第58話 亡国の王子、怒られる。
「今、帰りましたー」
第七皇女宮の執務室。
できるだけ、いつも通りの声を出した。
できるだけ、何事もなかったように扉を開けた。
つまり、できることは全部やった。
「おかえりー、どうだっ……た……」
書類を整理していたリズが、顔を上げて――。
「っ、ふ……!」
噴いた。
「リズ?」
「ぶはははははははははは!!」
「笑うなよ!?」
耐えきれなかったらしいリズが机に手をついて爆笑し始めた。
美人メイドが台無しである。
「待って、ほんと無理……!」
「せめて心配して!?」
「ご、ごめん、でも……っ!」
リズがもう一度俺の顔を見る。
「ぶふっ!」
「二度見して笑うな!」
「あははは!だ、だって……腫れすぎて片目ちっちゃくなってる!」
「笑いすぎ!」
ちなみに、医務室で治癒魔術をかけてもらったので、痛み自体はかなり引いている。
診てくれた医官曰く、骨に異常はなく、腫れも数日で引くらしい。
つまり第三皇子宮基準では軽傷であるとのこと。
軽傷の概念が壊れる。
「だ、誰……?」
「ロビンだよ!!」
「本当に?」
「朝会っただろ!?」
「朝のロビンはもうちょっと左右対称だったわよ」
「俺だって好きで非対称になったんじゃねえよ!」
「ふ、ふふっ……!」
「まだ笑う!?」
リズはこういう時に容赦がない。
まあ、変に気を遣われるよりはマシか。
そんな風に、息を吐いていると――。
「……なにがあったの?」
背後から冷え切った声が聞こえた。
振り返ると、エレオノーレ殿下がゆっくりと身体を起こしているところだった。
いつもみたいにクッションに埋まってもいないし、お菓子も持っておらず、じっと、俺の顔を見ている。
「こ、転びました」
通らないかなー、通らないだろうなー!
「な、に、が、あ、っ、た、の?」
一音ずつ区切られた。
通らなかった、怖い。
助けて、リズ。
そう願いを込めて、横を見るが、リズはまだ肩を震わせてやがった。
役に立たねぇ!!
「ちょっと色々あってグスタフ殿下と模擬戦やってぶっ飛ばされました!」
今の殿下には誤魔化しても無駄だと思い、一息で素直に応えてみる。
「……グスタフ兄様と?」
「はい」
「ぶっ飛ばされた?」
「……はい」
「つまり、グスタフ兄様が、あなたの顔をそんなにしたの?」
「えっと」
先に攻撃したのは俺ですけど。
「したの?」
「まあ、最終的には」
「そう」
殿下が、ゆらり、と立ち上がった。
立ち方が怖い。
なんで長椅子から立ち上がるだけでこんなに怖いんですか。
「殿下?」
「グスタフ兄様、殺してくる」
「物騒すぎること言わないでください!?」
あなた皇族!
皇族が皇族を殺しに行くって言ってる!
聞かれたら大問題ですよ!?
「エル、殺すのはやめておいた方がいいわ」
そこで、ようやく息が整ったらしいリズが、涙を拭きながら口を挟んでくる。
助かった!
ありがとう、リズ!
「なんで」
「勝てないから」
「そこ!?」
止める理由を完全に間違えているよ!?
いや、間違ってはいないんだけど!
そもそもに兄弟で殺し合いしないでもらえる!?
「……勝てないわね」
「でしょう?」
「悔しい」
「悔しがるところですか!?」
冷静に悔しがらないでください。
あなたの兄上、帝国最強候補なんですよ。
「爆発系の魔導具を懐に仕込んで、すべてのプライドを捨て去って、『グスタフ兄様♡』って抱き着けばいけるかしら?」
「やらないでくださいね!?」
何を恐ろしい想定してるんですか!?
「……エル、それでも勝率三割ってところだと思うわ」
「リズも真剣に検討しない!」
「えー、だってグスタフ殿下ならその状況からでも回避するか耐えるかしそうじゃない?」
「……たしかに」
なんかそれで倒せるイメージ沸かんわ。
どうなってんだ、あの人。
「……座って」
怒り冷めやらぬ様子の殿下が、どすんと長椅子に座り直して、なぜか自分の隣をぼすぼす叩いている。
「殿下?」
「座って」
「あ、はい」
言われるがまま、長椅子の端に腰を下ろすと、殿下が隣からじっとこちらを見てくる。
距離が近い。
大丈夫?これ不敬じゃない?
「……」
いや、近すぎませんか。
銀色の髪が肩にかかっていて、いい匂いがして、青い瞳がすぐそこにあって……
「あの」
「動かないで」
「はい」
皇女命令なので動けない。
「私は、何か隠していることを聞かないと言ったわ」
「はい」
「でも、怪我して帰ってくる隠し事は嫌い」
「……すみません」
「嫌い」
「はい」
「とても嫌い」
「本当にすみません」
殿下が不満そうに唇を尖らせる。
怒っている。
「……痛くないの?」
「治療してもらったので、今はだいぶ」
「そう」
拗ねてもいる気がする。
ごめんなさい。
「殿下」
「なに」
「ちゃんと帰ってきました」
「顔が違う」
「中身は同じです」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんなの?」
たぶんロビンです。
「そもそも、怪我するなって言ったでしょ!?」
「努力しますとしか言ってません!」
「努力が足りない!」
「理不尽!」
グスタフ殿下相手に怪我しない努力ってなんですか!?
あの人の前に立った時点で努力の限界を超えてるんですよ!
あの人相手に努力でどうにかなると思ってるなら、それは殿下が悪い。
「じゃあ、グスタフ殿下宛に請求書送っておく?」
リズがさらっとわけのわからないことを言い出した。
「何の?」
「慰謝料?」
「それだけ?」
殿下が不満そうに言うけど、何が不満なんですか。
というかそもそも慰謝料請求しないでくださいよ。
「じゃあ、秘書官修繕費も請求しましょうか」
「採用。高額請求しましょ」
「待って!?」
何その費目!?
「俺、備品扱い!?」
「秘書官は備品って前にも言ったでしょ?」
「そろそろ人間に昇格させてもらってもいいかなぁ!?」
リズは明らかに楽しそうで、エレオノーレ殿下はすごく怒っている。
そして俺は顔が腫れている。
すごく腫れている。
……まあ、でも。
グスタフ殿下がだいぶ手加減してくれたんだろうなぁってことくらいはわかる。
昔、ローラントの奴、素手で石壁砕いたからな。いや、マジで。




