第60話 亡国の騎士、剣を振るう。
「どうした!来ないのなら、こちらから行くぞ!」
大剣を構えた帝国の皇子が笑っている。
「お好きにどうぞ」
「ガハハ!いい返事だ!」
瞬間。
男が、地を蹴った。
速い。
初撃から、手加減の色は一切ない。
大剣とは思えない速度で振り下ろされる一撃を、半歩引いて躱すと足元から石畳が割れる音が響いた。
「ほう!」
目の前の表情は、良い遊び相手を見つけた子どものような顔だった。
――隙だらけだ。
「ふっ!」
首へ剣を走らせる。
「いい!」
大剣の柄が跳ね上がり、刃が弾かれた。
ほう?
感心する間すら惜しく、即座に手首を返し、軌道を変える。
首。
脇腹。
腿。
全て止められる。
大剣だというのに重さを感じさせない剣捌きだ。
「ハハハハハ!!」
大きな笑い声とともに、あり得ないほどの速度で振り回される大剣。
「っ!」
掠っただけで、身体が横へ流れる。
この男の剣は、後ろへ下がる相手を逃がさない。
力で押しているようで、相手の逃げ道を一つずつ潰している。
ならば。
「ふっ!」
一歩踏み込む。
大剣の内側へ。
最も危険だが、最も振り回しにくい距離。
なのに。
「いいぞ!」
身体を捌きながら、窮屈な間合いのまま大剣を振り下ろしてくる。
豪快なだけではない。
弛まぬ鍛錬と数多くの実戦を潜り抜けてきた者の剣技だ。
だが、このままならわずかに届く。
唸りをあげる大剣をいなし、剣を返す。
狙いは首。
その瞬間、視界の隅で大剣から片手が離れた。
拳。
来る。
剣筋が僅かに乱れ、男の首を浅く掻く。
同時に、男の拳が私の左脇に突き刺さる。
咄嗟に左腕を挟むが、鈍い音と共に骨が軋み、吹き飛ばされる。
体勢を整え、剣を突き立て無理やり体を止める。
左腕が痺れているが、折れてはいない。
なら、問題はない。
「普通なら今ので終わっているぞ!」
「それはこちらの台詞だ」
「それもそうだな!」
男の笑みが深くなる。
そこで笑うのか。
私も思わず、口元が緩むのを感じた。
嫌な男だ。
憎むべき帝国の皇子。
王都の門を破った者。
五年前に失ったものへの怒り。
間に合わなかった自分への怒り。
この男が王都の門を破ったという事実。
それは、消えない。
だというのに。
強い者として、見事だと思ってしまう。
「もっと来い!!」
「言われずとも」
ほぼ同時に地を蹴る。
斬り上げる、躱される。
大剣が迫る、受け流す。
突きが脇腹をかすめる。
蹴り、フェイント、横薙ぎ、防ぐ。
互いの身体を剣が何度もかすめ、血が流れる。
構わない。
どちらかが一手遅れれば終わる。
どちらかが一歩読み違えれば死にかねない。
剣を交えれば分かる。
この男は、卑怯な男ではない。
王都を落とした帝国の皇子。
それでも、この男自身は、正面から戦い、正面から勝ち、正面から笑う男だということくらい剣を交わせばわかる。
仇として憎むだけなら楽だった。
斬るべき悪であってくれたなら、どれほどよかったか。
だが、こういう男だからこそ、殿下は私の相手に選んだのだろう。
ギィィッン!
剣がぶつかり、鈍い音がして、距離を取り直す。
互いの息が荒い。
「貴様、名を名乗れぬと言ったな!」
「ええ」
「惜しい!」
「……そうだな」
「ならばせめて、その剣、忘れんぞ!」
「ええ、覚えていってください」
長引けば不利。
向こうも消耗しているが、この男の体力は尋常ではない。
こちらは走り込みが足りない。
……殿下に言えた義理ではなかったな。
なら。
――次で決める。
「行くぞ。これで、終わりにする」
「おお!来い!!」
地面を踏み砕く勢いで、跳んだ。
真正面。
ここまでで最速の一撃。
わずかに、驚いたような顔の男が見える。
だが、これが素直に入るような敵なら苦労はしない。
「ぬう!」
左から大剣が迫ってくる。
よく反応した。
部下なら褒めるところだが、今この場においてはそれが悪手。
――踏み込む。
全力で。
石畳が耐えきれず、砕けて宙に浮く。
その破片を。
空中で。
踏む。
「なっ!?」
男の目が。
何かに気付いたように見開かれた。
だが。
遅い。
跳ぶ。
もう一度、別の破片を踏んで、跳ぶ。
跳ぶ。
跳ぶ。
視界が回り、天と地が入れ替わる。
グスタフ・フォン・ライヘンバッハの背面、頭上の死角に、逆さに立つ。
この技を――王城の中庭で見せた時のことを思い出す。
あの日、王子たちが揃って「は?」と口を開けたのを、今でも覚えている。
アルバート殿下が風魔術で真似ようとして、何度も落ちたのを覚えている。
いつか、「まあまあです」と言ってやった時の、あの得意げな顔も。
殿下。
見てますか?
これが本気の技ですよ。
いつか使えるようになってくださいね。
王国最強の、正真正銘の必殺。
全身を一本の剣にする。
王の前で誓った忠誠。
守れなかった後悔。
捨てられなかった剣。
これまでの思い。
アルバート殿下が望んだ、生きてほしいという言葉。
持てる全てを一撃に。
――獲った。
「おおおっ!」
男が吼えた。
大剣の跳ね上げが一瞬早い。
本来なら遅れるはずの反応が、遅れなかった。
……ありえない。
真上の視界外からのこの技を、初見で。
人間の動きではない。
間に合うはずがない。
だが、間に合わせてくる。
ならば、私も止まらない。
王よ。
私は今こそ、剣を振ります。
「おおおおおおおおおおおおおっ!」
「はああああああああああああっ!」
刃がぶつかり、音が消えた。
――次の瞬間、私の剣が折れた。
王から賜った剣が。
五年間、私と共にあった剣が。
視界が、白く弾け、衝撃が剣を通して腕全体を貫く。
「がっ……!」
景色が回る。
地面が遠ざかる。
石畳に叩きつけられ、転がる。
一度。
二度。
三度。
背中が壁にぶつかって、ようやく止まった。
息ができない。
視界が揺れる。
手の中には、折れた剣の柄だけが残っている。
――ああ。
なるほど。
殿下。
この場を用意するために、この男と立ち会いましたね?
なんて危ないことをしたんですか。
後で説教です。
――そして。
あの技を使えたことを褒めてあげましょう。
重い足音が、近づいてくる。
大剣の切っ先が、ゆっくりと首元へ向けられる。
男は、荒く息を吐いていた。
身体のあちこちから血が滲んでいる。
だが、勝てなかった。
この男は、本当に強い。
五年前、私が王都にいれば。
何かが変わったのではないか。
五年間、何度も考えた。
考えて、考えて、考えて。
答えなど出なかった。
出るはずがなかった。
だが、今この瞬間の答えだけは出た。
私は、この男……帝国のグスタフ・フォン・ライヘンバッハ第三皇子に負けた。
そして、それを認めねばならない。
騎士として。
かつての王国最強の近衛騎士団長として。
「私の、負けだ」




