第41話 亡国の王子、惚けてみる
「アル――」
「はじめまして」
全力で被せた。
目の前にいる男が最後まで言い切る前に、できる限り爽やかな顔で言ってみた。
無理かなぁ。
無理だろうなぁ。
いや、反射的に惚けちゃったけど仕方ないじゃん。
相手はローラントだ。
シャーウッド王国近衛騎士団長であり、かつて俺と兄上に剣を教え、走り込みをさせた――俺の知る限り、最強の男。
そんな男が、なんで帝都の裏路地にいるんだよ。
よし。
知らない人ということで。
「……」
「……」
夜の裏路地に、沈黙が落ちる。
……お、いける?
いけちゃう?
五年も経ってるんだから、ワンチャンあるだろ?
「……はぁ」
ローラントが、深いため息を吐いた。
あ、これ知ってる。
俺が何かをやらかした時のため息だ。
昨日覚えた筈の技を忘れた時とか、朝の走り込みをサボった時とか、兄上の靴に蛙を入れた時とか。
「確かに、顔立ちも雰囲気もかなり変わっておられますね」
「……はじめまして?」
「疑問形はやめなさい」
「はじめまして!」
だいぶ苦しい気がしてきたが、諦めるにはまだ早い。
俺は五年間、この偽名で生きてきた男である。
教会でも、官吏試験でも、皇城でも、誰にもバレてないのだ!
ここでローラントさえ誤魔化せるのならば、もう俺の勝ちは確定だ!
「それでも惚けたいなら、いい加減歩き方を直しなさい」
「歩き方!?」
そこ!?
顔とか声じゃなくて!?
「はい。何度も注意しました。背筋は伸びているのに、右足の重心がわずかに浅い。左肩が不要に動く」
「怖い怖い怖い!」
なんでそんなところ見てるんだよ!
「明日からまた走り込みですね」
「今する話じゃないよな、それ!?」
もっと他に話すことあるよな!?
何年ぶりの再会だと思ってるんだ!?
もうちょっとこう、あるだろ!?
感動とか!
涙とか!
生きておられたのですね殿下とか!
「む、確かにここでする話ではありませんね」
そう言った瞬間、ローラントの空気が変わった。
素早く周囲を確認するその動きにつられて、俺も辺りを見る。
夜の裏路地。
近くの樽の上に猫が一匹。
向こうの大通りから人の足音。
どこか遠くの酒場から笑い声。
風が何かを揺らす音。
……特に人影や気配はない、と思う。
ローラントが見落としているなら、俺に見つけられるとも思えないし。
猫、お前は普通の猫だよな?
「積もる話は別の場所でよろしいですかな?」
聞きたいことなら山ほどある。
でも、こんなところでする話ではない。
「なら、明日十八時に……南区のベーカー通りの公園、分かる?」
「はい。では、そこで」
短い返事とともにローラントが背を翻して歩き出す。
……俺が行かない可能性とか考えないのかな、この人。
「あのさ」
気付けば、声をかけていた。
「はい?」
「……」
振り返った顔は、やっぱり少し老けたように感じる。
苦労したんだろう。
言いたいことはいっぱいある。
聞きたいこともいっぱいある。
でも。
「生きててくれてありがとう」
「……」
ローラントの目が僅かに開く。
俺自身、言ってから少し驚いた。
もっと、子どもみたいな恨み言が出ると思っていた。
なんで助けに来てくれなかったんだ、とか。
でも。
口から出たのはそんな言葉だった。
「…………あなたこそ」
ローラントの声が少しだけ掠れた。
「本当に」
「……うん」
「生きていてくださって、ありがとうございます」
「……」
やめろよ。
泣きそうになるだろ。
酒飲んだ後なんだから涙腺緩いんだぞ、こっちは。
「では、明日」
「ああ。また」
ローラントは表情を戻し、もう一度だけ周囲を確認すると、裏路地の向こう側へ消えていった。
樽の上の猫が、何事もなかったように尻尾を揺らしている。
「……猫、お前は気楽でいいな」
「にゃ~?」
◇
「はぁぁぁぁ……」
ローラントと別れて大通りに出て、皇城へ向かう道を歩きながら、盛大にため息を吐かざるを得なかった。
「……どうしよう」
いや。
本当にどうしよう。
ローラントが生きてたのは嬉しい。
いや、走り込みは嫌だけど嬉しい。
――でも、なんで帝都にいるんだ?
「……明日考えよ」
考えても仕方がない。
今日はもう無理。
監査を一日乗り切って。
ドロテア殿下の正体を見なかったことにして。
ギルさんがジルベルト殿下だったことを知って。
死んだと思ってた師匠に会った。
もうこれ以上入りません、今日は閉店です。ガラガラー。
「おお、ロビン殿」
門の前で、顔馴染みになった門番の一人がこちらに気づいて手を上げた。
「今日は随分と浮かない顔ですな。どうされました?」
「ちょっと色々ありまして」
「ははあ」
もう一人の門番が、分かったぞ、と言わんばかりに顎を撫でる。
「さては酒場で何かあって、奢らされたとみました」
「大体正解です」
厳密にはその後の方が遥かに重大なんだけど。
奢らされたのも事実なので、嘘ではない。
「はっはっは、なら今度一緒に飲みに行きませんか?良い店を知ってるんですよ」
それはありがたい。
麦穂亭以外の店も開拓してみたいと思っていたところだ。
「いいですね」
門番と飲みに行く。
うん、普通の下級官吏っぽい。
いいじゃないか、発生するイベントはそういうのでいいんだよ。
「南区の方なんで、ちょっと遠いんですけどね」
「はい」
「そこ、最近ギルさんって気前のいいお客さんがよく来てね」
「……」
「よく店のみんなに奢ってくれるんですよ」
「……へえ」
「運が良ければ、ロビン殿も奢ってもらえますぞ」
「…………」
ジルベルト殿下ぁぁぁぁぁ!!




