿下は満足そうに笑って、それから俺の方を向いた。
「細いの」
「はい」
「貴様にも礼を言っておく」
「礼ですか?」
何のことだろう。
正直、もう貰いすぎなくらいグスタフ殿下には色々してもらってるんだが。
「おう!良い騎士と戦う機会を持ってきてくれた!」
ああ、嘘も遠慮もない。
この人にとっては、本当にそれが礼を言うべきことなのだろう。
「俺は満足した!」
それは何よりです。
俺の胃は結構削れましたけど。
「だから、一つ約束してやる!」
「約束?」
「ああ!」
グスタフ殿下は、大剣を地面に突き立て、胸を張る。
「俺は、お前の味方を一度だけしてやる!」
「……」
え。
今、何て?
「エルの秘書官としてではない!皇女宮の仕事でもない!誰かの命令でもない!」
グスタフ殿下が、俺を指さす。
「ロビンという男が、自分自身のために俺を頼るなら、一度だけ味方をしてやる!」
「そんな……」
ロビン個人。
それは、今の俺にとって、かなり重い言葉だった。
「……なぜ、わざわざ個人なんですか」
「今日この男を連れてきたのは貴様の独断だろう?」
「……はい」
「なら、この礼は貴様に返す!」
単純だ。
でも、だからこそ誤魔化しようがない。
「ただし!」
「はい」
「無茶は言うな!皇帝になれとか、国を滅ぼせとか、カミラの姉貴を止めろとかは無理だ!」
「カミラ殿下無理なんですね」
「あと、ドロテアもたぶん無理だし、エルに泣かれるのも無理だ!」
グスタフ殿下、結構無理なもの多くないです?
エレオノーレ殿下とドロシーさん、これ知ったらどんな顔するかな。
でも。
「……ありがとうございます」
俺は、深く頭を下げた。
この思いは、ありがたく受け取るべきだと思った。
「その約束、受け取ります」
「おう!」
「できれば、使わずに済む人生を送りたいですが」
「ガハハ!それは無理だな!」
「なんでですか!?」
「お前、面倒ごとに好かれているだろ!」
「嫌すぎる!」
やめて!
そういう不吉なことを言わないでください!
「まあいい!」
グスタフ殿下は、突き立てていた大剣を引き抜いた。
「今日は実に良い日だった!」
そう言って、満足げに演習場を見回す。
……ボロボロになった石畳。
そして、負傷者二名。
これを見て良い日と言えるのは、たぶんこの人くらいだ。
「……そうですね」
ローラントが、折れた剣の柄を見つめながら言った。
「悪くない日でした」
お前もかよ。
でも。
その声に、俺は少しだけ安心した。
ローラントの剣は折れた。
けれど、五年前に振るえなかった剣を届けることは出来た。
そして、無謀な襲撃に走りかけていた人たちに生きてもらうための道筋も見えた。
第三皇子グスタフ・フォン・ライヘンバッハ。
五年前、俺はこの人に殺されるかもしれなかった。
そんな相手に、今回は本当に助けられ、ロビン個人への手助けの約束まで貰ってしまった。
人生、本当に何があるか分からない。
……できれば使わずに済むような人生を送りたいんだけどな!




