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亡国の王子ですが、のんびりしようと下級官吏になったら、なぜか昼行燈と噂の第七皇女の秘書官になりました  作者: 萩原梓荻(旧:萩原詩荻)
第二章 第五皇女ドロテア

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第39話裏 メイド、良いワインを飲む

「お疲れ」


 監査が終わった日の夜。


 第七皇女宮の執務室で、長椅子に沈んでいるエルへ声をかける。


 正確には、沈んでいるというより潰れている。


 いつものことと言えばいつものことだけど、今日はいつもより三割くらい潰れている。


「……今回は正直、疲れたわ」


「でしょうね」


 まあ、無理もない。


 実の姉に一日がかりでつっつかれた上に、最後は正座までさせられたんだから疲れない方がおかしい。


「足は?」


「まだ少し痺れてる」


「長かったものねぇ」


「ドロテア姉様、容赦ないのよ……」


「知ってる」


 久しぶりに見たけど、すごく面白かった。


 皇位継承争いだの、兄姉の思惑だの、普段は色々と面倒なことを考えているけれど。


 ドロテア殿下の前で小さくなっているエルを見ると、なんだかんだ姉妹なのだなぁと思った。


「笑ってる?」


「笑ってないわよ」


「嘘つき」


 エルがクッションを投げてきたので、普通に受け止める。


 ロビンほど素直に食らってあげる義理はない。


「ま、とりあえずお祝いしましょ」


「お祝い?」


「これを見てよ」


 さっき届いたばかりの瓶を持ち上げる。


「随分、高そうなワインね」


「ジルベルト殿下から。『監査お疲れ様』ですって」


「……自分でドロテア姉様けしかけたくせに」


「そこはそれ。これで機嫌直してね、ってことじゃない?」


「だったら最初から余計なことしなければいいのよ」


 そう言いながら、エルは少しだけ身体を起こした。


 飲む気はあるらしい。


「立ち直り早いわね」


「良いワインに罪はないもの」


 それはそう。


 栓を抜いて、二つのグラスへ注ぐ。


 さすがジルベルト殿下が買ってくれたワインだ。


 明らかにお高い香りがする。


「はい」


「ありがとう」


 グラスを一つずつ持つ。


「じゃ、監査終了と」


「私の生還を祝して」


「そこまで?」


「正座したのよ?」


「はいはい」


 チン。


 よし、美味しい。


「でもさ」


「なに?」


「ドロテア殿下にしては、ずいぶん優しかったわね」


「……そうね」


 エルがグラスを見ながら、小さく答える。


「正直、もっと色々突っ込まれると思ってたわ」


「私も」


 問題ないようにしてあるとはいえ、ドロテア殿下なら説明したくない部分まで全部確認してくると思っていた。


 なのに、実際には確認するところは確認して、規則上問題がないところにはそれ以上踏み込んでこなかった。


「正式監査としては問題なし。交渉材料を探そうとしてたのも無駄になったわ」


「……そうね」


 エルの顔は疲れているけれど、少しだけ柔らかい。


 最後のドロテア殿下とエルのやり取りの意味は私にはわからない。


 でも。


「なんとなーくだけど、ロビンが何かしたのかしらね」


 カマをかけてみる。


「……」


 ほら、エルのグラスがほんの少し止まった。


 相変わらず分かりやすいんだから。


「エルも、なーんか知ってるっぽいし?」


「何も聞いてないわよ」


「ふーん」


 なるほど、「聞いてない」ね。


「本当に何も聞いてないわ」


「はいはい」


「信じてないでしょ」


「信じてるわよ。エルがそう言うなら、何も聞いてないんでしょうね」


「……何よ、その言い方」


「別に?」


 まあ、いいわ。


 秘密というものは全部暴いて、机の上に並べればいいというものでもない。


 今日のドロテア殿下の様子を見る限り、悪いことではなさそうだし。


 むしろ。


「結果的には、どっちかというと守ってもらえることになったんだから良かったじゃない」


「それはそうなんだけど……」


「定期指導付きだけど」


「それは言わないでー」


 あ、渋い顔になった。


 まあ、定期的にお姉ちゃんに怒られるかもと思ったら嫌よね、普通。


「しかも」


 エルが不満そうにクッションを抱え直す。


「ドロテア姉様まで、『秘書官貸して』とか言ってくると思わなかったわ」


「あれは面白かったわね」


「面白くないわよ」


「カミラ殿下に続いて、ドロテア殿下からも評価されたのよ?すごいじゃない」


「すごくないわ」


 エルがむすっとした顔でワインを飲む。


 ……。


「ねえ、エル」


「なに?」


「いくら優秀とは言っても、ロビンのこと気に入りすぎじゃない?」


「そうかしら?」


「そうよ」


 グラスを置いて、エルを正面から見る。


「この間のお遊びには協力したけど、あなたも皇族である以上、一般人と恋愛なんて考えちゃだめよ?」


 黒髪に変装して、街を歩いて、焼き菓子を食べて、馬鹿みたいな呼び方で呼び合って。


 あれくらいなら、いい。


 エルは昔から我慢するのが上手すぎるし、たまには息抜きも必要だ。


 でも。


 それ以上は、別の話だ。


「もちろん」


 エルがグラスにワインを足しながら平然と答える。


「今の私に恋愛してる暇なんてはないわよ」


「そうね」


「今は、ちゃんとやる時だもの」


 エルの声が少しだけ変わる。


 さっきまで長椅子の上で足を痺れさせていた妹ではなく。


 昼行燈と噂される第七皇女でもなく。


 本当に何かを取りに行こうとしている人間の声。


 これがエレオノーレ・フォン・ライヘンバッハなのだ。


 無害で、無口で、無表情で、皇位継承争いには関わらないと思われているが、本当はもう盤面の上に立っている。


「そういう意味では、ドロテア姉様は元々皇帝の座に興味がない人だから、今回のことは計算外だったけど」


「そうなの?」


「昔から『やるべき人がやればいいわ』って言ってたもの」


 エルがちょっと苦笑いをしながら、ワインをもう一口飲む。


「皇族が言っていい台詞なの、それ」


「ドロテア姉様だもの」


 それで納得できてしまうのが怖い。


 ドロテア殿下は、自分がやるべきだと思えばやるけど、思わなければやらないんだろうな。


 分かりやすいけど、敵に回したら一番面倒な類の人だ。


「面倒な人ね」


「面倒よ。だから好きなの」


 やっぱり仲が良いわね。


 本人たちに言うと否定しそうだけど。


「じゃあ、とりあえずは、引き続きハインリヒ第一皇子殿下をメインに全体的に調査する感じかしらね」


 ドロテア殿下が味方寄りになってくれた今、次に注意すべきは誰か。


 今後の方針を念のため、エルに再確認する。


「……」


「エル?」


 返事がない。


 部屋の空気が少しだけ変わった。


 エルの表情から、さっきまでの柔らかさが消える。


「リズ」


「ん?」


「ちょっと、オスカー兄様を注意深く調べて」


 ――オスカー第四皇子殿下。


 意外な名前だった。


 魔導局長であり、穏やかで物静かな皇子で兄弟姉妹にも優しい。


 少なくとも、私が掴んでいる範囲では怪しい点や不穏な動きはない。


「……何かあったの?」


「何もないわ」


「じゃあ、なんで?」


「勘」


 そっかぁ。


「……勘かぁ」


「駄目?」


「いや、わかったわ」


 根拠はない。


 でも。


 エルが「勘」と言った時は、無視しない方がいいと経験則で知っている。


「ただし、本人に気付かれないことを最優先でお願いね」


「難易度高いわね」


 魔導局ってだけでまあまあめんどくさいのに。


「それだけリズのことを信じてるのよ」


「信頼が重いわねぇ」


 まったく。


 甘え上手な主君には本当に困る。


 美味しいワインをくいっと飲み干す。


 こうやって、たまに役得がないとやってられないわね。


「じゃ」


 改めて二人のグラスにワインを注ぎ直し、グラスを持ち上げる。


 あら、美味しすぎて、早くも一本空いちゃった。


「改めて、監査終了と美味しいワインに」


「ちょっとリズ。私より飲んでるじゃない」


「いいじゃない。もう一本開けましょ」


「……仕方ないわね」


 二人で笑いながら、グラスを合わせた瞬間。


 ――ピシッ。


 澄んだ音とは別の、嫌な音がした。


 エルのグラスに細いヒビが入り、ワインの赤がその線に沿ってじわりと滲む。


 ……うわぁ。


「古くなってたかしらね」


 特に変な魔力も感じない。


 ぶつけた場所が悪かっただけだろう。


「……嫌な予感がするわね」


「やめてよ!?」


 エルの勘を信じようという話をした直後にそういうことを言わないでほしい。


 ただ、グラスがちょっと傷んでいただけ。


 きっと、それだけだ。


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