第38話 亡国の王子、読書友達を得る。
「あら、ロビンくん」
教会へ入ると、ちょうどヘレナさんが礼拝堂の掃除をしているところだった。
「こんばんは、ヘレナさん」
「今日はずいぶん疲れた顔ねぇ」
「今日一日、監査だったんです」
「あらあら。それは大変だったわね」
やっぱり、この人に会うと、ちょっと肩の力が抜ける。
癒しだ。
時々、容赦なく昔の恥を暴露してくるけど。
「大変でした」
本当に。
「それにしても」
「はい?」
「随分、ドロシーちゃんと仲良くなったのね」
「……?」
急に何の話でしょう。
「奥で待ってるわよ」
「ああ」
なるほど、もう来てるのか。
図書室の方を示すヘレナさんの顔が、なんだか楽しそうだ。
「言ったでしょう?『気が合う人』って」
「……そうですね」
初対面の時、たしかにそう言われたけど、まさかこんなことになるとは思っていなかったな。
……本の趣味はたしかに合ったけど、相手がほぼ間違いなく第五皇女殿下であるという一点が、気軽な読書友達としては致命的に重い。
「お茶、持っていってあげるから先に図書室行ってて」
「あ、俺はすぐ帰るので大丈夫です」
「あら、そう?なら、ドロシーちゃんが待ってるから早く行ってあげて」
「……はい」
ニコニコした表情を崩さないヘレナさんにはやっぱり敵わないなぁ、と思いながら、掃除を続ける彼女と別れ、奥の図書室へ向かう。
「遅い」
図書室の扉を開けた瞬間の第一声がそれだった。
黒髪黒目に眼鏡。
うん。
ドロシーさんですね。
「いや、ドロシーさんが早いんです」
「定時になり次第、速やかに準備して向かってくれば、あと十分は早いはずよ」
「普通はそんなに綺麗に定時上がりできないんです」
今日は、監査で全員疲れ果てたから定時上がりにはなったけど。
それでもジャストは無理っす。
というか、そっちはどこかで変装までして来てるのに俺より早いんですね。
「……それで?」
「え?」
「何もないの?」
何もないの、とは。
あ、あるわ。
「本貸してください」
「そうじゃないわよ!」
怒られた。
なぜだ。
今日は本を貸してくれると聞いて来たのに。
「何か他に言うことあるでしょう?」
「監査お疲れさまでした?」
「違う!」
「俺も疲れました」
「知ってるわよ!」
ドロシーさんが額へ手を当てて、ため息を吐いている。
失礼な。
俺は約束通り本を借りに来ただけである。
「本当に、何もないの?」
「何をです?」
「だから……!」
「ドロシーさん」
「何よ」
「あなたは、俺とヘレナさんの読書友達で、どこかの良いところのお嬢様で、本が好きで、熱心にお祈りをしているドロシーさんです」
「……」
ドロシーさんが、少し目を見開いて静かになる。
「俺は、下級官吏で、第七皇女宮の新人秘書官で、本を借りに来たロビンです」
それでいい。
それ以上でも、それ以下でもない。
「……一か月以上経っているのに、新人を名乗るのは厚かましいわね」
「そこですか!?」
そこ拾う!?
今、俺ちょっといい感じのこと言ったよね!?
「いつまで新人のつもりなの?」
「厳しい!」
いつもの調子に戻った。
よかったよかった。
ドロシーさんとの関係は、これでいい。
俺たちはただの読書友達でいい。
それ以上のことは、必要になった時に考えればいい。
「……まあ、いいわ」
ドロシーさんが小さく息を吐いて、鞄から本を取り出した。
「はい、これ」
「お」
前に借りた本の続編。
「ありがとうございます。何日で返せばいいですか?」
「……」
ドロシーさんが少しだけ考え込んでいるが、何日だろう。
三日……いや、今回はもっと短いかもしれない。
監査が終わったから暇でしょう、とか言って二日にしてくることすら、この人ならあり得る。
「読み終わったらでいいわ」
「本当ですか!?」
ドロシーさんが期限を切らない!?
そんなことがあるのか。
明日は雪でも降るのでは?
「何よ、その反応」
「いや、ドロシーさんが期限を指定しないなんて」
「失礼ね」
「三日って言われる覚悟してました」
「ゆっくり読みたいんでしょう?」
「はい」
「だったら、急がなくていいわ」
「ドロシーさん……」
優しい。
この人、こんなに優しかったのか。
監査も終わったし、本もゆっくり読める!
これぞ平穏な生活!
「その代わり」
「ア、ハイ」
条件付きだった。
世の中そんなに甘くなかった。
「近日中に、私の知人であるドロテア第五皇女殿下から業務協力の依頼があるから、対応してあげて」
「……」
「なによ、その顔」
「なんでもないです」
何も言ってないですよ。
そうですね。
とてもよくご存知の知人なんでしょうね。
「何か言いたいことがあるなら言いなさい」
「特にありません」
何もおかしいところはない。
いや、知人に皇族がいるのはおかしいけど。
「一応、あなたの上司にも話は通してあるって言ってたわよ」
「たぶん大丈夫だと思いますが……さっき、上司に他の皇族から評価が上がる行為を禁止されました」
「何それ?」
「俺も聞きたいです」
「エル……」
ドロシーさんが眉間を押さえながら呟くが、皇族を愛称で呼んじゃダメですよ。
俺がハニーと呼んだことは、まあ、うん。
「たぶん本気ではないと思いますよ」
「当たり前でしょう。そんな命令通るわけないじゃない」
「ですよね」
良かった、皇族基準でもおかしいらしい。
「あ、そうだ」
「なに」
「この後、晩ご飯食べに行くんですけど、一緒に行きます?」
「行かないわよ」
即答。
まあ、そうですよね。
「ですよね」
「今日の分の礼拝がまだだし」
「ああ」
「それに、一緒にご飯を食べに行くほど仲良くないでしょ」
「そこまで言います?」
「事実よ」
えー。
本貸し借りして、職場相談までして、俺を待ってたのに、ご飯食べるほど仲良くはない、と。
人間関係って難しい。
「でも」
「はい?」
「本の感想を聞くくらいなら、また付き合ってあげてもいいわ」
……この人も素直じゃないなぁ。
そういうところはエレオノーレ殿下と一緒だ。
「それは助かります」
「読み終わったらね」
「はい。じゃあ、また今度誘います」
「誘わなくていいわよ」
「はいはい」
「『はい』は一回よ」
「では、そろそろ行きますね」
ドロシーさんの注意を聞き流しながら、本を鞄へ大事にしまう。
よし、ミッション達成。
「あ、でも」
「はい?」
立ち上がったところで、ドロシーさんに呼び止められた。
「ご飯を食べに行くのはいいけれど」
「はい」
「本を汚したら殺すわ」
「気を付けます、マジで」
目が本気だった。
せっかく監査を乗り切ったのに、こんなところで死にたくないから気を付けよう。
マジで。




